「じょっ…」
「ぢょ…」
「じょ…」

「「「じょ…女傑人~!!?」」」

 休業中であるはずの店内に、3人分の騒がしい叫び声が響き渡った。ナミ、ウソップ、サンジは、口を絶叫した時の形に開いたまま、あまりの衝撃で硬直してしまっている。
「ジョケツジン?」きょとんと首を傾げるルフィ。
「 ? なんだ?知ってんのか?」ゾロもさっぱりという顔だ。
 あまりにも無知な様子の二人を見て、ナミとウソップは少なからずショックを受けた。
「あんた達知らないの!?よくそんなんで海に出ようと思ったわね!!
「じょじょじょじょ女傑人っつったら、せせせ世界政府直属の軍事種族じゃねェか!!
 吃音たっぷりに力説するウソップの隣で、サンジもうんうんと頷いている。しかしゾロはぽかんと首を傾げ、「聞いたことねェな」と一蹴してのけた。
「聞いたことないって、あんたねェ!! 女傑人なんて、毎日のように新聞に出てくる単語よ戦を生活の糧にするような、野蛮な傭兵種族大きな戦争があれば必ず顔を出してるんだから」
「なんだ、みんな強ェのか?」
 ルフィが空になったティーカップを玩びながら訊ねた。
「そりゃそうだろ。戦闘特化型の種族なんだから」
 サンジが二本目のタバコに火をつけながら呆れたように言った。ルフィとゾロはますます疑問の色を深める。
「う~ん…なんて説明したらいいのかな…」
 ジムは困ったように頭を掻いた。常識だと思っていた脅威が伝わらなかったことで、少なからず狼狽している様子だ。
「女傑人というのは、巨人族や魚人と同じ人型種族の一つですよ。女傑人はその中でも最も人間に近い姿をしていて、見た目にあまり相違はないんですが…」
「唯一、私達人間とは大きく違った習性があるの」
 説明に困って失速したジムの話の続きを、ナミがすかさず受け継いだ。
「男女の力関係が逆転してるのよ。それが『女傑』と呼ばれる所以」
「逆転…?」ゾロが眉をひそめる。
「お金を稼ぐのも、政権を握るのも、戦争に赴くのも、女傑人にとっては全て女の仕事なの。まあ、最近は男も戦争に出たりしているらしいけど、女の力には敵わないそうよ」
「何じゃそりゃァ。男のくせに情けねェな…」
 ゾロが素直に感想を述べる。しかしジムは「いや」と静かに首を振った。
「単に逆転しているだけならそうも思えるかもしれませんが…彼らは戦闘特化型種族。女傑人は男も女も生まれつき身体能力が高く、その腕力は人間の男の数倍にも及ぶといわれています。その中で女が優位な立場に立っているのは、女傑人の女に、男には決して持ち得ないある特殊能力が備わっているからなんです」
「なんだ。不思議女か」
 ルフィのよく分からないまとめ方はこの際無視しておく。
「特殊能力…?」
 ゾロがオウム返しに訊いた。ジムは神妙な顔をして深々と頷く。
「…残念ながら、一体それがどういった類の力なのかは明らかにされていません。どこどこの戦地に赴いたとか、そういうニュースはよく耳にしますが、何しろ社会性の低い民族なので、徴兵されない限りは王国から出てきませんから…」
「目からビームが出るんだろ」
 ルフィが楽しそうに言った。ナミは「バカね」と切り捨てる。
「昔読んだ絵本には、心を読む能力があるって設定で出てきたわ」
「おれは空を飛べるって噂を聞いたな」とウソップ。
「おいおい、冗談だろ。きっと治癒能力があるのさ。戦場を駆けるナイチンゲール。可憐じゃねェか」
 サンジがやけに確信めいた口調で言った。ジムは4人それぞれの好き勝手な妄想に「ハハ…」と苦笑いを洩らした。
「しっかし、腑に落ちないわね…」
 ナミが言った。彼女の細い指は、継続的にテーブルの表面をトントン叩いている。
「女傑人といったら、今や世界政府の持つ最大戦力。悪くいえば政府のイヌ。そんな奴がどうしてこの国に…?しかも話を聞けば女だっていうじゃない。この国に女傑人の女を雇えるような大金があるとは思えないけど…」
  確かに、と一味の5人は首をひねった。政府の味方になるような大物を雇うには、莫大な金がいるはずだ。戦争中というわけでもないのに、普通、たかが傭兵ごときにそんな大金をつぎ込むだろうか。
「言ったでしょう、彼女はこの国の上役に警戒されている…」ジムが首を振りながら言った。「彼女は何も雇われてここにいるわけじゃないんです」
「どういうこと…?」
「イーヴィは……幼い頃、一族に捨てられた身なんですよ…」
 予想外の切り返しに、ナミは言葉を失った。しかし、それを語るジムの目には憐れみのかけらも見受けられない。まるで小説のあらすじを語るように、淡々とした目つきをしている。
「海を彷徨っているうちに海軍に拾われ、この国の前国王に預けられたんですが……そのせいか、彼女は前国王の危険思想を受け継いでしまって…化け物である上に危険分子とみなされ、国民から煙たがられているんです」
「危険思想?ここの前国王は…国民に嫌われていたのか?」ウソップが口を挟んだ。
「いいえ。彼はとても素晴らしい政治をしていた。表向きには」
「表向きには…って」
「数年前、彼の独裁政治に異論を唱える者達が出てきて、支持率は著しく低下したんです。そこで浮上した、側近の公金横領疑惑。そしてある事件が決め手となって、彼の弟に王座を奪われたんです。王権交代によって国はみるみる景気も良くなり、今ではすっかり前国王は悪者扱いされています…」
「なるほど。それで、前国王に娘同然に育てられた、そのイーヴィって子が危険視されてるわけね」
 ナミがははーんと訳知り顔で話をまとめた。ジムは「その通り」と頷いてみせる。
「今のところは大人しく傭兵や看守の仕事を全うしてて…特に怪しい動きもないし、なかなか捕らえられないみたいです」
「ふぅ~ん…」
「よしっ
 これまでずっと押し黙っていたルフィが、突然膝をぴしゃりと叩いて声を上げた。何だか嫌な予感がして、ナミとウソップは目を細めて彼を見やる。ルフィは一息大きく吸い込むと、2人の「嫌な予感」に応えるように、まったくとんちんかんな言葉を口にした。


