『今日は何の日?フッフー♪』
10月31日、午前0時1分。獄寺隼人の携帯電話がイタズラメールを受信した。送り主は「魔法使う人」——比嘉崎ひいらぎのことである。獄寺はベッドの上に腹這いになり、いかにも楽しそうに『月刊世界の謎と不思議 10月号』に読みふけっていたが、受信フォルダを開いた瞬間その顔つきは一変した。
——『今日は何の日』?『フッフー』?ハロウィンだろ、フツーに。
だが、読書妨害されてご機嫌斜めだった獄寺は、ちょっとひねってこう返してみることにした。
『
ガス記念日』
メールは返ってこなかった。
番外001:比嘉崎ひいらぎ
「ひどいよ、ひどいったら…フツーさぁ、彼女の誕生日にさぁ…『ガス記念日』とか言うー?ガス……ガスって…あたしゃガスか!ハロウィン生まれのガスか!引火してやろうかおんどりゃああああああ…」
「
だから悪かったって!」
どうやら正解は「ひいらぎの誕生日」だったらしい。
それが判明したのは今朝、ちょっと遅刻して登校してきたすぐ後だった。黒川花のじとっとした目つきでただならぬ不安を覚えた彼が、恐る恐るひいらぎの顔色を窺ってみて絶句——ひいらぎは今にも黒魔術の呪いをかけてきそうな表情で、前の席に座る獄寺をジロジロギラギラ睨みつけていたのである。
「悪かったって、何がよ。ガス記念日って言ったこと?それとも私の誕生日知らなかったこと?」
「…だからっ——その両方だろーがよ」
獄寺は慎重に言葉を選んだ。ひいらぎの地雷は「えぇっ!あえてそこかよ!?」的な場所に埋まっている。誤って踏んでしまおうものなら、超自然の力で罰せられる。英語で言うとスーパーナチュラルだ。簡単に言えば妙な呪文をかけられるというわけだ。髪の色がかわいいピンク色になったり、人前で掻けないようなところが猛烈にかゆくなったり、座ってた椅子が突然神隠しにあったり、誰にも触れられていないのに脇の下がくすぐったくなったり、とにかく
地味に効くのである。彼女の嫌がらせは。そして誰にも理解してもらえないときた。最悪だ。
そんなわけで、なんとか彼女のご機嫌を取り繕うと試みる獄寺だったが、あまり望みはなさそうだ。獄寺が後ろ向きに座ってまでまっすぐ向き合ってやっているというのに、ひいらぎときたら机に頬杖をついて窓から空を眺めている。目くらい合わせろ。
「目くらい合わ…じゃなかった、オラ、放課後どっか好きなとこ連れてってやるから機嫌直せよ」
「やーだ。ツナとデートするってさっき約束したんだもん」
「えっ…オレまきこむなよ!」
沢田綱吉がひそひそ口を挟んだが、時既に遅し。
「ツナって——てめ
10代目とデートってどーいうことだコラァ!身の程わきまえろ、あぁ!?」
「
なんか論点違うしー!」
「おっかしいな……何で私が妬まれなきゃいけないんだっけ…」
——いかん、ついアツくなっちまった。
ひいらぎの冷静なツッコミで獄寺はハッと我に返った。まずい、今ので確実に彼女の不機嫌さがレベルアップした。
「ちなみに獄寺と比嘉崎ー、一応君ら以外の生徒は数学の授業中だってことを頭の片隅に入れておいてくれー」
数学教諭の忠告は無視された。獄寺にとって、今はそれどころではない。ひいらぎの机の上には数学の教科書でも参考書でもなく、明らかに黒魔術系のものと思われる文献が堂々と広げられているのだ。おまけに、手には怪しげな瓶。何かしでかす気満々である。
「て、てめえ…オレに一体何する気だ…?」
獄寺はひくひくと口元を引きつらせた。
「うーん。まだ決めてない」
「
ウソつけ!手が儀式始めてんぞ!!?」
獄寺の指摘でひいらぎはようやく手をとめた。机の上に赤い粉で魔法陣を描いたところだった。
「分かった。そんなに怖いなら……誕生日のこと
