『午後の競技の問題についてお昼休憩をはさみ審議します。各チームの3年生は本部まできてください」  昼休みになっても、ツナとひいらぎの気はなかなか晴れなかった。それどころかどんどん雲行きが怪しくなっているようにさえ思える。何しろB組とC組のみんなから冷たい視線を浴びせかけられているのだ。原因はもちろん、ツナの命令でA組以外の総大将が片付けられてしまったせいだろう。

「あれがA組総大将だぞ」
「女子の大将もいるぜ」
「あいつらが指示したのか」
「ムカツクよなー。じゃましてやる」

 ツナは真っ青だった。尋常ではないほどの汗を滝のように流し、ブルブル震えながらおにぎりをかじっている。そんなツナを、ひいらぎはたくあんをポリポリしながらきつい目で睨みつけた。

「あんた、ホンット余計なことしてくれるよね。この次の騎馬戦どーしてくれんのよ」
だからオレじゃないって!!

 ツナは懸命に釈明しようとしたが、ひいらぎはつーんとそっぽを向き聞いてすらくれなかった。

「ツナとひいちゃん、有名人みたいね」

 奈々は苦笑しながら息子のコップに水筒のお茶を注いでやった。ツナはまた一口おにぎりをかじったが、まったく味がしなかった。(あ〜ここから消えたいよ)隣で何喰わぬ顔をして昼食をとっているリボーンが恨めしい。ついでに何も知らずにお菓子を開けてはしゃいでいるランボもうざい。

「こんな殺伐としたお昼休みイヤ…」
「オレ食べたもの全部戻しそう…」

 ツナはだらだらと涙を流した。先ほどから飲み込んだものが喉に詰まって息苦しい。いっそのこと、体育祭自体が中止になってくれればいいのに——。

『おまたせしました。午後の競技の審議の結果が出ました』

 お、と全校生徒たちが顔を上げた。中止!中止!——ツナとひいらぎの目が爛々と輝いた。

『各代表の話し合いにより、今年の騎馬戦および棒倒しは、A組対B・C合同チームにします!』

「なっ——2対1!?」
「騎馬戦まで!?」
「よっしゃ!」
B・C連合!!
あのA組総大将をぶち落とせー!!

 A組からは悲痛の声、B・C組からは歓喜の雄叫びが沸き起こった。男子からは「殺す!」なんて物騒なコールまで起きている。

「そんなーっ!オレ生きて帰れるの〜!!?」

 血気盛んな合同チームを目の当たりにして、ツナは全身から血の気が引いていくのを感じた。一歩、またもう一歩と後退りしていると——背後からもただならぬ殺意が立ち上った。「ヒッ」恐る恐る振り向くと、沢田家のレジャーシートの上に、禍々しい邪気を放つ金色頭の鬼がいた。

さ〜わ〜だ〜
ヒィィィィイィイィイイイィィィイッ
***
 雲雀恭弥は応接室から校庭を眺めていた。風紀副委員長の草壁でさえ体操着に着替えているというのに、雲雀は制服姿のままだ。肩にかけた学ランの袖を秋風にはためかせながら、窓際に頬杖をつき、退屈そうな目つきをしている。
 草壁哲矢はどぎまぎしながら雲雀の後ろ姿を見守っていた。雲雀は群れるものが大嫌いだ。しかし今彼の眼下に広がるのは、まさに生徒たちの“群れ”。雲雀の醸し出すオーラが不愉快そうなのはそのためだ。今に窓から飛び出して大量殺戮でもおっ始めるのではと気が気ではなかった。

 ところが、そんな心配も杞憂に終わる。

「あ」

 雲雀が校庭の片隅に何かを見つけ、気の抜けた声を上げた。

「どうされました?委員長」
「…あの金髪娘。誰?」
「え?」

 草壁はキョトンと首を傾げた。失礼しますと断りを入れてから、雲雀の隣へ並び出て校庭を見下ろす。もちろん、人ひとりぶんの距離をあけておくのを忘れずに。

「ああ、彼女ですね」草壁は苦笑した。「比嘉崎ひいらぎ。1年の女子陸上部員です」
「知ってるの?」

 雲雀は草壁が資料も見ずに名前を言い当てたことで心底驚いている様子だった。

「入学当時、かなり話題になりましたよ。並中に外人が来たって」
「外人?」
「目の色も髪の色も違いますからね。どうやらハーフだかクォーターだかのようですけど…」
「へぇ。校則違反…ってわけじゃないんだ」

