「また値上がりしたの?ちょっと高いんじゃない?あんたんとこ」
 不機嫌そのものの顔つきでチップを突き出し、ナミが言った。新聞配達員の鳥は、ちょこんと帽子の乗せられた頭を翼で掻きながら、困ったように「クー」と鳴いた。
「こんど上げたらもう買わないからね」
 首に下げられたポーチにチップを嫌々押し込んでやる。配達鳥は一仕事終わったとばかりに海鳥独特の声を響かせ、そそくさと“ゴーイング・メリー号”から飛び去っていった。
「なにを新聞の一部や二部で」
 甲板で何やら怪しげな武器の開発にいそしんでいたウソップが、呆れ果てたような声を上げた。ナミはうんざりしたように肩をすくめてみせる。
「毎日買ってるとバカになんないのよ
「お前、もう金集めは済んだんだろ?」
「バカ言ってるわ。あの一件が済んだからこそ、今度は私は私のために稼ぐのよ。ビンボー海賊なんてやだもん」
 ビシッと指を突きつけて言い切るナミ。しかしウソップはもはやナミの話など聞いていなかった。
「おい騒ぐな!!おれは今、必殺“タバスコ星”を開発中なのだ!!
 いまいち迫力に欠けるネーミングだったが、その武器がいかに凄まじい威力を持っているかは、直後開発者の身をもって証明された。
「これを目に受けた敵はひとたまりもなく…」
さわるなァ!!
うわァ!!!
 狙ったとしか思えないタイミングで、みかん畑からルフィが飛んできた。赤いベストを羽織った背中がウソップの腕にぶつかり、手にしていた真っ赤な瓶の中身が、寸分違わず彼の目を直撃する。
ぎいやあああああ
 ウソップは火を噴いた。目から。
「何だよ。いいじゃねェか、一コぐらい!!
 狙撃手が自分を狙撃してしまうというショッキングな事件は軽くスルーして、ルフィは自分を蹴り飛ばした張本人に異議を申し立てた。メインマスト下にあるみかん畑の前に、コックのサンジが腕を組んで立ちはだかっている。
ダメだ!! ここはナミさんのみかん畑!!! このおれが指一本触れさせねェ。ナミさん♡恋の警備万全です!!
「んんっありがとサンジくん♡」
 色っぽい声の割には、ナミは新聞しか見ていなかった。一方、ルフィは本気の力で蹴り飛ばされたにもかかわらず、満面の笑みを浮かべている。
「まーいいや。おれは今うれしいから。あーもうすぐ“偉大なる航路グランドライン”だ!!
 上機嫌でみかん畑を後にするルフィと、燃える目を押さえて悶絶しているウソップ。朝っぱらからエンジン全開のクルーを背に、ナミは購入したばかりの新聞を開いた。ずらりと隙間なく敷き詰められた無数の記事。その中から、めぼしい見出しだけを取り上げて読みあさる。
 内乱、国同士の戦争、下卑た海賊達の強奪行為…。物騒な事件は後を絶たず、立て続けに起きている。
「…しかし世の中もあれてるわ。ヴィラでまたクーデターか——あっ、これ見てティネットっていう島で、死因不明の白骨体が大量に発見されたんだって。きっと“毒蜘蛛のダグラー”よ」
 そうして、ぺらりと一枚分ページを送る。と、ページの間に挟まれていた折り込みのちらしが、はらりと海の風に乗って躍り出た。
「「ん?」」
「ん?ちらし」
 紙片は音も立てずに甲板に落ちる。その表面に印刷されていたのは——。

「あ…」
「あ…」
「あ」
「ぐー」
「お」

 五人の間に流れる空気が、驚愕とショックでしばしの間静止した。

あああああーっ!!!
***
指 名 手 配
生死問わず
モンキー・D・ルフィ
30,000,000ベリー

 画面いっぱいに写り込んでいる眩いばかりの笑顔。それは、“道化のバギー”や、“首領・クリーク”、“毒蜘蛛のダグラー”といった凶悪犯達の鬼気迫る手配書と並べると明らかに場違いな写真だったが、そこに掲げられた懸賞金は前述の誰よりも群を抜いていた。懸賞額平均が300万ベリーのこの“東の海”で、初頭の手配から3000万ベリー。世界的に見ても異例である。
「1500万の賞金首“道化のバギー”、1700万の“首領・クリーク”、そして2000万の“ノコギリのアーロン”」
 船着き場近くの掲示板を食い入るように見つめていると、隊員の一人が声をかけてきた。
「この掲示板に張り出されている中でも大物に分類される面子ですが、ことごとく撃破してきているようですよ」
「…へぇ」
 この写真を見る限りでは、近所の悪ガキ程度にしか思えない。
「フザけた手配書ね。うどんな海軍連中は、もっとまともな写真を撮れなかったわけ?」
「愚鈍です、隊長」
 女はじっとりと溜息をつきながら、“麦わらのルフィ”と並んで張り出された高額の手配書を見据えた。

