「…で、これは一体どういうことです」
 腕組みをして迫ってくる鬼軍曹に対して、イーヴィは引きつった笑いを洩らした。

 フィリンシア城
 大広間

 繊細な金細工が施された純白の壁、ふかふかした真紅の絨毯、クリスタルガラスのシャンデリア。体育館が丸ごと入りそうなほど広い部屋いっぱいに、ガツガツと下品な音が響き渡っている。執事や給仕長らはさも不快そうに顔をしかめ、イーヴィも似たような目つきでその音源を睨みつけていた。しかし、上座に座るファーガスだけは、ニコニコと人懐こい笑顔を浮かべて楽しそうに食事を続けていた。
「ナハハハハ食いつきのいい男の子は見ていて楽しいもんじゃのう」
「王さま…あのね」
 イーヴィは呆れ果ててその先を言えなかった。騒ぎの元凶——国王が連れ込んだ少年ジムは、周りの目も気にせず、肉やパンを手づかみでめちゃくちゃに口の中へ押し込んでいる。
「いやァ〜、やはり食事は人数が多い方が賑やかでいいのう」
 ファーガスが朗らかに言った。
「『賑やか』で済む話ではないでしょう
 イーヴィの傍に控えていた老人が声を荒げた。イーヴィとファーガスはびくりと縮み上がった。

国王側近(当時)
スタンリー

 スタンリーはファーガスとそう歳の変わらない白髪の老人だった。厳格そうな顔立ちで、白い両眉は今にも直立しそうなほど高々と吊り上がっている。先ほどからひっきりなしに聞こえてくる下品な音に加え、そんなおっかない男がすぐ目の前にいるのだ。落ち着いて食事どころではなかった。
(スタンリーのじいさん、王さまがまた執務ほったらかしにしたから機嫌悪いんだ…)
 生きた心地がしない。まるで地鳴りのする活火山の麓にレジャーシートを敷いて座っているような気分だった。
「この下品な子どもは一体何なんです国王、あなたの連れでなければ、今すぐつまみ出してやりたいところですよ」
「ナハハそうカッカしなさんなよスタンリー」
誰のせいで“カッカ”してるとお思いなんですか!!!
 イーヴィはテーブルクロスの端に意識を集中し、ファーガスがさっさと頭を下げてくれればいいのにと強く念じた。
 その時、スタンリーの“カッカ”のもうひとつの『元凶』がようやくフォークを手放した。口の周りはあらゆるソースが混ざり合ったものでベトベト、すり切れた襟にまで食べカスが飛んでいる。綺麗好きのイーヴィは我慢ならず、「いっ…」と盛大に顔を引きつらせた。
「よーし腹ごしらえは済んだぞ!!
 随分と横暴な「ごちそうさま」の挨拶だとみんなは呆れた。ジムは空っぽになった皿を奥へずいと押しやると、思い出したようにきりっとして、上座の国王を睨みつけた。
「覚悟はいいか、国王め!! 今こそ決着をつけてやる
 テーブルの上のナイフをつかみ取り、椅子を蹴って威勢よく飛び出した。しかし、ファーガスは慌てなかった。たとえ凶器を所持していようと、ジムの突撃などまったく脅威ではなかったのだ——ジムの手が上座に伸びたまさにその瞬間、真横から漆黒の風が吹き荒れ、ジムの華奢な体を丸ごと攫っていった。
ギャーッ!!!
「おぉ。ナイスじゃイーヴィ
 ファーガスはまるでサッカーの観戦でもしているかのような気楽さだった。
「……まったく…何度も何度も…」
 イーヴィは呪うようにブツクサ言いながら、容赦なくジムの頭を床に押しつけた。
「放せ、怪物女!!
 怪物女と罵られては言うことを聞いてやる義理もない。イーヴィは無言で靴底に体重をかけた。
「ムグ〜ッ!! ○※■△×@*★‰〜!!
「フン。何言ってるかわかんないもんね〜だ」
「〜〜〜!!…っの、わかお゛んあ!!
 イーヴィは何となく「バカおんな」と聞こえたような気がしたので、ジムの頭をごつんと蹴飛ばしておいた。ファーガスとスタンリーは思わず顔を見合わせた。
「…あの二人、案外相性いいんじゃないか?お笑いコンビみたいで」
「さあ、どうでしょう…」