「決めたそいつを仲間にしよう!!


 ——間。

あんた人の話聞いてたの!? どう解釈したらそういう結論になるのよバカ!!!
「聞いてたよ。すげェ強ェんだろ?」
だから危険なんじゃねェか!! 何でわかんねェんだよお前はァ!!!
 ナミとウソップにガクガクと体を揺さぶられ、必死な怒号を浴びせられるルフィ。ゾロとサンジは和やかに紅茶を啜りながら、呆れたようにその様子を眺めていた。
「ま、あいつに小難しい話しても通じると思っちゃいなかったがな」
「別に反対はしねェが…そのイーヴィちゃんって子は、傭兵である以前に監獄の看守なんだろ?いくらおれ達が誘ったところで、海賊なんて悪党に成り下がろうとは思わねェだろうよ」
「違ェねェ」
 ゾロはハハッと笑い飛ばした。

 その時、厨房の方から物音がして、「ジム」と青年を呼ぶ声が飛んできた。一同の視線が彼に集まる。ジムは慌てたように立ち上がると、先ほど脱いだエプロンを引っ掴み、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません…皿洗いの途中だったんでした。ちょっと戻りますね——あっ、そうだ。よかったら何か召し上がっていきませんか?ケーキくらいならごちそうしますよ
「ホントか!?」
 ナミとウソップの手を振りほどき、ルフィが目をキラキラさせて飛び上がった。彼は食物に目がない。胃袋は底なしだ。
「もちろんです。助けて頂いたお礼ですから」
「じゃあ、この店のケーキ全種類つくってくれ
 まったく無遠慮である。ナミは思わずぴしゃりと額を叩いた。自分で助けておいて店を潰す気なのだろうか。ところが、驚いたことにジムは嫌な顔一つしなかった。一瞬驚いたように目を丸めたものの、またすぐに人なつこい笑顔に戻り、
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
 と、易々了承したのである。これには皆面食らった。
 ジムは一味の驚愕の視線を浴びつつ、何食わぬ顔で厨房へ戻っていく。彼の人柄のよさも底なしか…ナミはありがたいやら心苦しいやらで、複雑な表情を浮かべることしかできなかった。
***
「プルルルル プルルルル…」

