沢田綱吉は、端的に言うと、非常に非運な少年だった。

 並盛中学校の1年A組に籍を置くツナは、入学以来テストは全部赤点、スポーツもいつもボロ負けで、「ダメツナ」のあだ名をつけられはやしたてられていた。気になる女の子に声をかけることすらできず、そればかりか学校に友達が1人もいない。内気や何やというよりは、単に自分の学校生活を諦めていた。
 そんなツナの人生をがらりと180度変えることになったのは、得体の知れない「家庭教師」リボーンの登場だった。

 どこからどう見たって赤ん坊のくせに、常時スーツ姿で、人一倍腕力が強く、乱暴で、愛人が何人もいて——そして最も信じがたいのは、彼が「殺し屋」だということだ。実はこの赤ん坊、イタリア最大手のマフィアグループ「ボンゴレファミリー」から、ある任務を遂行するために派遣されたのだという。

 ——その任務とは…。
 ダメツナもとい沢田綱吉を、ボンゴレファミリーの10代目ボスにふさわしい男に育成すること。

 弱冠14歳にして、ツナは相当ヤバい赤ん坊に目を付けられてしまったのである。 (——最近、あの人の様子がおかしい)

 ツナがそう感じるようになったのは、中学生活最初の夏休みが終わったばかりの9月上旬のことだ。まだ夏の蒸し暑さがほんのり残っている。長期休暇を経てすっかりなまってしまった体は、いまだに新学期のせわしさについていくことができないでいる。しかしリボーンの厳しい監視の目があっては、前のように詰めの甘い仮病で学校をサボるわけにもいかなくなり、毎日怠い体に鞭を打って登校しているのである。
 そんな中、またしても仄かに「面倒ごと」の香りが漂ってきたわけだ。

 2学期が始まってから、獄寺が大人しすぎる。

 獄寺隼人。1学期の終わり頃にイタリアから転入してきた帰国子女だ。きらきら輝く銀髪で、陶器のように白い肌、鋭いグリーンの瞳をしている。転入早々、学校中の女子から「イケメン」だの「帰国子女」だのともてはやされ、その圧倒的な人気といったら、転入からわずか3日で「獄寺隼人♥FANクラブ」が設立されていたほどだ。

 だが実のところ、ツナにはなぜ獄寺の人気がこれほどまでに高いのか理解しがたかった。
 もちろん、容姿がとびぬけて端正なのは認めざるを得ない。頭の回転が早く、成績がいいのも事実だ。しかし、獄寺はボンゴレファミリーに所属するれっきとしたマフィアなのだ。それゆえ素行は最悪。誰彼構わずケンカを売りつけ、気に入らない相手は問答無用で吹っ飛ばす。一挙一動がいちいち物騒だった。そのうえ、制服を豪快に着崩し、毒々しいアクセをじゃらじゃらぶら下げているさまは、まさしく不良、ツナの天敵だ。できれば関わりたくない。
 ところが、そんな切実な思いとは裏腹に、獄寺はツナに救命されたことをきっかけに、「10代目の右腕になる」と勝手に目標を立て、慕ってくるようになってしまった。

 ——10代目、お荷物お持ちしましょうか?
 ——こいつウゼーっスね。シメときましょーか、10代目!
 ——10代目!勉強のことならオレにまかせてください!

 いくらツナが遠慮しても獄寺の耳には届かない。一度「10代目のために」をやり出すと、完遂するまで決して止まることなく突っ走って行ってしまうのである。

 それが、2学期が始まってからこの2週間、どうも妙なのだ。

 まず、どの授業でも眠らなくなり、他学年からケンカを売られてもそう簡単に買わなくなった。一日に山本武に食ってかかる回数も3分の1にまで激減したし、クラスの女子にほんの少し優しくなったのも、恐らくツナの気のせいではない。きわめつけは、以前は昼頃になって遅刻してくるか、ツナが家を出る時間に合わせて迎えに来るかだったのが、始業時間の20分前には着席しているようになったことだ。
 まるで、誰かの目を意識しているかのような生活態度。ツナにはこの豹変ぶりに何となく心当たりがあった。

