「ここっちです海賊同士が暴れてるんです!!

 茫然とルフィを見上げるしかなかった青年は、ふいに聞こえてきたそんな声でハッと我に返った。見れば、麦わらの一味を囲っている人垣の向こうから、ベージュの隊服を身に纏った団体が縦列を作って駆けて来る。全員手には火縄銃、胸には王族の紋章を刻んだバッジ。明らかに一般人とは見られない出で立ちに、麦わらの一味は「いっ」と顔を引きつらせた。
「あっあれは——」青年は思わず立ち上がった。「国王軍!!? どうしてここに!!
ななな何ィ!? マジかよっ
 ウソップの目玉と唇が、彼の鼻先と同じくらいのところまで飛び出した。青年は神妙な顔をしてそれに頷き、ルフィの方へ向き直る。
「誰かに通報されたんですよさっきの連中はこの辺じゃ悪名高い海賊団の幹部だったんです!!
「いやァ…実はそれよりももっと重大なポイントがあるんだが……まァいいや…」
 どーんと自信たっぷりに言い切った青年に、ウソップはきまり悪そうに突っ込んだ。どうやら眼前の青年も、今朝の新聞に折り込まれていた手配書に目を通していなかったようだ。
「とっ、とにかくここはおれが上手くごまかしますから、皆さんはうちの店へ隠れていてください
 青年は自分の背後にあるガラス張りの扉を指して指示を下した。「よしきた」——ウソップとナミは、ルフィ、ゾロ、サンジの襟首をむんずと掴み、言われるままに店へ駆け出した。すっかり応戦する気満々だったゾロは、ナミに引きずられながら不服そうに抗議の声を上げる。
「おい何すんだナミ!! 軍だか何だか知らねェが、そんなもんぶった斬りゃいいだろうが!!
「あんたねェ…」
「や、やめてください」青年が青ざめた。「警察ならともかく、国王軍なんかに捕まったら厄介なことになりますよ」
「えっ、何?どう違うの!?」
 混乱したようにナミが振り返ったが、青年はそれどころではないとばかりに首を振り、一味を店の中に押し込んだ。
 最後の一人が店の中に入ったのを確認すると、青年は外から乱暴に扉を閉め、ドアノブに掛かっていた看板を「準備中」の面に裏返した。サンジの手によって内側からカーテンが閉められ、ガラスの扉は完全に不透明になる。

「おい。君」

 ——間一髪。ギリギリセーフだ。
 青年は扉に背を預けて振り返った。皆一様に同じ服を着た隊列が、青年の前にズラリと立ち並んでいる。声をかけてきたのは、隊列から一歩前に進み出た、ひと際巨大な男だ。脳天から爪先まで一体何メートルに及ぶのか計り知れない。たっぷりと蓄えられた口髭が威厳を強調しており、目を合わせただけで怯んでしまいそうだ。
「こ、こんにちは…グリエさん」
 青年は笑顔を作ろうと試みたものの、恐怖と緊張で頬の筋肉が強張ってしまい、口元をヒクつかせるだけに終わった。
「こんなところでどうしたんですか?」
「先ほど町民から通報があってね。ここいらで海賊同士が揉めていたそうだが、心当たりはないかね?…噂によればそのうちの1人は3000万の賞金首だとか」
「さ、3000万!?」

ル…ルフィのことだ…
 外のやり取りを盗み聞きしていた一味は、思わずごくりと喉を鳴らした。どこの誰だか知らないが、余計なことをぺらぺらとチクりやがって…——苛立ちを含んだ妙な緊張が、薄暗い店内に走る。
「頼む。上手くごまかせよ…」
 サンジが遮光カーテン越しにドアにべったりと耳を寄せ、祈るように呟いた。同じくドアに耳をくっつけながら、ナミとウソップが両手を組んで全力で祈りを捧げている。