 ジムはイーヴィが思っていたよりずっと根気強かったようだ。それから小一時間ほど、似たようなやり取りが飽きるほど延々と繰り返された。大人たちときたらジムの暴走をポカンと眺めているだけで、誰一人として止めようとしない。おかげでイーヴィはすっかり食事どころではなくなってしまった。
「国王、覚悟〜っ!!!
 同じ台詞をこの数十分の間で何度聞いたか分からない。ジタバタ暴れるジムを押さえ込みながら、イーヴィはやれやれと溜め息をついた。
「王さま〜、いい加減どうにかしてよォー…」
「えー」ファーガスはあからさまに面倒臭そうな声を上げた。「やじゃよ。子ども同士のケンカじゃろ」
これのどこが
 思わず野太い声を上げてしまった。ジムはイーヴィに踏みつけられたままだったが、興奮した猫のようにフーフー言いながら、執拗に国王へ襲いかかろうとしていた。
「——思いっきり王さまが狙いだよ…」
「国王」
 スタンリーの呼びかけにファーガスは顔を上げた。
「例の件について、少しお耳に入れておきたい事が…」
「ム…そうか」
 大騒ぎの子ども達などそっちのけで、ファーガスは飲みかけのコーヒーカップをソーサーに戻し、立ち上がった。国王が夕食の時間中に席を立つなんて滅多にないことだったので、イーヴィは不審に思って眉根をよせた。それに——「例の話」だって?一体何のことだろう…。気になって仕方なかったが、ファーガスの後を追うことは出来なかった。退席する国王を見て、ジムがまた暴れ出したのだ。
あーっ待てよどこ行く気だ!? 怖じ気づいたのかよ!!?
「あーもーうるさい」イーヴィはうめいた。
「おい待てったらムシすんじゃねェ、このボケ女傑人オタク!! つるピカハゲジジィ!!!
 ジムがどんなに大声で悪口雑言の限りを尽くそうと、ファーガスはさっぱり気に留めなかった。国王はスタンリーを連れ、イーヴィに一言も断らずにさっさと大広間を出て行ってしまった。
「くそっ、逃した…」
 憎き仇の姿が見えなくなると、ジムは荒々しい舌打ちを最後に急におとなしくなった。イーヴィはまだ八十パーセントくらいは腸が煮えくり返っていたが、流石にいつまでも足の下に人間を敷いておくわけにもいかないので、しぶしぶ子どもの上からどいてやった。
「フーッ」
 久々に立ち上がったジムは、肩を回しながらわざとらしい溜め息をついた。
「あとちょっとで腰の骨が曲がるかと思ったぜ。お前、ダイエットした方がいいよ」
「るっさいわね余計なお世話よ!!
 また踏んでやろうかと悪しき衝動がこみ上げてきたが、なんとか理性で押しとどめた。
「…それより……あんたさ、どうしてそんなに王さまのこと嫌うの?」
 純粋な疑問だった。年下か、同い年か——どちらにせよ自分とさして変わらぬ年頃の子どもが『国王討伐』なんてマセた考えを持つなんて、おそらくただごとではないと思っていた。
「うるせェな。お前には関係ないだろ」
 ジムがつっけんどんに言った。
「あるよ」イーヴィは即座に言い返した。「私、王さまの“娘”だもん」
「“娘”ェ?——ウソつけ!! だって、王は人間で、お前はジョケツ人だろ?」
 あんまり力一杯否定するので、イーヴィはまたカチンときた。
「そりゃ、確かに本当の親子じゃないけど…でも、王さまは私のこと娘みたいにかわいがってくれるもん」
 言いながら、いじけた子どもみたいだと自分でも恥ずかしくなった。それでもジムは笑わなかった。子どもの癖にちょっと真面目くさった顔をして、「うーん」と考え込む仕草を見せた。
「…お前さ、なんで町のみんなに嫌われてるか分かってる?」
 ジムの言葉に脈略と遠慮がなさすぎたので、イーヴィは一瞬何と言われたのか理解できなかった。
「何て?」
「だからー…」
「分かってるわよ」イーヴィはムスッとして答えた。「みんな、私が怖いからでしょ」
「それだけじゃないね」
 イーヴィはきょとんと首を傾げた。「他に何があるっての?」
 疎まれる理由——そんなもの、ずっと分かりきったことだと思っていた。『人間』と『女傑人』同士であるが故の、乗り越えようのない分厚い壁。しかし今、ジムに否定されて初めて、イーヴィは自分のその見解が、ある残酷な“真実”を覆い隠すためのものだったと気づいてしまった。
「何がって——だってお前、『外人』じゃん」
***
 スタンリーはこめかみをつっつきながら、やれやれと溜め息をついた。「話がある」と連れ出された国王は、扉の隙間に“愛娘”の姿を覗きながら、たまならそうにくねくねと身をよじっている。
「あぁ〜ん♡あの理不尽に乱暴な荒々しい姿…なんってかわいいんだイーッたん
「ゴホン——国王、マジメな話なんですけど」
 スタンリーの咳払いで、ファーガスはようやく我に返った。きりっと表情を正すと、奇妙な風貌が余計に目立った。
「そ、そうだったな。ウム。で、何事じゃ」
 言いながら、ファーガスの目はスタンリーの強面と背後の扉の間を名残惜しそうに行き来した。
「…気が散るなら場所を変えますか?」
「ヤだ。すぐ戻りたいもん」ファーガスが即答した。
「そうですか。なら集中してお聞きくださいよ」
 スタンリーはまた「オホン」と咳払いを置いた。
「『あのお方』が戻って来られます」
 とたんにファーガスは顔をこわばらせた。「例の話」と言われて、一瞬身を引き締めたのは確かだったが、こうも唐突に事態が進展するとは思ってもいなかったようだ。
「そりゃ確かか」
「ええ。残念ながらそのようです。見張りの者から直接電伝虫の報告がありましたのでね」
 スタンリーがきっぱりと告げた。ファーガスは顎にそっと手を添えて、「ウーム」と低く唸った。
「例の島から、船でまっすぐどれくらいかかる?」
「どうでしょう。少なくとも二週間以内にはご到着なさるのでは…」
「そうか…」
 静かに相づちを打ったファーガスの横顔に、スタンリーはゆっくりと語りかけた。
「国王——ゴホン——あのお方がここへ戻って来られる前に……決断していただかなくてはなりません…」
「なにをだ」
 そう聞いておきながら、国王は答えが分かっているようだった。
「イーヴィのことです」
「………」
「国王があの子をどれだけ大切にお思いかはよく存じ上げておりますよ。しかし、あなたのその愛が、逆にあの子に肩身の狭い思いをさせてしまっていることくらい、あなたもお気づきでしょう」
 ファーガスは答えなかった。というよりも、口答えができなかった。スタンリーが突きつけてきたのは、ファーガスがずっと目を背けてきた側面だった。
「あなたは町の者とは違います。あなたが毎日召し上がる食事も、いつもご覧になっている豪華な装飾も、税で揃えたものです。汗水垂らして働く国民から徴収した税です。そんなあなたが他国の子どもを拾って育てようなど、言語道断ですよ。わたしだって——」ここでスタンリーは、言いにくそうに咳払いした。「——ゴホン——わたしだって、多少は」
「——多少、か」
 ファーガスはゆっくりとくり返した。スタンリーが弱々しくうつむく。
「あなたが何とおっしゃろうと、あの子の風当たりは強まるばかり……なにより、王の信頼が失われつつある」
 ピクリとファーガスの指が揺れた。
「ご自分の立場をよくお考えになって下さい」
 二人の老人の間を行き交う、針の落ちる音さえ拾えそうな沈黙。それは重度の緊張感を伴っていた。そのせいか、王は、扉の合間からひっきりなしに聞こえていた喧騒が、いつの間にかぱったりと止んでいたことに気づかなかった。