 携帯していた子電伝虫がマントの中で声を上げた。町民のいなくなった通りにひたすら箒を走らせていたイーヴィは、手を止めて服の中をまさぐる。その間もひっきりなしに鳴り続けていた電伝虫だが、イーヴィがようやく探し当てると、「ガチャ」と一声上げて静まった。
「はいはい。こちら傭兵クリーニング。ご依頼ですか?」
『看守長フザけてないで早く戻ってきてください!! 副業の任務は終わったんでしょう!?』
 電伝虫が発したのは、本職フィリンシア監獄での部下の声だった。いつになく慌てた様子に、イーヴィは顔色を変える。
「どうかしたの、そんなに慌てて…あっ。ひょっとして囚人脱走でもあった?」
『そうじゃないんです。たった今、警察のかたから連絡があって…』
「警察から?なんだ。じゃあ、誰か連行されてくるってことか」
 確か今日は国王軍が任務で町に出ているはず…連中に捕まらなかったとは幸運な奴だ。彼らに見つかれば待ち受けているのはその場での処刑である。
「そういやこっちも一人捕獲したわ」イーヴィが嬉しそうに報告する。「傭兵の方の任務報告の帰りに出くわしたんだけどね、誰だと思う?それがさ……“剛力のボガーティ”だったのよついにって感じよね」
 イーヴィは電話口の向こうから驚愕と感動の声が返ってくるのを期待していたが、実際に返って来たのは彼女の予想に反するリアクションだった。
『ボガーティといえば500万ベリーの賞金首ですよね……イーヴィさんも賞金首を…?』
「ん?どういうこと?」
 “も”…?——イーヴィは眉をひそめた。
『そ……それが…』
 部下は戸惑った声調で、イーヴィの問いに答えることにためらいを見せた。ややあって、彼は震える調子でゆっくりと、
『先ほどの通報によると、どうやら連行されてくるのは——』

『3000万ベリーの賞金首…“麦わらのルフィ”らしいんです…』
***
 丸々としたイチゴの乗ったショートケーキに、黄金のレアチーズケーキ、宝石のようなフルーツがふんだんに盛り込まれたロールケーキ、光沢のあるチョコレートケーキ……見ているだけで頬が落ちてしまいそうなケーキの数々が、麦わらの一味の前に披露された。色とりどりのスイーツがズラリと並んでいるさまは、昼食後の膨らんだお腹にも食欲をそそる。
うひょーっんまほーっ!!
 ルフィはよだれを垂らしながら大はしゃぎだ。
「ほんとっおいしそーっ
「ああサンジのおやつもいいが、こっちも相当うまそうだ」
 ナミとウソップも先ほどの怒りなど都合良く忘れ去り、テーブル上に所狭しと並べられた更に目を輝かせた。サンジはタバコをふかしながら、少々感心したように「へェ…」と笑みを浮かべている。
「なかなかうまそうじゃねェか。これなんか特に…」
 サンジは中程に置かれていた皿を取り上げ、甘い匂いを放つクリームにそっと鼻を近づけた。
「………」
「たんと召し上がってくださいねルフィさん達のために心こめて作ったんですから
 ジムが額に滲んだ汗を拭い、嬉しそうに言った。
「しししいっただっきまーす!!
 ルフィは嬉しそうな叫び声を上げ、早速テーブル端に置かれていた皿に手を伸ばした。ルビーのように真っ赤な果物の実が乗せられた、宝箱のような豪華なものだ。ジムの差し出したフォークやスプーンなどには目もくれず、ふわふわのクリームを纏った柔らかなスポンジを手づかみで皿から取り上げる——。

待て食うな!!

 サンジの鋭い怒声が店内を揺らす。直後、キーン…と耳鳴りのしそうな沈黙が訪れた。今まさに甘いスポンジを口へ運ぼうとしていた一同は、彼の剣幕に驚いて硬直した。
「どうしたんだよ、サンジ…」
 ウソップはドキドキしながら隣の金髪を見上げた。サンジはロールケーキの載った皿を右手に持ったまま、今度はショートケーキの皿を手に取り、顔を近づけて諸にクンクンにおいを嗅いだ。普段のサンジらしからぬあまり上品とは言えない行為に、ナミは目をしばたいた。
 やがてサンジは二つの皿をことんとテーブルに返し、ポケットに両手を突っ込んでゆっくりとジムを振り向く。
「はァ…お前はいい奴そうだと思ったんだがな。危なかったところを助けてもらったようだし、船長のワガママに嫌な顔一つせず応じてくれた。何より、自分の店の味に誇りを持ってる。海賊に楯突いてまで、そのプライドを守り抜こうとしたんだ。そうそうできることじゃねェぜ…」
 サンジが一言紡ぐたびに、銜えられたタバコの先が上下する。白い煙が筋を描いて空中を漂った。
「おれァ長年海でコックをやっててね…本物の飢餓地獄も一度味わってる。食材は食べカスだろうと粗末にしねェし、出されたもんも残さず頂くのがおれのポリシーだ。だがな——」
 一度息を整えるように言葉を切ると、店内に重苦しい沈黙が走った。
「いくらおれでも、これは食えねェなァ…」
 渦巻く眉の下で、ブルーの右目がギラリと鋭く光る。
てめェ、何入れやがった…!?
 その一言で、ナミは青ざめてフォークを放り投げ、ウソップは口に入れかけたケーキを皿に戻した。ゾロはというと、腕組みをしたまま猛禽類のような鋭い目をじろりと転がしてジムを睨みつけている。一同からの疑惑の視線を受け、ジムはしばらく何も言わずにサンジを見つめ返していたが、やがて「フフっ」と取りこぼしたように笑った。
「参ったよ。サンジさんがそこまで腕のたつ料理人だったとはね…」
 皮肉的な言い方は、自分の犯行を認めているのと同じだ。サンジは小さく「てめェ…」と唸った。
「彼のいう通りだ。ここに出ている品物の全てに、軽い睡眠薬を仕込ませてもらいました。いくら店を助けてくれた恩人とはいえ、3000万の懸賞金を懸けられるような悪党とその子分達を、大切な町に野放しにできるわけないじゃないですか」
「気付いてやがったのか…」
 ゾロが呟いた。驚いているというよりも、呆れの色が混じった声色だった。
「だけど感謝はしてくださいよ。国王軍には捕まらないよう、彼らを手配してあげたんですから…」
「何…!?」
 サンジが眉をひそめて聞き返そうとしたが、問いかけの言葉が最後まで続けられることはなかった。