「あ、あァそれならおれも見ましたよ。とっくに逃げちゃいましたけどね。逃げ遅れたのは、その辺に転がってますよ」
 大破した木箱の向こうを指差すと、グリエと呼ばれた大男はピーナッツのような小さな頭をのっそりと動かし、すっかり気を失って倒れている海賊達の身柄を捉えた。
「なるほど…ボガーティ一味の連中か。拘束しろ」
 グリエの命を受け、隊列の右端にいた男が3人、列を抜けて海賊達に駆け寄った。グリエは再び青年に目を戻し、糸のように目を細める。
「念のため聞いておくが……奴らを仕留めたのはよもや“第2傭兵隊”じゃないだろうな?」
「………………」
 青年は沈黙した。今度は彼が目を細める番だった。

(“第2傭兵隊”…?)
 ナミとサンジはちらりと目線を交わし合った。一体何のことだ?

「…違いますよ。大体彼らは今日遠征任務から帰ってきたばかりなんでしょ?まだこの通りには姿を見せてもいませんし」
 溜め息まじりに青年が首を振る。「いい加減にしてくれ」とでも言いたげなのが明らかだ。
「それに…おれはもうあの人と何の関係もありません。その証拠に、ここ数年は口もきいてませんから」
「……そうか…妙な疑いをかけて悪かったな」
 グリエは少々ばつが悪そうに謝罪を述べ、芝生のような短髪をガシガシと掻き回す。ちょうど海賊の身柄回収を終えて、部下の兵隊が大荷物を抱えて隊列に戻ってくるところだった。
「では私はこれで失礼するよ。一度城に戻ってこいつらを牢屋にブチ込んだら、また仕事に出なきゃならないからな」
「そーですか。なんていうか、頑張ってくださいね」
 愛想良く応援の言葉を放つと、黒々とした口髭が横に伸びた。目が弓なりになっているところを見ると笑顔を浮かべているらしいのだが、髭で口元が覆い隠されているせいか、人相の悪さはあまり変わらなかった。
「…あァ。そのつもりだ」
 バサッとマントを翻し、グリエはきびすを返して去っていく。彼が歩き出すと、海賊の巨体を抱えた部下達もあとに続いて行進し、これまでのやり取りを心配そうに見守っていた野次馬達も蜘蛛の子を散らすように逃げていった。やがて店の周りの人気もなくなってくる。
「はァ~~~っ…」
 青年は膝からがくっと崩れ落ち、震える溜め息を長々と吐き出した。
「き、緊張…したァ~…
***
 ——数分後
 レストラン『星の谷スタリーデール