 大広間に戻ったファーガスは、一人寂しくオレンジジュースをすするイーヴィの後ろ姿を見て首を傾げた。ジムの姿がどこにも見えない。まさかまた『ヤミうち』を企んでテーブルの下にでも潜んでいるのではと疑ったが、それならばイーヴィが大人しくしているはずがない。
「ジムはどうした?」
 返答がない。まさか反抗期からくるシカトというやつだろうか?——ファーガスは不安になった。
「…イーヴィ?」
 後ろからにゅっと顔を覗き込むと、イーヴィはビクッと肩を震わせた。
「あ、王さま。おかえりなさい」
 たった今ファーガスの登場に気づいたようだ。無視されていたわけではないらしい。
「さっきも聞いたが、ジムはどうした?トイレか?」
「あー…」イーヴィはジムの席を振り向いて答えた。「さっき帰ったよ。院長にどやされるって、青い顔して……」
「フム、そうか」
 これでようやくゆっくり紅茶が飲めそうだ。ファーガスは腰に気を遣いながらゆっくりと席に座った。
「あ、私、もう寝るね」
 ファーガスの指がティーカップに触れた時、イーヴィが不自然に立ち上がった。ちらりと時計を確認するが、まだそんな時間帯ではない。
「随分早いな。疲れとるのか?」
 イーヴィは肩をすくめただけだった。どことなく様子が妙だ。
「じゃあ、おやすみ」
 イーヴィはテーブルナプキンを置くと、小さな手をひらひらと振り、大広間を横切っていった。黒いワンピースに包まれた背中が、いつもよりも小さく頼りないように見えた。今日一日中ジムの相手をさせられてくたびれてしまったのかもしれない。明日になればまたいつも通りに戻るだろう。ファーガスは一口紅茶を口に含み、それから挨拶を投げかけた。
「おやすみ」
 戸口のところで、イーヴィは一旦足を止めて振り返った。ファーガスの気遣わしげな目を見て、フッと表情を和らげる。
「——うん」
***
 “東の海イーストブルー
 コノミ諸島近海