(いや……でもまさか…あの獄寺君に限って…)

 ツナは脳裏をよぎったある単語を振り払おうとするように、ぶんぶんと首を振った。
 獄寺はとっくに昼休みに入ったことにも気付かないで、自分の席からぼんやりと教室の真ん中あたりを眺めている。教室の中央では、山本や何人かの野球部員が、陸上部の女子とはつらつにおしゃべりをしていた。

(き…気のせいだって……第一あの獄寺君だぞ?絶対ありえないって…)

 ところが、とてもツナの「気のせい」とは断言できないほど、獄寺の状態は深刻だった。誰が何を言っても全く反応を示さないので、昼食をとるためいつもの屋上へ連れて行くのに、山本と二人掛かりで引きずって行かなければならなかった。その上、獄寺の鞄や机を漁ってもパンの一つも出てこない。どうやら昼食を持ってきてすらいないらしい。獄寺はそんなことに気付く気配もなく、ずっと屋上から見える青い空を眺めていた。

「なぁ、なんか最近の獄寺おかしくね?」
「やっぱり山本もそう思う?」

 ぽけーっとあさっての方向を見つめている獄寺を指差して、山本がこっそりと耳打ちしてきた。天然さを競う種目があったら間違いなくメダリストになるだろう山本ですら気付いたのだから、獄寺の病状は相当だとツナは確信した。

「昼メシ持ってきてなかったりとか、ツナの話きいてなかったりとか…」
「うん…なんか様子変だよね」
「さすがにびっくりするって。最近の獄寺、やさしーし遅刻しねーしまじめに授業受けてるから」
「うんうん。まぁ、それが正解っちゃ正解なんだけどさ」

 ぼそっと呟くように言い足すと、山本は忍ばず大笑いした。普段ならこの時点で獄寺の癇に障っているはずなのに、獄寺は未だに妙な形をした雲を目で追いかけるのに夢中で、山本の非礼にも気付きそうになかった。

 ——やっぱりおかしい。

 ツナの脳裏を、再びあの一単語がよぎった。それを追い出すように、もう一度激しく頭を振る。まさか、そんなことは絶対にあり得ない。なんせあの獄寺だ。乱暴で、物騒で、いつもダイナマイトを持ち歩いているから、周りはいつも戦場で…厄介ごとばかり引き起こすあの獄寺隼人が、まさか——

「恋だな」

 ——んて…。

 ツナの心の声の一部と、甲高い幼児の声がきれいに重なった。

「ん?小僧じゃねーか」
「ちょっ!リ、リボーン!!!」

 ワンテンポ遅れて反応をかえす山本とツナ。リボーンは屋上のフェンスの上にちょこんと腰掛けていて、2人と目が合うと、悠長に「ちゃおっス」と挨拶した。

「リっ、リボーンさん!いつのまに…!」

 久々に獄寺が言葉を発した。自分の敬愛する人物の登場で、ようやく我に返ったようだ。幸いなことに、さっきの「恋だな」発言だけは耳に届いていなかったらしい。ツナは「よかった」とホッとして胸を撫で下ろしたが、リボーンはわざわざ獄寺に向き直って、きちんと言い直した。

「おまえ、恋してんだろ」

「え゛っ…?」
んなっ!!?(ド直球ー!!)

 獄寺の眉がぴくりと動いたのを見て、ツナは頭を抱えて青ざめた。(リ、リボーン…!なんて命知らず…!!)恐る恐る獄寺の顔色をうかがってみたが、ほとんど予想通り、認めてなるものかとばかりに眉間を寄せていた。相手がリボーンでなかったら、胸倉を引っ掴んで一悶着始めていたところだろう。

「べっ、べつにそんなことありません!」
「んな照れんなよ」
「だから違いますって!」

 色素の薄い肌はいまや真っ赤だ。獄寺はもとが白いから、照れるとすぐに赤みが目立つのだ。

「だいたいオレは、ボンゴレ10代目の右腕になる男!恋だ愛だにうつつ抜かしてる場合じゃねーっスから!」
「ぬかしてんじゃねーか」
「ええ!何言ってんスか、リボーンさん!」
「ぬかしてんじゃねーか」
「な゛っ…!なにも繰り返さなくても…!!」