「なっはっはっはっはっは
 扉もカーテンも全て閉め切られた閉塞的な店内に、能天気な笑い声が響き渡った。たったさっき起きた騒動の原因・麦わらのルフィによるものである。
いやァ~、助かった助かったお前めちゃくちゃいい奴だなありがとう!!
「ジムくん…イラッとしたらいくらでも殴っていいのよ」
 反省の欠片もない船長の様子を見て、ナミが急に物騒な言葉を口走った。町の青年・ジムは5人分の紅茶をテーブルに配膳しながら、「えっ…」とあからさまに狼狽して見せる。
「そんなことないですよむしろルフィさんには感謝してます。店が襲われてたのを助けてもらったんですから」
「アンタ、人がいいにも限度があるわよ…あ、ありがと」
 洒落たティーカップを受け取りながら、ナミが呆れる。
「っていうかあんなに堂々と嘘ついちゃって大丈夫なわけ?兵士は騙せても、町の人達は黙っちゃいないんじゃない?」
「大丈夫ですよ。皆さん悪い人ばかりじゃありませんからそう簡単に人を売ることはないと思います。それに、あまり気にしないでください。おれのしたことは、ルフィさんへのお礼として受け止めて頂ければ…」
「そりゃありがたいが、ナミの言うことにも一理ある」湯気の立つ紅茶をすすり、ゾロが指摘した。「第一、お前自体は大丈夫なのかよ?さっきあそこでおれ達を庇ったせいで、その国王軍とかいう厄介そうな連中に目ェつけられたりはしねェのか?悪ィがそんなことで責められてもおれ達ァ責任取れねェぜ」
 ジムはサンジの前に最後のカップを置いて、困ったように微笑んだ。
「あ、おれは大丈夫ですよ。グリエさんはああ見えて町民には優しいですから。たぶん」
たぶんかよ
 ウソップが即座に突っ込んだ。ジムは5人全員に紅茶を配膳し終えると、空になった盆を空いたテーブルに放り、腰に巻いていた質素なエプロンを外した。
「ところで皆さんは旅の方ですよね?この国へは何をしに来られたんですか?」
「新しい仲間を探しにきたんだ
 ルフィが素早く答えた。頭の後ろで両手を組み、椅子を後ろに傾けて悠然とふんぞり返っている。ジムは空いた椅子を引いてそこに腰掛け、「仲間?」と首を傾げた。
「そうだ、おめェ、掃除の得意な奴知らねェか?おれ達、すげェ強ェ戦闘家の美少女清掃士探してんだ」
だからいるかんなモン
 性懲りもなくめちゃくちゃな希望を挙げるルフィに、ナミがごつんと拳骨を食らわせた。ルフィの顔は殴られた勢いのままどすっとテーブルに沈み、しゅうしゅうと煙を上げて動かなくなってしまった。ジムは顔を引きつらせた。
「うちの船長ったらこんなことばっかり言ってて…確かに仲間は欲しいけど、私としては、できるだけ早く偉大なる航路に入っちゃいたいのよね。ルフィのせいで海軍や賞金稼ぎに狙われるのはゴメンだもん」
「偉大なる航路!?そんな危険な場所へどうしてわざわざ——っていうか、え?賞金稼ぎ…?」
 ジムがきょとんと聞き返したが、ナミは「何でもない」とはねつける。最後はほとんど独り言のつもりだったのだ。
「あ」海軍の話で思い出した。ナミは紅茶を一口啜ったところで唐突に声を上げた。「ジムくん、そういえばさっき言ってたことなんだけど…」
「はい?何でしょう」
“警察”“国王軍”ってどう違うの?さっき店の前に来てた連中は国王軍だったのよね?」
 「そういえば」とサンジがあごひげをさする。ルフィはそんな小難しい話には興味ないらしく、熱い紅茶にフーフー息を吹きかけながら、割れた窓から外の様子をのぞいていた。
「おれ達の言う“警察”は、正式には“自警団”という団体のことを指すんです——つまり、国民による国民を守るための機関ですよ。それに対して“国王軍”は、その名の通り『国王』を守るための軍隊…なので、通常なら国王軍は『王』の命令がなければ出動しないハズなんです。さっきのはグリエさん…軍事司令官補佐の率いる精鋭部隊で、多分別任務で近くを通りかかっただけだと思うんですけど…」
 言いながら、ジムはどこか腑に落ちないという顔つきをしていた。
「それはさておき…国王軍の連中が恐ろしいのは、ただ強いからって理由だけじゃないんです」
 ジムの意味深な言い方に、ナミは疑問符を浮かべる。ジムはここで一旦言葉を切ってから、まるで爆発物を扱うような慎重な面持ちで、ゆっくりと続きを舌先から吐き出した。
「奴らは国王の名の下に、犯罪者とみなした人間をその場で処刑する権限が与えられているんです…
「「!!!」」
 ナミとウソップは声にならない悲鳴を上げた。ジムの言うことが正しければ、たったさっき自分達はあの熊のような大男たちに殺されるところだったわけだ。
「おいおい裁判もなしかよ…そりゃ随分横暴な役人どもじゃねェか…」
 灰皿にタバコの先を押し付けながら、サンジが苦々しく笑う。
「まあ、役人の好き勝手さえ目を瞑れば、ここはとても住みやすい国ですよ」ジムは力なく笑った。「景気もいいですし、それに役人の好き勝手も結局は犯罪抑止に繋がるわけですし…おれ達国民にとって一番大切なのはそこですから」
「なら別にいいけどよ…さっき連れていかれた連中はどうなったんだ?」とサンジが訊ねた。
「多少名のある海賊ならお金になりますから、多分海軍に引き渡すつもりだと思います」
 ドキン!!——ルフィ達の顔が強張った。もしジムに助けてもらわなかったら、そして万が一奴らに捕まっていたら、今頃ルフィの首は3000万ベリーと引き換えに海軍の手に渡っていたということか…。
「なので皆さん、町に出るときはベージュの隊服に気をつけてくださいね。さっきのグリエさんの部隊は比較的まともな人達ですけど、中にはパッと見気に食わないと思った人にテキトーな罪を被せて処刑しようとする連中もいますから…」
「職権乱用ね…」ナミが眉根を寄せる。
「つくづく大丈夫なのかよ、この国…」サンジが溜め息まじりに言った。「“パッと見”で殺されちゃたまんねェだろ…なァ?——マリモヘッド」
てめェ喧嘩売ってんのかこらァ!!
「バカだなァ。今おれが売ってるんじゃなくて、これから国王軍がお前に売ろうとしてんだよ」
「ならてめェも処刑されろこのパッと見ぐるりんぱ!!
やんのかパッと見腹巻きマリモ
 ゾロがダンと椅子の上に片足をついて立ち上がると、サンジもテーブルに片足を乗せて立ち上がった。5人分の高価そうなティーセットがガチャガチャと音を立てて揺れ——、