 一隻の豪奢な船が、黒い海面の上に浮かんでいた。夕方になって現れた分厚い雲は空を完全に覆い尽くし、月は姿を隠してしまった。だが、その船には航路を照らす十分な明かりが備わっていた。船の名は“セントフィリンス号”。五、六メートル先すら見渡せないような暗闇の中、セントフィリンス号は進路を見誤ることなく、水面を滑るように進んでいく。
 今日もいつもと同じ。取り立てて何事もなく、平和だった一日は終わりに近づきつつある。甲板にはまだ何人かの船乗りが残っており、食後にゆるりと一服していた。仕事を終えたコック達、休憩中の航海士や通信士、そして、ベージュの隊服を着た逞しい男達——フィリンシア国王軍の兵士だ。
「ふぁ〜あ…」
 警備中の衛兵がひとつ欠伸を洩らしたとき、ドアが小さく開いた。中から出てきたのはスーツ姿の中年男性。脇に銀の盆を抱えている。衛兵が姿勢を正して敬礼すると、男は軽く会釈で返した。
「レイダーさまは?」
 給仕士が立ち上がって聞いた。
「先ほどお休みになられた。長旅でお疲れのようだ…」
「でも、もうそう長くはかかるまい。あと一、二週間足らずで故郷が見えてくるはずだ」
 航海士が気楽そうに言った。その言葉で、船乗り達の顔はホッと緩んだ。
「だがまだ油断は禁物だ」衛兵の一人が胸を張った。「近頃はこの辺りでも海賊船の目撃情報が後を絶たないと聞いた」
「まったく、物騒な世の中になったもんだ」
「おい、不寝番。異常を見つけたらすぐに報告するんだぞ。レイダーさまに万が一のことがあっては大変だからな」
「了解兵隊さん」
 見張り台に寄りかかっていた船乗りが手を振った。
「なんだ。今日の不寝番はあいつか。んだか頼りねェなァ」
 船乗りがドッと笑い声を上げた。不寝番は気に食わなさそうに顔をしかめると、側にいたコックに声をかけた。
「じゃあ、コックさん。うっかり居眠りしないようにコーヒー淹れてくれよ」
「はいよ」と、コックが腰を浮かせた時だった。

「その必要はねェな」
 地を震わせるような、低い唸り声。冷血なその声色は、何週間もの船旅を共にしてきた仲間達のものではなかった。
「……なぜなら、この船は十秒後に沈むからだ