リボーンは完璧に獄寺で遊んでいる。獄寺の堪忍袋の緒は、今にも切れてしまいそうだ。ツナはびくびくしながら2人の様子を遠巻きに見守った。

「隠す必要はねーぞ、獄寺。守りたいものができたってことは、男として強くなる時がきたってことだからな」

 リボーンはぴょんとフェンスから飛び降り、わずかな服の乱れを直した。これだけ必死に否定してるのに…と、獄寺は呆気にとられて、金魚のように口をパクパクさせた。

「それに、お前が恋煩いでボーッとしくさってるから、ツナが『うぜー』って言ってたぞ」
「ばっ…!こら、リボーン!オレそんなこと言ってな——」

 ツナは真っ青になった。確かにリボーンのいる前で「最近獄寺君の様子がおかしくってさー」と愚痴を漏らしたことはあったが、「うざい」なんて一言たりとも口にしていない。
 しかし、獄寺はリボーンの言葉を真に受けてしまったようだ。

「そんな…!オレとしたことが……10代目を煩わせてしまっていたとは…!」
「いや、獄寺君、ウソだから…!」
「申し訳ありませんでした!!10代目!!!

 獄寺はツナの言い分にも耳を貸さず、素早く立ち上がって腰をきっかり90度に曲げた。あんまり深く曲げたので、毒々しいアクセが激しく揺れて、鎖の擦れたような音がした。

「で、結局のところ、おまえの好きなやつってどいつなんだ?」

 山本が口を挟んできた。獄寺は即座に「だから、んなもんいねえ!」と反論したが、山本はそれを掻き消すかのようにズズッと大きく音を立てて、ストローで牛乳を吸い上げた。

「そんな照れなくたっていいのになー。な、ツナ」
「え゛っ…(オレに話ふんなよー!!)」
だから、ちげーっつってんだろこの野球バカが!!!

 ガラガラピシャーン、と、頭のてっぺんに雷が落ちたように怒声が迸った。

(やっぱり、獄寺君は怖い…)
***
 結局獄寺は最後まで認めなかったが、ツナはやはり自分の予想は的中していたのだと確信した。獄寺はウソをつくのがややへたくそだ。第一、あんな真っ赤な顔をしていては、いくら必死になって否定したって、まったく説得力がない。顔に思いっきり「※10代目、オレ好きな人ができました」と明記されている。
 しかし、人は見かけによらないものなのだと改めて思い知らされた。あんなにぼんやりした獄寺は、いままでに見たことがない。大人しすぎだ。まるで借りてきた猫のようだった。

(ん…?まてよ。てことは案外、彼女ができたら落ち着いたりして…)

 ふとそんなことを思い立ち、ツナは廊下を渡る足を止めた。山本が少し遅れてそれに気付き、数歩先のところで立ち止まった。獄寺は相変わらずぼんやりしていて、どんどん先に行ってしまう。

(そーだよ!片思いでもこんなに静かになるんだし。あれ…だけど、獄寺君の恋の相手って誰だろ…?)

 クラスの女子の顔を、出席番号順に片っ端から思い浮かべてみた。だが、いまいちピンと来ない。(そもそも、獄寺君の好きなタイプってどんな子だろ…)実姉のビアンキのように妖艶な大人の女がいいのか、学校中のアイドル笹川京子のように無邪気で愛らしい子がいいのか、それとも意外に大人しめの子か…。

(……う~ん…なんかしっくりこない…)

「ツナ~?」

 山本の怪訝そうな声が聞こえた気がしたが、ツナの頭は獄寺のことでいっぱいで、今はそれどころではなかった。あの獄寺を夢中にさせるなんて、一体どこの誰だろう?

(他のクラスの女子かな?相当美人な子なんだろうなぁ…)

 いや、ひょっとしたら他学年ということも考えられる。たとえば3年の安藤さんはかなりの美人で有名だし、2年の小椿さんもかわいらしい容姿で人気だ。だが、確かこの2人には付き合っている彼氏がいると噂で聞いたことがある。それならばやっぱり別の子だろうか?他に美人で有名な女子といったら——。

(まさか……京子ちゃんじゃないよなぁ…?)