 ——ガンゴン!!
処刑
 あわや一悶着始まるかと思われたところで、ナミの拳骨が制裁を下した。

「あ、そうそう」そろそろ一味のペースに慣れてきたらしいジムが、たんこぶをこしらえぴくりとも動かなくなった二人には目もくれず、思い出したように再度口火を切った。
「気をつけろと言えば、数字の刺繍がついた黒マントにも注意してくださいね
「数字…?」
「わがフィリンシア王国は歴史こそ浅いですが、その軍事力は今や東の海最大規模…強大な力を持つ国王軍とはべつに、7つの傭兵隊が猛威を振るっているからです」
 ジムの言葉を受けて、拳骨の激痛から復活したサンジが「あ」と大声を上げた。何か重大な点に気がついたらしく、雷に打たれたような衝撃的な表情を浮かべている。「そうか思い出したぜ…」
「どうかしたの?サンジくん」
「ナミさん…おれ、船を降りる前にこの国の名前を聞いたことがあると言ったよな?ありゃ気のせいじゃなかった。『バラティエ』で働いてた頃に、客同士が話してるのを小耳に挟んだんだが…」
 サンジは頭の中の記憶をたぐり寄せるように目を細めて天井を仰ぐ。彼はつい先日まで海上レストラン「バラティエ」の副料理長として働いていたのだ。
「フィリンシアの7傭兵すっかり忘れてた。なんでも、手に負えねェ荒れくれ者ばかりが集まった海賊張りに凶暴な連中で、既にいくつかの島に襲撃をかけ、一つ残らず落としてきてるって話だぜ…」
何じゃそらァーっ!? じゃあおれ達、悪の巣窟みてェな島に漂着しちまったってことかよ!!?」
 ウソップが頭を抱えて情けない悲鳴を上げた。ジムはそれを無視して話を続ける。
「傭兵隊は全部で7つ。戦争に赴く時のみに召集されますが、奴らは全員、各部隊の数字を縫い付けたマントを常に羽織っているんです。だから遠目に見てもすぐ分かるハズ……もし彼らを見つけたら絶対に逃げてください。特に…」
 店内の空気がよどみ、一瞬、何もかもが止まったかのように思えた。
第2傭兵隊彼らには決して近づかない方がいい…」
 ジムの目が突然暗くなった。真剣そのものの表情には恐怖の色さえ感じ取れる。
「第2傭兵隊は7つの部隊の中でも最強と言われてるんです。偶然か必然か…この部隊には恐ろしい力を持つ者ばかりが集められていて、特に隊長・副隊長を含む上の5人には国家も警戒しているほどです…」