(校則違反だと思って聞いてきたのか…)

 草壁は思わず「ハハ…」と渇いた笑いを返した。そこでふとあることを思い出した。

「そういえばボクシング部主将の笹川了平が、彼女を騎馬戦の大将に選出したと聞きましたが…」
「騎馬戦の大将?あの子が?」
「ええ。他に適任者がいなかったとかで…」

 雲雀は「ふぅん」と興味なさそうに相槌を打った。しかし、その目はまるで新しいおもちゃを見つけた子どものようにキラキラ輝いていた。

「そう。クラスは1年A組でいいんだよね?」
「は、はい。あのゼッケンの色は恐らく…」
「分かった。ちょっと焚きつけてくる」
「は?」

 言葉の真意を聞く暇はなかった。草壁が聞き返した頃には、雲雀は学ランをひらりと翻し、忽然と姿を消していた。

「えっ、え!? 委員長!?」

 草壁は慌てて窓から顔を突き出し、下を覗き込んだ。雲雀は学ランの裾をはためかせながら、グラウンドに向かって急降下していく。応接室は校舎の最上階の高さにあるというのに、軽やかで悠然としており、まったく危機を感じさせない。草壁はホッとしたように、しかしどこか困ったように笑いを漏らした。

「お気をつけて」
***
(はぁ〜…こんなことなら今日休んじゃえばよかった…)

 頭にはちまきを巻き出陣の準備を整えながら、ひいらぎは本日特大の溜め息をついた。B組とC組からの視線は相変わらずギラついており、今にひいらぎの心臓を撃ち抜かんとしている。

(これは…無傷では帰れないな……ご愁傷さま、私…)

 ひいらぎは入場門にもたれかかり、しくしくとすすり泣いた。
 なんだか全然勝てそうな気がしない。絶対に負ける。それどころか袋叩きにされそうな予感がひしひしする。今からでも遅くはない——アカデミー女優も真っ青な名演でお腹が痛いふりをして、今すぐ騎馬戦を欠場しよう。まともに勝負に出たところでひいらぎには一文の徳もない。
 実行するなら今しかない!ひいらぎは「ぐっ」とお腹を押さえ、さっそく演技に入りかけた。

「何へこたれてんだよ」

 突然後ろ頭を強い力でひっぱたかれて、ひいらぎは盛大につんのめった。びっくりして振り返ると、ここ最近仲良くなったばかりの男友達が、お馴染みの仏頂面でひいらぎを見下ろしていた。

「獄寺君…」

 昼食をとっている時はいなかったのに——ひょっとして、ひいらぎのことを気にかけて来てくれたのだろうか。
 たったさっきまで恐ろしい剣幕でひいらぎを睨みつけていた女生徒たちは、今や獄寺にキャーキャー黄色い声を上げるのに大忙しだった。そのせいか、ひいらぎはさきほどまでの重圧から解放され、幾分か呼吸が楽になっていた。

「オラよ。奢り」

 獄寺が手に持っていた何かをポンと放り投げてきた。ひいらぎはあたふたしながらも両手でキャッチした。スポーツドリンクのペットボトル…それも買ったばかりでまだキーンと冷えている。結露したラベルの表面を丸いしずくがツーと涼しげに滑り落ちていった。

「ご、獄寺君……まさかこれ、私のために…?」
ばっ、バカ言ってんじゃねえ!10代目の分を買いにいったついでだ」
「あ…そっか。そーですよね…」

 ちょっと期待してしまった。期待した自分がバカだった。ひいらぎはちょっとむくれたが、確かに喉は渇いていたので、ありがたく受け取ることにした。

「………」

 2人の間に沈黙が落ちる。獄寺はまだ何か用でもあるのか、ペットボトルに口をつけているひいらぎをじっと見つめている。ひいらぎは少しだけどぎまぎした。見渡せばそこら中に全校生徒がいるというのに、まるで何もない密室で2人きりでいるような気分だった。

「あ、あの…」

 声をかけてみたものの、続きが分からない。ひいらぎはとりあえずドリンクを少しだけ口に含み、

「ありがとう」

 とだけ続けた。獄寺は何も言わずにそっぽを向いた。だが、側を離れる気配はない。

(あれ……まだ何かあるのかな…)

 小さかったはずの気まずさがだんだん膨れ上がってきた。あまりに会話が弾まないので、せっかく安らいだ心も再び焦りを感じ始めている。

(な、何話したらいいんだろう…)