 そんな具合のことを悶々と巡らせていると、突然、背中にどんっと衝撃が走った。ツナの小柄な体はその衝撃にやすやすと押し負け、大きく前につんのめってしまった。

「どわっ!?」
「あ、ごめん沢田」

 ろくに受け身も取れず、顔面から無様に倒れ込んでしまうと、あまり誠意のこもっていない謝罪が聞こえてきた。

「いててて…」

 転んだ拍子に思いっきり床に打ち付けてしまった鼻をさする。痛みできしむ体を起こそうとした時、ツナの鼻先に白くて細い手がすっと差し出された。きょとんとしてその腕の先を辿ってみると、淡いスミレ色をした目玉がふたつ、ツナの顔を覗き込んでいた。

(あ……この人…)

 同じクラスの女子だった。はちみつのような色の滑らかな髪が、元気いっぱいの顔立ちを装飾している。容姿があんまり日本人離れしているので、入学当初、やけに噂になっていたのを覚えている。何にも気取らず、誰に対しても分け隔てなく優しいところは山本の女版と言ったところか、加えてスポーツ万能なクラスの人気者だ。
 京子や花と特別仲がよく、いつも3人一緒にいるイメージがある。

「ひ、比嘉崎…」
「カリメーラ!」

 ニッといたずらっ子のような笑みを浮かべて、比嘉崎ひいらぎが言った。耳慣れない言葉だったが、彼女は挨拶を交わすときにはいつもこの言葉を使う。

(『カリメーラ』って……どこの国の挨拶だよ…)

 心の中で小さく突っ込みながら、ツナは彼女の手を取った。すると、びっくりするような力でぐいっと引っ張り上げられ、危うく靴底が地面から離れるところだった。

「……あ、ありがとう…」
「いえいえ、どいたま~。こっちこそごめんね。ちょっと急いでて…」
「ううん!気にしないで!オレがボーッとしてたのが悪いんだし」
「あ、うん。まぁそうだよね」

(カッチーン…!)

 ツナは一瞬眉を吊り上げたが、どうやら彼女なりの冗談のようだったので、特に口には出さないで笑っておいた。

(それにしても、比嘉崎としゃべるのなんて初めてかも…なんか新鮮~)

 入学してからこの半年間、クラスで盛り上がっているところを見かけたことはあるが、一度も言葉を交わしたことはなかった。何せツナは「ダメツナ」と蔑まれ一線引かれる存在で、ひいらぎはクラス中の人気者なのだ。笹川京子という共通の友人がいたとしても、接点がなさすぎた。

「っつーか沢田はこんなとこで1人で何してたの?いつもの2人は?」
「え?1人って——」

 指摘されるまで全く気がつかなかった。廊下にはツナとひいらぎの2人きりで、さっきまで一緒にいたはずの山本と獄寺はいつの間にか姿を消していた。

(んなーっ!おいてかれてるしーっ!!)

 きっと常時上の空の獄寺はツナが立ち止まったことにも気付かずに、そして山本は何度か呼びかけても応答しないツナに痺れを切らして、先に教室へ戻って行ってしまったのだろう。

「ボサッとしてるから置いてかれたんだじゃないの」
「うっ…(大正解ー!)」
「まーよくあることだよ!そんなに気に病むなって!」
「いや…別に病んではないけど…」
「そうか!あ、私陸上部の顧問に呼ばれてるんだった。じゃあねっ!」

  ひいらぎはヒラヒラと手を振り、ツナを追い越して走り去って行く。(すげーテンション……なんつーか、嵐みたいな子だなぁ…)ツナは猛スピードで遠ざかっていく背中に一応手を振った。


「——おしゃべりはもう済んだぁ?」


 不意に、耳元でゾッとするような声が聞こえた。瞬時にツナの背筋が凍り付く。

「1-Aのダメツナっておまえだろ?」
「ちょーっと用があるんだけど」
「オレたちについてきてくれるかなぁ~?」

 これは確実に絡まれている——名前を呼ばれたのだから、残念ながら人違いではなさそうだ。恐る恐る振り返ると、ぎょっとするような柄の悪い連中が数人、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべて群がっていた。

ひぃー!こえーっ!!