指 名 手 配
生死問わず
“毒蜘蛛のダグラー”
29,000,000ベリー

「まさか……毒蜘蛛以上の賞金首がこの海に出てくるとはねェ…」
「………………」
 感心するように呟いた傭兵の言葉には何も返さず、彼女は押し黙った。フェイスヴェールをつけた、ギョロついた目玉の悪人面をぎらぎらと睨みつけ、やがてバサッとマントを翻して掲示板に背を向ける。唐突に歩き出した彼女に、隊員たちはきょとんと首を傾げつつも慌てて後を追う。
「隊長?」
 隊員の一人がおずおずと呼びかけた。女隊長はフードをすっぽりと目深にかぶっているので、その顔色は窺い知れない。
「ラックへの報告は私がしておく。あんた達は今夜に備えてゆっくり休んで」
 吐き捨てるように言いつけると、女隊長は歩く速度を上げ、傭兵達から遠ざかっていった。残された隊員らは、戸惑ったような表情をを浮かべて互いに顔を見合わせる。
「イーヴィ隊長……やっぱりマジでやる気なのかよ…」
「当たり前だろ。おれ達全員、前に話し合ってそう決めたじゃねェか」
「けどさ、これって……心中行為だよな…」
 隊員の一人が怖じ気づいた言葉を口にすると、まるでその動揺が伝染したかのように、傭兵たちは一斉に黙りこくった。周囲に立ち込める喧騒はいつも通りに彼らを包み込んでいる。ある者は笑い、ある者は泣き、ある者は子供連れで、ある者は恋人との甘い一時を過ごしている。街には当たり前のように存在する光景が、今の彼らにとっては目が痛くなるようなまぶしさを放っていた。
「ったく、いい気なもんだよな。一般市民ってヤツはよ」
 気まずい沈黙を充分すぎるほどに味わった後、隊員の一人が呪詛を唱えるような声色で唸った。
***
なっはっはっは!! おれ達は“お尋ね者”になったぞ!! 3千万ベリーだってよ!!
 紙面の中の写真と全く同じ表情を浮かべて、ルフィは至極嬉しそうに笑い声を上げた。ナミは船長の緊張感のかけらもない様子にがっくりと項垂れる。
「あんたらまたみごとに事の深刻さがわかってないのね。これは命を狙われるってことなのよ!?この額ならきっと“本部”も動くし、強い賞金稼ぎにも狙われるし…」
「みろっ!! 世界中におれの姿が!! モテモテかも」
 ナミの懸念など全く無視して、ウソップは上機嫌でルフィの手にした手配書の隅を指差した。大きく写り込んだ船長の背景に、バンダナを巻いたモコモコの黒髪がひっそり写っている。
「後頭部じゃねェかよ。自慢になるか」
「イジケんなよもっと大物になりゃ船長じゃなくても載るんだぜ」
 サンジはルフィやウソップに背を向けて、小さく縮こまっていた。自分に懸賞金が懸けられなかったことがよほどショックだったのだろう。
「…これは“東の海イーストブルー”でのんびりやってる場合じゃないわね」
 ナミは真剣そのものの面持ちで呟いた。先にも言った通り、いずれ賞金稼ぎや海軍本部の連中がこぞってルフィの命を狙いにくる。ルフィの強さを見くびっているわけではないが、襲撃なんて食らったら自分の身が危ない。ナミにとって一番重要なのはそこだった。
 が、ルフィ達にはちっとも事の重大さを理解できていない。
「はりきって“偉大なる航路グランドライン”行くぞっ!! ヤローどもっ!!
「「うおーっ!!」」
 ルフィのかけ声に、サンジとウソップは肩を組んで外側の手を空高く突き上げた。
 その時、メインマストの向こう側からゾロが声をかけてきた。
「おい、なんか島が見えるぞ?」
 4人がゾロの指差す先を振り向くと、確かに進路の先に島が見えた。今まで通ってきた中でも比較的大きな島で、雄大な陸の奥の方に、城のような壮大な建造物がそびえ立っているのがここからでも視認できる。ナミは新聞を寝椅子に放ると、ラウンジから一枚の海図を引っぱり出してきた。広げたそれを4人で覗き込む。
「メイベラ島…フィリンシア王国……あら、王国だわ」
「フィリンシア…?聞いたことあるな」
 サンジが顎をさすりながらぽつりと呟く。しかし、彼が詳しく思い出そうとする前に、遮るようにルフィが騒ぎ出した。
「ナミナミ船寄せてくれおれ、この島に降りてェ!!
「はァ?」
 ナミは思い切り顔をしかめた。まさか、あの島の城が見たいとか言い出すんじゃないだろうか。そういえばあの城、いかにもルフィやウソップの好きそうな幻想的な雰囲気を醸し出している。「かっけェ~」と目をキラキラさせている様子が容易に目に浮かぶ。
「何言ってんのよ、あんた。はりきって“偉大なる航路”に入るんじゃなかったの?」
「だからだよ仲間を見つけるんだ!! 新しい仲間!!
 きっぱりと言い切ったルフィに、ナミはずるりとずっこける。「すっげェ強ェ戦闘家の美少女清掃員」——どうやら、あのとんちんかんな提案は本当に可決していたらしい。
「まぁ、いいんじゃねェか?食料調達にもちょうどいい時期だし」
「そういやおれも“卵星”用に生卵を買い足してェんだった」
「武器屋があったら刀を探さねェと…一本じゃなんか落ち着かねェ」
 懸賞金のこともあるし、できればああいった大きな島は素通りしたかったのだが、ルフィはともかくその他の男性陣にもそれぞれ事情があるようだ。仕方ない、とナミはやれやれ首を振った。
「あんまり長居はできないわよ」
 その台詞を承諾の意ととって、ルフィ達は大声を上げて喜んだ。しかしその途端に、彼らの魂胆が次々と露呈し始める。
「おっしゃいっぱい食うぞでかい町にはうまい飯屋があるからな——あと城!!
「城だなやっぱり城だよななァ、王女とかいると思うか?」
「肉と、調味料と、あと野菜も補充しとかねェとな……あ、あとキレーなお姉さんナンパしてこう。姫いるかな」
「早いとこ用事済ませて、どっか静かなとこで昼寝でもすっか…城のあたりとか静かそうだな」

「……確かに…女の子の仲間も欲しいかもね」
 もはやたしなめる気も起こらず、ナミは船の手すりに頬杖をつき、遠い目で島を見据えた。