 ——ガッシャァアン!!
 けたたましい音を鳴り響かせ、雑貨屋の窓ガラスが粉々に砕け散った。続いて花屋の店先に並んだ植木鉢がドミノ倒しになぎ払われ、骨董品屋の看板がメキッと真っ二つにひしゃげて空中に放り出される。あたりはあっという間に恐怖に戦く女性達の悲鳴や商人の息を呑む声で満たされた。
「お、おい…アイツってまさか…!?」
「あァ、違ェねェ…“奴”だ…
 なす術もなく立ち往生する町民達。そんな彼らに見せつけるように、筋肉隆々の巨大な腕が大きく空を切り木樽に叩き付けられる。ボコッと鈍い音が上がり、木片がバラバラに飛び散った。
「うちの幹部をかわいがってくれたってのァ…どこのどいつだァ…?」
 きめの粗い肌に備わったカサカサの唇が、怒りに打ち震える野太い声を吐き出した。町民達は「ヒッ」と縮み上がる。
出てこいやコラァ!!
 獣の吠え立てるような怒号をまき散らしながら、ボガーティ海賊団船長“剛力のボガーティ”は、家具屋の扉を蹴り抜いた。粉々になった木片がアスファルトに投げ出される。いつも通りの平穏な賑わいを見せていたはずの町は、いつの間にか建物や商品の残骸でごちゃごちゃに散らかってしまっていた。
 突如暴れ出した脅威に戦慄し、騒ぎ立てる民衆。その騒音を払いのけるように、残骸を踏み砕く幽かな音が響き渡る。
「……お、おい…」
 誰のものともつかない声がぽつりと零れ落ちる。怒りで肩を弾ませるボガーティの背後に、フードをかぶった黒マントの人影が現れた。背中に刺繍された数字は——“2”




「まず1人目は——現役プロボクサー…“殺拳のアダム”
 ビシッと右手の人差し指を突き立て、ジムは呪詛を唱えるような声色で言った。彼の言葉に集中するあまり、店内は水を打ったようにしんと静まり返る。その中で、ウソップの喉がごくりと音を立てた。
「毎年全国規模で行われる格闘技大会を10年連続制覇している、体力自慢の化け物です。とんでもない馬鹿力で、奴に戦いを挑んだ者はほとんど病院送りになってるそうです…」
 サンジが「へェ…」と興味のなさそうな声を洩らす。しかしジムは「まだ序の口だ」とばかりに表情を深めた。
「2人目は…元海軍本部少佐“白雷のダリア”
 ジムの右手の中指が立つ。『海軍』の一言でナミがびくっと過剰な反応を見せた。
「度の過ぎた暴力が原因で海軍を追われ、逃亡の末流れ着いたこの地で雇われたという少々訳ありの厄介者です。続く3人目は、“鉤爪のデフロット”——」今度は薬指が立った。「——970万ベリーの懸賞金を懸けられているフダツキの悪党で、
過去に20人の無差別殺人を犯しこの島へ逃げ込んできた輩です。それから、副隊長“弓士フェオドール”」
 ジムの右手で小指が立つと、ウソップの肌にも恐怖で鳥肌が立った。
「もともとは別国の衛兵でしたが、自分の国を焼き払ったフィリンシアの傭兵に興味を示し、自ら志願してきたそうです。奴の放つ鋼鉄の矢は岩をも粉砕し、また遥か遠方からでも狙い違わず標的を撃ち抜くと言われています…」
なにィーん!!?
 ウソップの眉はハの字に垂れ下がり、眼球は眼窩から飛び出していた。「おいおい、狙撃はてめェの専売特許じゃなかったのかよ…」ゾロの気のない突っ込みが入るが、ウソップの耳には届いていない。
「聞くからにヤバそうな奴だぜ…よし。今決めたぞ。2番のマントを見かけたら、おれァぜってェ尻尾巻いて逃げる
「高らかに言うセリフじゃねェだろそりゃよ…」サンジが呆れ眼で呟いた。
「…戦慄するのはまだ早いですよ。ウソップさん」
 麦わらの一味のミニコントに割って入り、ジムは最後に残った親指を静かに立ててみせた。
「最後の1人……第2傭兵隊長…こいつの名だけは覚えておいた方がいい…」