 ツナは慌てて逃げ出そうとしたが、不良の隆々とした腕がツナを拘束する方が速かった。

「おーっと…暴れんなよ」
「観念しな。一緒に来てもらうぜ」
たっ、たすけて~!

 ひょいと肩に担がれながら、ツナは無人の廊下に向かって手を伸ばし、情けない悲鳴を上げるしかなかった。ガラガラと金属バットが床をこする音が聞こえる。(あぁぁ…オレの人生、終わった…!)まさか、よりにもよって山本や獄寺とはぐれたときに絡まれるなんて…ツナは自分の最期を覚悟した。


「………………」

 長い廊下の角を曲がり、ちょうど階段の踊り場にさしかかったところで、比嘉崎ひいらぎはぴたりと足を止めた——いま、何か悲鳴のようなものが聞こえた気がする。

「いまの声って……沢田…?」
***
 薄暗く人気のないところで、ツナは唐突に地面へ落とされた。どさっと鈍い音を響かせて、頭から地面に突っ込んだのだ。思わず「ぐえっ」と潰れたカエルのような呻き声をもらすと、不良たちが一斉にバカ笑いした。

「うわ、ダッセー!何だコイツ。超どんくせーじゃん」
「マジでコレ、獄寺のダチかよ」
「ただのパシリなんじゃねーのぉ?」
「いや、確かにダチだ。いつも一緒にいやがんだぜ、コイツ」

 罵倒の言葉を全身に浴びせられ、ツナは耳までカァーッと熱くなったのを感じた。

 ツナはゆっくりと体を起こし、辺りを見回してみた。どうやら自分は体育館裏にまで連れてこられたらしかった。他校生を含めた不良生徒が何十人も、わらわらと屯してツナを囲んでいる。連中の手に握られたバタフライナイフや金属バットが、ギラギラとツナに牙を剥いているように見えた。

(えーっ!なんでオレこんな怖い人達に囲まれちゃってんのー!?)

 さっぱりわけが分からず、今にも卒倒してしまいそうだった。こんな人相の悪いヤンキーに凶器フル装備で囲まれるようなことをしでかした記憶はない。
(ん…?まてよ…)ツナはふと目を上げた。(さっき、獄寺君がなんとかって言ってたような…)

「わりーけどダメツナ君。てめーには獄寺をおびき出すエサになってもらうから」
んなーっ!!?(また獄寺君がらみー!?)」

 そういうことかとついに合致した。合致はしたが納得はいかない。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか……せっかく獄寺が大人しくなってきたと思ったのに、やっぱりこれか…。

「——なんでそこまで獄寺隼人にこだわってんの?」

 不良達の群れの中から、誰かが問いかけた。

「なんでもなにも……なぁ…?」
「オレたちアイツにいろいろ借りがあんだよ」
「そうそう。なのにあの野郎オレたちのことシカトしやがんだ」
「こうでもしないと相手してくんないっしょ?」

「……そっかー…それはちょっとひどい話だね~…」

 今度はツナのすぐ背後から同情の言葉が聞こえた。不良達は腕を組み、まったくだとばかりにうんうん頷いた。

………………。

 頷いてから、一同は事態の異変に気がついた。今の声は、女のものではなかったか。よくよく考えてみれば、最初の問いかけのあたりから、明らかにこの場にいないはずの人間の声がしていたような…。


「「「ええっ!?」」」
「あ、気付いた?カリメーラ」


 ツナを含め全員が素っ頓狂な声を発して飛び上がった。
 声のしたところに、さっき校舎でツナと別れたはずの比嘉崎ひいらぎが、三角座りをして驚く男達を見上げていた。ニコニコとどこかイタズラっぽい笑顔を浮かべている。

「ひっ、比嘉崎!? おまえいつからここに!!?」
「沢田が『ぐえっ』て墜落した時からー」
最初っからじゃん!!
「いやー、階段おりようとしたら沢田の悲鳴聞こえちゃってさー。で、心配だからおっかけてみた」

  ひいらぎがあんまりにもあっけらかんとしているので、ツナは目眩がした。ひょっとして、彼女は事態を把握していないのだろうか?そうでもなければ、こんな騒ぎのど真ん中に自らのこのこやって来るような女子はいない。

「オイオイねーちゃん。君この状況理解できてんの?」
「獄寺君呼んで沢田もろとも袋だたきにするんでしょ?できてるよ」
「な゛っ…わかってんのかよ!!