 考えてみれば、獄寺といるときはいつも傍らにツナや山本がいた。そして会話の相手はもっぱら山本だった。こうして2人で面と向かって話をするのは初めてかもしれない。ひいらぎは一瞬だけでも間をごまかそうと、貰ったドリンクをまた三口ほど飲んだ。

「次、女子の騎馬戦だろ」
「う…うん」
「あ、あのよ…」

 獄寺が口ごもった。頭の後ろをガシガシ掻いて、言葉の間を取り繕おうとしている。

「が——」
「君たち公衆の面前で何青春してるの」

 2人は飛び上がった。

 俯いてモジモジしていた獄寺とひいらぎのすぐ傍に、例の風紀委員長・雲雀恭弥が突然に現れたのだ。なぜか制服姿のままで、呆れ果てた顔をして獄寺とひいらぎを見つめている。いつの間にか3人の周囲から生徒が消えており、遥か遠方に人垣が見えた。

ヒっ、ヒバリ!!
ヒバリ先輩!?
「ちょっと…うるさい。大声で叫ばないでくれる」

 雲雀は片耳に指を突っ込んで不愉快そうに眉根をよせた。その態度が獄寺の逆鱗に触れてしまったようだ——ひいらぎは獄寺のこめかみで血管が弾けるブチッという音を聞き逃さなかった。

てめー何しに来やがった!今日こそ塵にしてやるぜ!!
「ちょ、獄寺君ストップストップ!」

 獄寺がさっそく食ってかかろうとしたので、ひいらぎは慌てて襟首をつかんで引き止めた。

「止めんな比嘉崎!!てめーだって、こないだのキズこいつにやられたんだろうが!」

 獄寺はひいらぎの腕をふりほどこうと長い手足でジタバタ暴れた。ひいらぎは獄寺を放すまいと必死になって、獄寺の背中に腕を回した。

「そ、そうだけど……騎馬戦の直前だし、あんま問題起こさないでよー!」
「そうそう。1-Aの比嘉崎ひいらぎ。君が女子騎馬戦の大将なんだって?」

 雲雀は一人涼しい顔をして、勝手に本題に入った。

「そうですけど!?」

 ひいらぎは舌打ちしたい気持ちをグッと堪えて返事をした。さすがに愛想を取り繕うまでは気が回らなかった。

「せいぜい頑張りなよ。言っとくけど、B組の大将もC組の大将も、君の手に負えない暴れん坊だよ」
「へっ!よく言うぜ。この——」
「わーっもう、獄寺君、シーッ!!」

 ひいらぎは獄寺が何かよからぬ言葉を続ける前に、慌てて後ろから口を塞いだ。

「合同チームの荒れ様からみて…はちまき取られたくらいじゃ済まないかもね。殺されないよう気をつけることだね」
「……そんな忠告しにわざわざ来てくれたんすか?」

 自分で聞いておきながら、そんなはずがないということはハッキリ分かっていた。初対面の女を容赦なくボコすような男だ。そんな気遣いを見せてくれるとは思えない。雲雀は口元に薄っぺらい笑みを浮かべて、曖昧に首を傾げてみせた。真意がまったく読めない。皮肉でも言いにきたのだろうか?

「じゃあね。僕はこういううるさいところは嫌いなんだ——また応接室に戻るとするよ」
「………」
待ちやが——もがーっ!」

 再び暴れ出した獄寺の口を塞ぎ直す。雲雀はバサッと学ランを翻して踵を返し、運動場を去っていった。

「何なんだ…?あのヤロー」
「さぁ…」

 不審そうにつぶやく獄寺に、ひいらぎは肩をすくめるしかなかった。

「と、とにかく比嘉崎!」

 獄寺が慌てて仕切り直した。雲雀の登場で一時はヒヤヒヤしたものの、今やさきほどまでの気まずい沈黙はすでにどこかへ消し飛んでいた。

「ぜってー負けんなよ。10代目の顔に泥ぬるようなことしやがったら承知しねーかんな!」
「…はぁ」

(ひょっとしてそれが言いたかったの…?)