「何だァ?このチビはァ…」
 突如現れた黒い人影を見下ろし、ボガーティは思い切り眉をしかめた。人影は踝までの長いマントを羽織り、顔を覆い隠すようにすっぽりとフードをかぶっている。フードの下に何が隠されているのかは計り知れない。その暗がりの中から吐き出される不気味な沈黙は冷気のように広がり、周囲を凍てつかせていく。
「お、おい…マジかよ…
「冗談キツいぜ…どうして奴がここに…!!?」
 ボガーティの暴走を見物しに群がっていた野次馬達は、一歩、また一歩と後退りをはじめた。黒マントの人影は靴の下に敷かれている瓦礫をザリザリと踏みにじり、ボガーティとの距離を詰めていく。
「………?」
 畏怖の視線を集めながら、ゆっくりとにじり寄って来る黒い影。気味が悪くなり、ボガーティは思わず後ずさりした。




「フィリンシア王国専属、第2傭兵隊・隊長…」
 ナミはジムの掲げた手が微かに震えていることに気がついた。まるで何か嫌な記憶を思い起こしているかのように、こめかみには脂汗がじっとりと滲み出ている。




「あんたが駄々なんかこねてるから、私の大事な町が随分と汚れちゃったんだけど」
「…あァん?」
 フードの下から聞こえたのは、ボガーティの思っていたよりもずっと若く、ずっとか細い女性の声だった。彼はその声を聞いた途端、胸の奥に僅かに芽生えていた恐怖心や警戒心といったものが瞬時に消し飛んだのを感じた。町民がやけに脅かすものだから、てっきり中身は化け物か何かかと疑い、身構えていたのだ。
「そりゃァそうだろうなァ。おれァそのつもりで町を荒らしてたんだからよォ」
 そういって、見せしめに店の壁をぶん殴る。石造りの外壁がボコッと抉れ、欠けた小石がそこら中にばらまかれた。フードの女が一体どんな反応を見せるのか、試してみたくなったのだ。自分の怪力に恐れをなして逃げ出すか、命知らずにも怒りに身を任せ食ってかかるか——思いつく選択肢はいかにも陳腐なその二つ。しかし相手は存外にも冷静で、彼の考えたどちらの手段にも出なかった。
「…片付けておきなさいよ」
 まるで小学校の教師が、教室に牛乳を零した生徒を優しくたしなめるような、穏やかな口調だった。その猫撫で声は、寧ろボガーティの気を逆撫ですることとなる。
「てんめェ…このおれをバカにしてんのか?誰に向かって命令してんだこのクソガキ」
「……片付けなさい」
 ほんの少し強められた語気。しかしボガーティは聞く耳を持たない。
「そんなにお片づけが好きなら、もっと汚してやるよ!! てめェの町ならてめェで掃除しな!!
 丸太のような腕や足が立て続けに振るわれ、通りに積み上げられていたあらゆるものを破壊し始めた。バキッとかメキッとか不穏な音が上がるたびに、破片や屑が散らかってアスファルトが汚されていく。
「……………」