 ツナは思わずつっこんだ。つっこんでから、(やっぱオレもターゲットに入ってんのね…)という事に気がついた。

「大正解♪案外物わかりいーんじゃん」
「わかってんならさっさとそこどいてちょーだいよ」

 ひときわ体格のいい不良が、どしどしと大股で近づいてくる。ツナは恐ろしくなって「ヒーッ!」と顔を背けた。しかしひいらぎは膝の上に頬杖をついて、ニコニコ微笑んでいるままだった。
 ——そして。


どえーっ!!?


 男はつるっと何かに足をとられ、豪快にすっ転んだ。びっくりするような悲鳴を上げて。

(えー!!?こけたー!!)

 さっきまであんなに威勢の良かったヤンキーが…!ツナは衝撃で青ざめた。不良はバッと飛び起きて足下を確認したが、ただ一面に砂利が広がっているだけで、足をすくいそうなものは何もなかった。

「オイオイ、何やってんだよおまえ」
「違う!今たしかに足になんか絡みついて…!」
「はぁー?何もねーじゃん」

 仲間達も何事かと近づいてくる。ひいらぎがまたニヤッとした。


 ——ガラガラガッシャーン!


 けたたましい音を轟かせ、集まってきた連中がまるでボウリングのピンのように一斉に倒れた。明らかに不自然な光景を前に、ツナの顔はいっそう引きつった。
 一方、比嘉崎は頬杖をついたまま、キラキラと顔をほころばせている。

「あらあら。なんか悪いモンに取り憑かれてますねー、君たち」
「えっ…?」

(比嘉崎…まさか何かしたー!?)

 冷静に考えてみれば、そもそも何の手も打たずにこんなところに飛び込んでくるなんてありえない。ツナが冷やかしを浴びている隙に、あそこの地面に何か仕掛けをしたに違いない。

「てめえ一体何しかけやがった!!」

 不良達も同じ考えに至ったようだった。何もない地面の上でジタバタしながら、ひいらぎをギラギラ殺気立った目つきで睨みつけてきた。しかしひいらぎはまったく身に覚えがないとばかりに肩をすくめた。

「そんなとこで遠吠えしてる暇があったら、お祓いでも受けた方がいいんじゃなーい?」
とぼけてんじゃねぇ!
おい、てめーら!この女もやっちまえ!!
「——あーあー、そんなとこで悠長につるつるしてるから…」

 ひいらぎは不良達の怒鳴り声などまったく気に留めていなかった。手の平から顎をもたげ、喧噪の向こう側に視線を投げかける。今度は一体なんだろう——ツナも顔を上げて視線を追った。


10代目ー!!
「ツナ!!!」


 血相を変えて走ってくる、二つの影が見えた。
 銀色の髪の男と、黒い短髪の男だ。

「獄寺君!山本!!」

 ツナは感動した——まぁ、元を正せば獄寺のせいでこうなっているわけなのだが——まさか、自分を捜してこんなところにまで駆けつけてくれるとは、夢にも思っていなかった。

「わりーな。どいてくんねーか?」

 山本は不良の壁を掻き分けて押し進もうとしたが、当然その行為は彼らの反感を買ってしまった。「ざけんな!」と獰猛な声を上げて、太い腕が山本めがけて空を切る。しかし山本は持ち前の反射神経で軽々とかわし、その腕を右手ではっしと捕まえると、身を屈めて男の腹に肩から体当たりをかました。

「てめーら10代目から離れやがれ! 2倍ボム!! 