 ひいらぎは片眉をぴくりと吊り上げたが、獄寺はどこ吹く風だ。

「いざとなったら魔法でも何でも使え!てめーにはそっちの力があんだろ?」
「魔法?何言ってんの。使うわけないでしょそんなの」
「…は?」

 さらりと言ってのけたひいらぎに、今度は獄寺が言葉を失う番だった。まさか本気でひいらぎがスポーツに魔法を用いると思っていたのだろうか。もしそうだとしたら——ひいらぎはだんだんムカムカしてきた。

「スポーツは体を使って挑む勝負。魔法を使うなんてフェアじゃないじゃん!」

 獄寺は雷に打たれたような顔をして、ハッと大袈裟に息を呑んだ。

「そ、そうか…!オレは一体なんてことを——」
 獄寺はふらふらとよろめいた。
「見直したぜ、比嘉崎。分かった。お前がそこまで言うんなら…」
「ん?」
「正々堂々勝負して、勝ってこい!」

 獄寺はひいらぎの両手をがしっと掴み、キラキラした期待のまなざしで顔を覗き込んできた。普通なら恥ずかしくて赤面してしまうような距離だったが、どういうわけかひいらぎはまったくその逆で、みるみるうちに真っ青になった。

(しまった!なんか出なきゃいけない空気になっちゃったー!!!)
***
『選手、入場!』

 放送席から声がかかる。ひいらぎを乗せた騎馬がすっくと立ち上がり、グラウンドにむかって前進し始めた。いよいよだ——ひいらぎは生唾を飲んだ。まさに戦に赴く兵士の気分だった。
 いったいなんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ…。
 そもそも、全ての元凶は了平だ。了平がもう少し考えてくれていれば、こんな目に遭わなくて済んだはずだ。大体あそこまで勝利に執着するならば、なぜまだ1年生のひいらぎを選出するに至ったのだろう。もっと適任がいたはずなのに…やはり自分が出場しない競技だからどうでもよかったのだろうか……。

「ナニガキョクゲンヨーヒッショウヨーアトデノロウヨー」

「比嘉崎さん…何唱えてんの?」
「おまじない…?」
「いや、お経かも…」
「シーッ!まともに聞いちゃダメよ!」

 行進しながらブツブツつぶやくひいらぎに、周囲のクラスメイトたちはドン引きしていた。
***
「お。比嘉崎ちん出てきたぜ」

 シートの上でスポーツドリンクを一気飲みしていた山本が、入場口に現れた女子の大群を指差して言った。三列に並んだ騎馬隊の、ちょうど手前の列の先頭で、見覚えのある金髪頭がキラキラ輝いている。…が、キラキラしているのは髪の毛だけだ。顔色は血の気が引いて真っ白で、目もほとんど白目を剥いてしまっている。そのあまりに痛ましい姿を見て、ツナは頬の筋肉がヒクヒクと引きつった。

「うわ…比嘉崎が魔女じゃなくてゾンビになった…(オレも数分後にはあーなるのね…)」
「おお。一番先頭っスね!」

 獄寺にはひいらぎの顔色など知ったことではないようで、拳を作り「一発でのしちまえ!」などとおだてている。(なんちゅー物騒な応援…)ツナは冷や汗を垂らしハハハと乾いた笑いを漏らした。
***
(相手のしてどーすんだよ…)

 ひいらぎはげんなりした。そんなバイオレンスな競技があってたまるか。負けるわ!——ひょっとして獄寺は騎馬戦のルールを知らないんだろうか…。
 声援にツッコミを入れているうちに、ひいらぎを乗せた騎馬はグラウンドの中央に到着した。(ああ…)ひいらぎは卒倒しかけた。B組とC組の大将たちの眼光が異常だ。普段、男子のいる前では絶対に見せない狂暴性が今完璧に姿を現している。あれは獲物を狙う目だ。いや、完全にる気の目だ。こんなことなら昨日のうちに遺書をしたためておくんだった、とひいらぎは本気で後悔した。

「よくも逃げずにここまで来たわね、A組大将比嘉崎ひいらぎ!」

 C組の大将が高らかに言った。“鬼の松江”——ジャージの袖からは、同じ十代の女子とは思えない岩石のように強靭な腕が覗いている。騎馬の高さは似たようなものなのに、よっぽど松江がでかいのか、ふんぞり返って見上げないと額のはちまきを視認することができなかった。
 ひいらぎの騎馬が尻込みした。

「その根性に免じて、一発で楽にしてやるわ!」
「いーや。ここは総大将のカタキや…じりじりなぶり殺して苦しめてやらな、あいつらも浮かばれへん」

 今度はB組の大将だ。闇藤妖菜——こちらはまだ標準的な体格をしていたが、物凄く顔が恐い。吊り上がった目や、牙のように鋭い八重歯は、野生の虎を彷彿させる。美人と言えば美人なのだろうが、浮かべられた笑顔には狂気の色しか見出せなかった。
 ひいらぎの騎馬が後退りした。

「ちょっと!何後ろ下がってんのよ!! 前出てよ前!!」

 ひいらぎは自分の騎馬を見下ろして叱咤した。

「無理言わないでよ〜!」
「怖くてこれ以上近づけない!」
「ていうか辞退しようよ!私もう嫌!」
できるかそんなカッコ悪いこと!