 ——バァン!!

 勝手口のドアが外から蹴破られた。蝶番ごと木の板が吹き飛び、空いたテーブルに叩き付けられる。一味が音源を振り向くのとほぼ同時に、今度は正面扉がガラスを噴いた。粉々に砕け散った入り口から、緑色の隊服を纏った連中が銃を持って押し入って来る。
「くそっ、さっそく来やがったか
「手際のよろしいこって
 ゾロとサンジは合図があったわけでもなく背中合わせになり、腰を低くしてそれぞれの応戦体勢を取った。
「緑の隊服…!?こんどは一体どこの軍隊よ!?」
 ウソップと抱き合って壁際まで後退りしながら、ナミが金切り声を上げた。
 軍隊は素早く店内になだれ込むとあっという間に一味を包囲し、手にしたフリントロック式の銃をジャキッと構える。
「我らセントフィリンス警察麦わらのルフィ含む海賊の一味5名が飲食店『スタリーデール』にて略奪行為を働いているとの通報を受け参りました!!
な…!!
 ナミが絶句する。確かにただでケーキ全種類をご馳走になろうとはしていたが、それはジムの厚意によるものだ。間違っても略奪なんてした覚えはない。
やっぱこいつおれ達のこと騙してやがったのか」ウソップが叫んだ。
 見れば、ジムの姿はもうどこにも見当たらない。警察の突入に紛れて店の奥へ逃げ込んだに違いない。ゾロは「クソったれ」と悪態をつき、腰の刀に回した手でグッと柄を握り締めた。銀色の刀身が鞘からその片鱗をのぞかせる。
「おいルフィお前が厄介なモン助けちまったお陰で、随分とめんどくせェことになったみたいだぜ…おれ達がここで手を出しても構わねェよな——って」
ぐー
「「話聞いてなかったのかてめェ!!!」」
 ——食うなっつったじゃねェか!!
 いびきをかいて眠りこけている船長に、ゾロとサンジは牙と目玉を剥いて怒鳴りつけた。いつの間にか、テーブルに出されていた皿は一つ残らず空っぽになってしまっている。
「っかーったく、ウチの船長はつくづくおれァとんでもねェ野郎についてきちまったぜ…
 サンジは金色の後頭部をガシガシと掻き回し、困り果てたように舌打ちした。
おい貴様ら!! 動くな!!
 今度は何だと振り向いた二人の目に、信じられない光景が飛び込んできた。鼻の長い狙撃手と、オレンジ色の髪の美少女航海士。二人のクルーがこめかみに銃口を突きつけられ、涙を流しながら人質となっていたのである。
「ナっ、ナミさん!?」
ナミウソップ何やってんだよボケ
「わーゾロごめーん!!!
 怒り心頭のゾロに、ウソップは声を上ずらせた。
 3つしかない戦力の1つが寝潰れ、味方の2人を人質にとられる。まだ戦闘は始まってもいないのに、これで麦わらの一味の形勢は一気に不利になった。あいにく、大事な仲間を見捨てて自分達だけ逃げ出そうなんて薄情なアイディアは、二人の頭には浮かんでこない。
 ギリギリと悔しそうな歯噛みを残し、ゾロとサンジは観念したように白旗を揚げた。