 獄寺はくわえ煙草で導火線に着火し、大量のダイナマイトをいっぺんに空中へ放った。バチバチと激しい音を立てながら舞い上がったダイナマイトは、次々に起爆して不良達を呑み込んでいく。あちこちから恐怖の悲鳴が上がり、爆風を恐れて何人かの残党が命からがら逃げ出そうとした。

「 果てろ!! 」

 駄目押しのボムが残党めがけて飛んでいく。「ギャーッ!」とつんざくような悲鳴のあと、不良達は一人残らず吹き飛ばされた。

(返り討ちー!! 獄寺君やっぱこえーっ!!!)

 ツナは腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。つくづく、この2人は強いと思った。あれだけの人数を——それも図体のでかい不良を——、たった一瞬ですべて片付けてしまったのだから。
 ようやく障壁がなくなったので、獄寺と山本はすっきりしたような表情でツナのもとへ駆け寄ってきた。

「ご無事ですか、10代目!」
「大丈夫かー?ツナ!」
「あ、うん…なんとか…」

 差し出された獄寺の手を借りて、ツナはゆっくりと立ち上がった。落とされた時の衝撃で、腰がズキズキ痛んだ。

「あんた今日は手貸してもらってばっかだねー。そんなんだからダメツナーとか言われんのよ」
「あぁ!?何だとコラ!」

  ひいらぎが呟いた何気ない小言に、さっそく獄寺が食ってかかった。ツナに向けていた顔を上げ、振り返りざまにひいらぎの肩をガシッと鷲掴みにする。

「てめー10代目に向かってなんて口のきき方——」

 しかし鋭い緑色の双眸がひいらぎの顔をとらえた瞬間、獄寺の悪態は糸が切れたように唐突に止まった。(ん…?)ツナも山本もきょとんとして獄寺を見た。獄寺はひいらぎの肩を掴んだまま、喫驚するあまり硬直してしまっている。まるで魂だけがどこか遠くの世界へ飛んで行ってしまったようだった。

「あれ?獄寺君?」

 ツナが声をかけてみたが、獄寺からの反応はない。端正な顔に正面からバッチリ見つめられて、ひいらぎもさすがに戸惑っている様子だった。あれだけ勝ち気な表情を浮かべていた頬に、うっすらピンク色が差している。

「あの……獄寺くーん…?どしたのー…?」

 獄寺はひいらぎの声を耳にするなり、顔面でボン!と小爆発を起こして、瞬く間に茹で蛸のような色になった。そんな様子を見て、ツナと山本はたったさっきまで獄寺が患っていた例の症状を思い出した。

 ——まさか…!

 どきどきと鼓動が急ぎ始めた。やっぱり、そうか。獄寺の想い人は、3年の安藤さんでも、2年の小椿さんでもなかった。黒川花と笹川京子も違ったようだ。
 獄寺が心奪われていたのは、おそらく——ツナの喉がごくりと音を立てた。喉がカラカラだ。

「獄寺君、調子でも悪いんじゃ…」

 ひいらぎの手の甲が遠慮がちに獄寺の額に触れたとき、ツナの予感は確信に変わった。

「なっ——にしやがる!! や、やめ…!ばかばかばか!!

 出た。言葉遣いが明らかにおかしい。(ばかばかばかって…)十数分前、屋上でリボーンにからかわれていたときのあの態度に近しいものを確かにツナは感じ取った。
 ということは、つまり…。


えー!? 獄寺君の好きな人って——比嘉崎ー!?
***
「比嘉崎ひいらぎ、か」

 体育館から少し離れた木の上で、望遠鏡を覗き込む小さな人影があった。小さなカメレオンの乗った黒い中折れ帽と、ぴしっと着こなしたスーツ。その上にトレンチコートにサングラスというスパイのような身なりで、リボーンは自分の生徒が現れてから救出されるまでの一部始終を伺っていたのだ。

「ようやく見つけたぞ。“黒雲の魔女”」

 意味深にニヤッと口元を緩めるリボーン。胸にかけられた黄色いおしゃぶりが、きらっと輝いた。


「奴の能力はファミリーに必要だ」