時代にただ一人 選ばれし少女
闇の世界と戦う力を備えた少女

それが

バンパイア・スレイヤー

ホグワーツ魔法魔術学校
 校長アルバス・ダンブルドア
 マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員


 親愛なるハーグリーヴス嬢
 この度ホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封致します。
 新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてお返事をお待ちしております。

敬具
副校長ミネルバ・マクゴナガル


 羊皮紙に綴られた堅苦しい文句に目を通すと、レノーラ・ハーグリーヴスは何の感情もない顔つきで、それをポケットに押し込んだ。
「レノーラ!何をしてるの。もう出かけるわよ!」
 閉め切ったドアの向こうから、けたたましい母親の声が飛んでくる。
「すぐ行くわ、ママ」
 レノーラは声を張り上げた。

 ハーグリーヴス家は何代も前から続く有名な魔法族だ。チェイス家やマルフォイ家といった大富豪とも深い交流があり、おかげでレノーラは生まれた時からずっと不自由のない裕福な暮らしを送ってきた。ゴシック風の瀟洒な屋敷に住み、数えきれないほどの屋敷しもべ妖精をタダ働きさせ、金貨や銀貨を惜しみなく使って欲しいものは何でも手に入れる。誰もが一度は憧れる富裕な生活だ。しかし、当のハーグリーヴス夫妻は、噴水つきの立派な屋敷に住んでいるということや、数えきれないほどのしもべがいるということよりも、自らが厳格な純血主義を貫く名の持ち主であり、『高貴なる由緒正しきハーグリーヴス家』の末裔であることの方が遥かに自慢だった。
 もちろん、その思想は同じ環境で育った一人娘のレノーラにもそっくり受け継がれた。たかだか十一歳の少女が家柄を基準に友達を選ぶなんておかしな話ではあるが、レノーラやその他の純血主義の子供たちにとっては、それが一般常識として教え込まれていたのである。

 レノーラが部屋を出ると、ちょうど前を通りかかった屋敷しもべ妖精がびっくりして立ち止まった。コウモリのような耳と尖った長い鼻をもつ小さな生き物だ。枕カバーとしか思えないボロボロの布きれを身に纏い、袖の穴から突き出す骨ばった腕は、たっぷりの水で満たされた真鍮のバケツを抱えている。主人のいない隙を見計らって、屋敷の掃除を始めようとしていたに違いない。「家主に姿を見られてはいけない」という法律でもあるのか、妖精はレノーラに見つかったとたん完全に怯えきり、テニスボールほどもある目玉をさらに大きく見開いた。
「あら」後ろ手にドアを閉めながら、レノーラはニッコリした。「こんにちは」
「こ…こんにちは!レノーラお嬢さま!」
 しもべ妖精はキーキー声で叫んだ。
「申し訳ございませんお嬢さま!トゥインキーめは、お嬢さま方がおでかけに行ってらっしゃる間に、お屋敷のお掃除を済ませようと思ったのでございます!まさかこんなに早くお戻りになられるとは存じておりませんでした!すぐに地下に戻りますので、どうか愚かなトゥインキーめをお許しください…」
「あー、違うのよ……私、今から出かけるんだ」
 今にも自分を戒め出しそうな様子のトゥインキーを見て、レノーラは急いで言った。
「だから、地下になんて戻らなくていいのよ。みんな夕方まで戻らないと思うから、心ゆくまでのんびりして」
 トゥインキーは一瞬どきりと顔を強張らせた。レノーラは、トゥインキーが時々暖炉の前のフカフカのひじ掛け椅子でくつろいでいることを知っていた。仕事をおざなりにしているようでもないので咎めるつもりは毛頭なかったのだが、しもべ妖精があまりにも怯えた顔をするので、レノーラは慌てて言い直した。
「——その、のんびりお仕事して」
「レノーラお嬢さまは……とても心やさしい素敵なご令嬢です…」
 トゥインキーの声は感動のあまり震えていた。
「卑しいトゥインキーごときに、とっても親切にして下さいます…」
「あー、うん…」レノーラは頬を赤らめた。「だって、あなたは服や部屋をていねいにお手入れしてくれるもの」
「レ、レノーラお嬢さまは、トゥインキーや他のしもべ妖精たちにいつもお礼を言って下さいます!トゥインキーは……トゥインキーは、いつでも、何が起きても、レノーラお嬢さまをお慕い申し上げております!!」
 乾燥して荒れた唇はわなわなと震え、巨大な緑色の目玉はうるうると涙ぐんでいた。まるで、これから愛する主人を戦争に見送らなければならないとでもいう雰囲気だった。
「どうかお気をつけて行ってらっしゃいまし!お帰りを心よりお待ち申し上げております!!」
 トゥインキーがあまりにも深々と頭を下げたので、真鍮のバケツから水が溢れ出しそうになった。レノーラは彼女が廊下を水浸しにしてしまうのではないかと気が気ではなかった。
「うん、行ってくる。また後でね」
 レノーラは禿げ上がったしもべ妖精の頭を軽く撫でてやり、階段を駆け下りた。背後でトゥインキーが感極まってバケツをひっくり返す音が聞こえたが、自分のせいで彼女を罰するのもかわいそうなので、何も気がつかなかったふりを決めて一度も振り返らずに玄関を飛び出した。
†††
 玄関を出たレノーラは、戸口の前に長身の男が立っているのを見つけ、盛大に顔をしかめた。上質なローブを着た金髪の魔法使いで、ピンと背筋を張り、よそ見もせずにまっすぐと佇んでいる。魔法使いは正面から駆け寄ってくるレノーラの姿を見つけると、心温まるような愛想笑いを浮かべ、恭しくお辞儀をした。
「おはようございます、レノーラお嬢さま。お父様もお母様もお車でお待ちですよ」
 やんわりとした声音は耳にとても心地よく、どんな重たい悩み事も奥底の方から解きほぐしてしまいそうだ。レノーラはそれが逆に気に入らなかった。不機嫌そのものの顔つきで、執事の示した先を見やる。見事なロートアイアンの門の傍に、ピカピカした黒塗りの高級車が一台停まっていた。
「お荷物お持ちいたします」
 執事は優しげな物腰でレノーラのハンドバッグを取り上げた。レノーラは一瞬、彼から漂ってきた魅力的な甘い香りにクラクラしかけたが、すぐに我に返った。無言でハンドバッグを奪い返し、とびっきりの睨みをくれてやってから、荒々しく車に乗り込んだ。
「レノーラ、遅いぞ。いったい何時間待たせれば気が済むのだ」
 広々とした車内にハーグリーヴス夫妻が向かい合って座っていた。父親はブランド物のローブを着こなし、母親は娘と同じ赤みがかったブロンドの髪を優雅に結い上げている。レノーラは「ごめんなさい」も言わずに父親の隣に腰を下ろし、ハンドバッグは母親の隣に放り投げた。
「レノーラ。おばあさまにいただいた大事なバッグを乱暴にしちゃいけないわ」
 母親は眉根を寄せ、ビーズの刺繍をあしらったピンク色のハンドバッグをレノーラの膝に置いた。レノーラは、邪魔そうにそれを自分の隣の座席へどけた。
「レノーラ!」
「まあまあ、アステリア」
 母親が厳しく目尻をつり上げたのを見て、父親が取りなした。
「いいじゃないか。壊れ物が入っているわけでもないんだ」
 当のレノーラはすでにハンドバッグのことなど頭になかった。金髪の執事が恐ろしく丁寧にドアを閉めるのを、忌々しい目つきで睨みつけている。
「パパ。私、あの人嫌い。追い出してよ」レノーラはフンと鼻を鳴らした。「あの人、きっとマグル生まれよ」
「検討しよう」
「レノーラったら、またそんなわがまま言って!」アステリアが呆れた。「クレイオス、あなたもよ。レノーラの言うことを何でもホイホイ聞き入れていたら、この家の召使いは三ヶ月ともたずに一人もいなくなってしまうわ!それに——フォルセティは純血で、私の知る限り、最も優秀な魔法使いよ」
 クレイオスは聞いていなかった。運転席に向かって車を出すよう命じている。アステリアはいっそう苛立った。
「クレイオス!」
「そう喚くな…分かっている」
 クレイオスはくたびれたように妻をなだめた。