「弱冠16歳にして傭兵軍最強……現役フィリンシア監獄看守長




やべェ全員逃げろ!! 巻き添えを食らうぞ!!
ここから離れろォ!!——イーヴィだイーヴィが暴れるぞォオオ!!
 バタバタと馬のような足音を轟かせ、通りにいた人々が血相を変えて逃げ出した。尋常ではない慌てっぷりにボガーティはポカンとして周囲を見回していた——が。
 ——ガシッ。
 ボガーティはふいに圧迫感を感じた。喉元に。
「この私の目の前で町を汚すとは見上げた根性ね…」
……!!!
 黒いマントから伸びる白く細い腕が、ボガーティの太い首を鷲掴みにしていた。その力といったら、ボガーティが今まであらゆる戦闘で体験してきたどの腕力より、何十倍も強大だった。ギリギリと加えられる圧力に、彼は大きく咳き込む。慌てて腕を払いのけようとするが、その手もまた強い力で捉えられた。
「そのムダな度胸に免じて、今回は私が代わりに片付けておいてあげる」
 そう言うなり、彼女はブンと腕を振ってボガーティの巨体を軽々と投げ飛ばした。タイヤのような強靭な肉体がボロボロに大破した木箱の上に叩き付けられる。紫色の唇から聞くに堪えない呻き声と血反吐が溢れ出した。
「んで、ついでだから、あんたも片付けとくことにした」
 けろっとした、まるで悪びれる気配もない軽口。
このアマ…フザけてんじゃねェぞコラァ!!
 ビリビリと空気が揺れる。起き上がったボガーティは肉食獣のような獰猛な咆哮を上げ、怒り筋を浮かべて彼女に殴り掛かっていく。赤子の頭とも見紛える巨大な拳が空を切り——。




「 女傑じょけつのイーヴィ” 」




 ——ポタ…。
 幽かな音を立てて、真っ赤な血が滴り落ちた。
かハっ…
 掠れた声で呻きを洩らすボガーティの体は、全身の皮膚が赤黒く変色し、あちこちに痛ましい傷が刻まれている。指先を伝って鮮血が滴る。目も当てられないほどに痛めつけられたその哀れな姿には、もはや脅威のかけらも感じられない。吹き抜ける風に突き飛ばされたかのように、どさっと膝をついて、そこから崩れ落ちるように倒れ込む。
 ——微風にのってゆらゆら揺らめく、黒マントの足元で。




「女傑の…イーヴィ…?」
「一つ確かなのは、男の名じゃねェな」
 ナミがジムの口から繰り出された耳慣れない名を復唱すると、サンジが確信めいた口調で言った。「確かに」とゾロは目を細める。これまでに名前の挙がった4人は全て男だったし、そもそも傭兵の中に女性の名前が出て来るとは思ってもいなかった。しかも「隊長」とくれば、相当強いはずだが…。
「お、女なのにそんな強ェのか!?」
 窓の外に視線を投げていたルフィが、急に話に食いついてきた。
「あ…確かルフィさんは強い女性の清掃士をお探しなんでしたっけ…」
 ジムは困ったように頭を掻いた。期待に目をキラキラ輝かせているルフィを前に、何やら言いにくそうな顔をしている。
「そういえば、“あの人”は割と掃除が得意な方だったと思いますが……でも、あまりお仲間にはふさわしくないかと…」
「えーっ何でだ!?」
「…いや、正確には“人”ではないか」
「人じゃない?どういうことだ?」
 ゾロが片眉を吊り上げて問うた。テーブルの上で組み合ったジムの指が、気まずそうにモジモジし始める。この話題を続けることを躊躇っている様子だ。しかし一味が催促するような目を注ぎ続けていると、彼はやがて意を決したように、ゆっくりと口を切った。そして、衝撃的な一言がその唇から紡ぎ出される。

「彼女は……イーヴィは人間じゃない…“女傑人”なんです」