 女の子たちはワッと泣き出した。しかしひいらぎはうろたえなかった。どうせ嘘泣きだ。

 全ての騎馬は実行委員の引いた白線の上に並び直され、A組と合同チームがお互い向かい合う形となった。あまりの数の違いにA組の誰もが息を飲んだ。これは勝ち負けの問題ではない。どうやって無事に生き延びるかが先決だ。幸いにも、ひいらぎには既に策があった。開始の合図と共にはちまきを外し、二人の大将に献上しよう。命を確保する方法は恐らくそれしかない。
 ところが、現実はそう甘くはなかった。

『用意——開始!』

 威勢のいいアナウンスがかかると同時に、張りつめていた緊張は爆発した。動かないA組に向かって「先手必勝!」といわんばかりに合同チームが突っ込んできた。ひいらぎは急いではちまきをほどこうとした——驚いたことに、A組の全ての騎馬が同じ行動を取った。
 だが、結び目がちょうど緩んだところで、敵の騎馬隊による攻撃が始まった。前、後ろ、右、左…騎手の首を取らんと四方八方から手が伸びてくる。ほとんどの騎馬がはちまきを奪われ、A組の陣形は早くも全面総崩れとなった。
 その上、被害ははちまきを奪われるだけには留まらなかった。髪をむしられ、肌に爪を立てられ、服を引っぱられ、騎馬の向こう脛を蹴飛ばされ——騎馬の陰で審判の死角になっているため、この暴力行為が反則を取られることはないだろう。男子の棒倒しで予想されるよりもたちの悪い戦法だ。捕まったが最後、きっと無傷では戻ってこられないだろう。これでは作戦も白紙だ。はちまきを献上したところで見逃してもらえそうにない。ここはひとまず——ひいらぎの目がきらりと光った——逃げるしかない!ひいらぎは騎馬の女の子たちと目を見交わすと、うんと無言で頷き合って、そそくさと戦場から抜け出すことにした。

 ——が。

「そうは問屋が卸すかい!」
「ヒッ!」

 ビュッ…と空を切り、鼻先スレスレのところに何かが振り下ろされた。慌てて足を止める騎馬。いつの間にかB組の大将・闇藤妖菜が正面に回り込み、逃げ出してきたひいらぎたちを待ち構えていた。

「ま、回れ右ーっ!」

 慌てて指示を下したひいらぎに従って、騎馬はわたわたと方向転換をした——のだが、振り向いた先にはC組大将・松江の姿。他の合同チームもA組の殲滅を終え、ぞくぞくと集まり始めている。完全に包囲されてしまったようだ。

「ええええええーっ!」

 ひいらぎ達はその場でぐるぐる回りながら、ツナ顔負けの情けない声を上げた。

「あら、どうしたの?ひょっとしてもう降参?」
「なんや手応えのない奴やな」

 松江も闇藤も拍子抜けしていた。ひいらぎは腰が抜けそうだった。

「まあ、ええわ」闇藤がバキッと指の関節を鳴らした。「押切と高田のカタキ、とらせてもらうで」
「そうね。そうさせていただきますか」と松江。
「そっ、そんな……」

 両側から二人の大将が迫ってくる。なんという形相だ。これと比べたら鬼の方がまだかわいい。松江は丸太のような腕を、闇藤は右足を振りかぶっており、どこからどう見たってはちまきを奪うどころではなく、何か強烈な危害を加えようとしている。「避けろー!」——A組の男子陣から悲鳴が聞こえた。しかし完全にパニックを起こしていたひいらぎは、屈んでかわすでもなく、飛び上がって避けるでもなく、棒立ちのままこんなことを口走った。


もうやめて!ヒガサキのHPはゼロよ!!
***
「…何言ってんだアイツ」
「さぁ…?」
 獄寺と山本が真顔のまま首を傾げた。
***
 ——ガッ!