 ひとたび車が発進すると、レノーラは動き始めた車の窓ガラスにピッタリと貼りついて、外の景色を夢中で眺め始めた。ハーグリーヴス家の車はマグルの街並をビュンビュンと追い越して行く。広い公園も高層ビルの群れも、目にも留まらぬスピードで霞のように背後へ吸い込まれる。街灯や信号機、郵便ポストなどは、車が近づくと飛びのいて道をあけ、通り過ぎると元の位置に収まった。今度の運転手のハンドルさばきはすばらしく爽快だ。歩道や垂直な壁にタイヤを走らせ、渋滞にはまったマグルの車を尻目に猛スピードで町を突っ切って行くのは、とても気分が良いものだ。
「レノーラ。そうはしゃがなくとも、車になんていつだって乗れるだろう」
 遊園地のアトラクションよりも激しく飛び回っている割に、車の中はとても快適だった。クレイオスはふかふかの座席にゆったりと腰かけている。
「町に着く前にくたびれても知らないぞ」
「私、てっきり『煙突飛行ネットワーク』か何かで行くんだと思っていたわ」
 窓にかじりついている娘の後ろ頭を見て、アステリアは「何が楽しいんだか分からない」という顔をした。
「レノーラは車が好きなんだ」クレイオスは当たり前の口ぶりだ。「アステリア——ダイアゴン横丁に着いたら、おまえはレノーラと一緒に学用品を買いに行きなさい。わたしは少しルシウスと会ってくる。約束があるのでな」
 ルシウスという名前には、レノーラも聞き覚えがあった。直接会ったことはないが、ルシウス・マルフォイはクレイオスの旧友らしく、夕食の場などでよく話題に上るのだ。同じ純血主義の名家であり、かなりの資産家だと聞いている。
「あちらのご子息も今年からホグワーツだそうだ。レノーラはドラコ君に会ったことがあったかな?」
「なかったはずよ」
 アステリアが窓からレノーラを引き剥がしながら言った。「レノーラは男の子が苦手なのよ」
「わたしもドラコ君には久しく会っていなかったが、先週ウィルトシャーのお宅にお邪魔してね。ずいぶん立派な男の子に成長していたよ。ルシウスとナルシッサの優秀なところを、全て受け継いでいる」
「あら。高慢ちきなルシウスそっくりの男の子だなんて、ますます会わせるわけにいかないわ」
 途端にクレイオスの口元がヒクヒクと引き攣った。レノーラは、父親がこんな表情をするのはどういう時かだいたい分かっていた。沸々とわき上がってくる怒りに押し負けないよう、理性でしっかりつなぎ止めておこうとしているのだ。
「君が腹の底でルシウスをどう思っていようが自由だが、わたしとしては、友人の悪口を聞かされるのはあまり気分のいいものじゃない」
「あら。それはごめんなさい」
 アステリアはツンとそっぽを向いた。妻である自分より他人に味方してばかりの夫に嫉妬したに違いない。まるで子供のような両親のやりとりに呆れ果て、レノーラは一丁前に溜め息をついた。