 直後、ドンという強い衝撃が船を後方から襲った。黒い波が大きく跳ね上がり、船体を大きく揺さぶった。兵士達が一斉に懐の銃を抜いた。奇襲だ
「貴様…誰だ!?
「カカカカカ…!!
 不気味な笑い声は、中腰のまま凍りつくコックの背後から聞こえた。ちょうどマストの影になっており、兵士達のいる位置からではその姿を伺うことはできない。しかし、息を呑むほど大柄な男だということだけは、はっきりと分かった。
「答えてやる義理はねェなァ…てめェらはこれから死ぬんだからよォ…」
「何だと?」
「そうはいくかこちらは兵士20人、貴様はたった1人だ
 ところが、次の瞬間、船の後方から猛々しい雄叫びが波のように押し寄せてくるのを、兵士達は確かに聞いた。
「かっ、海賊船が船体後方に突撃…次々に乗り込んできていま——ギャアァアアッ!!
 見張り台に立っていた兵士の心臓の真上に、銃弾が命中した。絶命して崩れ落ちる仲間の姿を目の当たりにして、船乗りは恐れ戦き、後退りしたり、互いに抱き合ったり、中には腰を抜かしてしまう者もいた。
「お、おいあれ…
 誰かが声を上げた。見上げると、セントフィリンス号の向こうに、高々と掲げられた黒い海賊旗……。“死”を表す髑髏と、その背後に大きく張り巡らされた“蜘蛛の巣”。
「あ、あのマークは…“毒蜘蛛海賊団”…!!?
 兵士の一人が戦慄の声を洩らした。「左様」——低い声が答えた。毒蜘蛛の海賊船はセントフィリンス号の船体にかじりついて、次から次へとゴロツキを吐き出し続けている。その数、ざっと見ても50人をゆうに超えている。誰かが銃を取り落とした。船乗り達は、あっという間に取り囲まれてしまった。
「最期に、てめェら、一つ答えてもらおうか」
 ゆっくりと物陰から進み出て、“毒蜘蛛のダグラー”は言った。
「レイダーってのァ、どこのどいつだ?」
***
 そうか。これでやっと、ハッキリ分かった。街にくり出すたびに注がれる、睥睨にも似たまなざしのわけを。珍しく騒々しかった夕食の後、自室に戻ったイーヴィはベッドに横たわり、ぼんやりと天井を眺めていた。シャンデリアに灯されたろうそくの火が危なく揺らめき、今にも消えそうだ。
「……“外人”…」
 怖がられているだけだと思い込んでいた。だから、時間をかけてじっくり向き合っていけば、いつか分かってもらえる時が来るかもしれない——なんて、心のどこかで期待していた。だが、現実は違う。一国の長が、税金で建てた城に、外国の子どもを住まわせ贅沢させている。国民はそう思って妬んでいたのだ。イーヴィがいつまで経っても受け入れてもらえない、一番大きな理由はそれだった。
「はは…」
 それなら、嫌われたって仕方ないね——イーヴィは弱々しく笑った。だって、もし私が国民の一人だったら、きっとその税金泥棒の『外人』を妬ましく思うだろうから。
「………王さま…」
 いつでもやさしくほほ笑みかけてくれる老人の顔を、ずっと信じてきたけれど——。
(私が城にいるかぎり、王さまの名を傷つけることになる…)
 滑稽だ。どうして気づかなかったんだろう。ちょっと考えたら分かることだったのに。いいや、本当は分かっていたに違いない。知っていて、気づかないふりをしていただけなのだ。自分が王にとって邪魔な存在であるという事実を、認める勇気がなかった。
 風が吹いた。シャンデリアのろうそくが、ふっと音もなく掻き消された。
「暗いな」
 窓の外を見た。今夜は月がない。あまりにも暗い、まるで虚無のような夜空が、どこまでも続いている。でも、この城は違う。使用人、衛兵、役人……四六時中誰かしら出入りするこの城は、真夜中でも金の光を灯し続けている。そしてこの崖の下に広がる町並みも、自らの繁栄を見せつけるかのように煌煌と輝いている。
「……消えよう」
 ——私には、ここは明るすぎた。
 イーヴィは立ち上がった。昔から片付けは大得意だったから、作業を終えるのにそう時間は要さなかった。一度も身につけなかった高価な服やアクセサリー、どう使うのかもしらない人間の子どものおもちゃ、キラキラ輝く石が嵌め込まれた金の髪留めは、迷わずゴミ袋に詰め込んだ。全てが片づくと、部屋には大きな細長い包みとリュックが一つ残されているだけになった。イーヴィは窓を開け、そこからぽーんと荷物を放り投げた。それから自分も窓枠によじ登り、最後に一度だけ「さよなら」を言うように振り返ると、深い暗闇の中にするりと姿をくらました。