 激烈溢れる一発が顔の中心にめり込んだ。ひいらぎは天地ひっくり返った状態でそれを見ていた。ひいらぎを狙って撃ち込まれた闇藤の強烈なキックは、おかしなことに、松江の顔に食い込んでいた。

「ぐ…」
「……なっ…」

 闇藤はキックを決めた格好のまま動けずにいた。松江の体が一枚板のように後方へ大きく揺らぎ、そのままバターンと地上へ落下した。全校生徒の視線がひいらぎへ注がれる。両大将の間で攻撃を受けるはずだったひいらぎは、地面と背が平行になるほど豪快にのけぞっていた。

(よ…避けちゃった…)

 ひいらぎはひっくり返ったままみるみるうちに青ざめた。
 とはいえ、避けようと思って避けたわけではなかった。もしそんなに優れた反射神経を持ち合わせていたなら、この試合にもっと希望を見出せていたはずだ。あの時——(蹴られる!)——闇藤のやばそうな蹴りを見て恐怖した、あの時。無意識に後退りしようとしたひいらぎは、下半身を騎馬にガッチリ固定されていたせいで、バランスを崩してたまたまこのような体勢になってしまっただけなのだ。
 事故だったのだ。ひいらぎにとっては、単なる事故でしかなかった。だが、あまりにもタイミングがよすぎた。

ひ〜が〜さ〜き〜…

 戦慄が走った。ひいらぎだけでなく、その場にいた女子全員の背筋を冷たい指先でなで上げるように。やってしまった。怒らせてしまった!——ひいらぎは未だひっくり返ったままで闇藤の顔を見ることは出来なかったが、わざわざ顔を起こさずとも、この不穏な空気で嫌というほどそれが分かった。

「やっべ…」

 ひいらぎが指示を下す前に、A組大将の騎馬は動き出していた。そっくり返ったままの騎手を担いで回れ右をし、脱兎のごとく逃げ出した。後方から追いかけてくる闇藤が上下逆さまに見えた——とんでもない剣幕だ。もともと鋭い両目はさらにきつく吊り上がり、髪の毛は逆立っている。あれ何だっけ?どっかで見たことあるな…そうだ不動明王だ。ひいらぎはゾッとして体を起こした。

「もうイヤーっ!!! なんであんなに怒ってんの〜!?」
「と、とにかく逃げよう!!」騎馬の一人が言った。「つかまったら確実にとられるよ…!! 首を!!!

 ところが、ひいらぎたちの逃避行はそう長く続かなかった。

「こっちは行き止まりよ」
「逃がさないわ!」

 合同チームの騎馬全員がひいらぎの前に立ちふさがり、行く手を遮ったのだ。ひいらぎたちは慌てて急停止した。

「そっ、そうか!2対1だから敵が多いんだ!!」
「つーか味方いなくない!?」

 ハッとして叫んだひいらぎに、騎馬の一人が叫び返した。「なるほど…」ひいらぎは真面目くさった顔で、ごくりと唾を飲み込んだ。

「こ……これが“四面楚歌”…」
四字熟語体感してる場合じゃねー!!!

「この期に及んでミニコントとはええ度胸やないか…」

 ざっ…と背後に嫌な気配が現れた。追いつかれた…!——ひいらぎたちは息を呑み、恐る恐る振り返った。これ以上逃げ場はない。ツナの暴挙のせいで相手は相当ご立腹、はちまきを献上したところで見逃してもらえそうもない。

「覚悟はええか!A組女子代表!!」
 闇藤の鋭い目がぎらりと怪しげに光った。
「え゛っ…」

 ひいらぎの声は思い切り掠れていた。覚悟がいいわけない。だが退路は合同チームの総勢に塞がれており、正面には不動明王——もはや逃げ場はない。

「い、いやっ…その——」
問答無用!!
ぎゃああぁあぁあぁぁあああぁっ!!!

 闇藤と合同チームがいっせいに襲いかかり、ひいらぎの見ていた世界は一瞬にしてひっくり返った。拳が飛ぶ…蹴りが炸裂する…髪をむしられ、腕を引っ掻かれ、服を裂かれ……苦しい、痛いという感覚を最後に、ひいらぎ達の意識は暴力の雨の中でプツッと糸のように途切れた。

 結局、男子棒倒しでもA組は敗北。ツナが敗軍の将として全校生徒に袋叩きにされてしまったのは、また別の話。