は許してあげる…」
「っ!! ホントか!?」
心の底からホッとしてみせる獄寺。ひいらぎはにっこりと深く微笑み、大きく頷く。「そのかわり——」
——ずいっ。
獄寺の目の前に、ひいらぎの両手が差し出された。
「こっちは忘れちゃいないから。
トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)」
***
「罠だ…二重の罠だ……比嘉崎おそろしい…」
頭のてっぺんにかわいらしいお花を生やしてぐったりしている獄寺を遠巻きに眺め、ツナはぼそりと呟いた。教室のあちこちから、クスクスと彼の間抜けな格好を笑う声が聞こえてくる。
可哀想に、獄寺は「トリック・オア・トリート」と凄まれてもお菓子を持っているわけがなく——大体手ぶらで通学するような人種だ——、抵抗することも許されず、問答無用で悪戯をしかけられてしまったのだ。きっとこの間ツナの家でやっていたテレビゲームからヒントを得たのだろう。ひいらぎがラテン語の呪文を唱えると、頭の、ちょうど脳天のところに、色鮮やかな花が咲いた。その絵面ときたら…間抜けもいいところである。
「クソ…比嘉崎め……いつか絶対泣かしてやる…!」
(
無理だと思うー!)
実際に口に出す勇気はないので、ツナは心の中だけでブンブンと手を振って否定した。
「やだー!獄寺君ちょーかわいい…!」
「写メとりたーい」
「獄寺君照れてる~!やばーい!!」
教室のドアには前も後ろも、全校から噂を聞きつけてきた女子が押し寄せ、巨大な人だかりができていた。獄寺の顔は、あまりの恥ずかしさでかつてないほどに紅潮している。首と耳まで赤くなっている。身体はプルプルと小刻みに震えていた。多分こっちは怒りも半分混ざっているのだろうとツナは確信した。
……と、ここで山本が油を注しにやって来る。
「ハハッ。いいじゃねーか獄寺!カワイイカワイイ。似合ってるぞ」
「
てめーイヤミかブッ殺すぞ!!」
天地がひっくり返ったってありえないことだが、分かっててやってるのならかなりの凶悪犯だ。
「
だーっ!! にゃろ!!!」
獄寺が突然机を叩いて立ち上がった。
「んなもん生やしてられっか!今すぐ引っこ抜いてやる!」
アクセサリーで固められた手が、元気よく生えている緑色の茎を鷲掴みにする。まぁそういう行動を起こすだろうなと分かりきっていたので、ツナは別段驚くこともなくその様子を見つめていた。
——のだが…。
「やめておいたほうがいいぞ」
背後から、幼子の声。
「
!!?」
「リボーンさん!」
黄色いおしゃぶりの赤ん坊が窓枠にちょこんと突っ立っている。今日はハロウィンにちなんでオバケの格好だ。目のところに穴のあいた、白い袋状の衣装をかぶっている。ちゃんとおしゃぶりを露出する穴も開けてあるようだ。お腹のあたりにはなぜかドラえもんのような半円形のポケットが縫い付けられている。
そんなお茶目な見かけとは裏腹に、リボーンは獄寺に向かっておぞましい宣告をした。
「それはお前の脳のエネルギーを直接吸い取って咲いてる花だからな。無理に引っこ抜くと脳みそごと取れちまうぞ」
「
な゛っ…!?」
「
えー!うそー!!?」
そんな恐ろしい呪文を比嘉崎がー!!?
「じゃ、じゃあどうすれば取れるんスか!? リボーンさん!!」
「比嘉崎に謝って反対呪文をかけてもらうしかねーな」
獄寺は目に見えて愕然としていた。たったさっき「泣かせてやる」とまで言わしめた憎い相手に頭を下げなければならないとは——それは確かに屈辱的だ。あまりに深刻な顔をするので、ツナは「いや、二人付き合ってるんじゃなかったっけ…」と尤もなツッコミをいれるのも忘れてしまっていた。
——どうする気だろう、獄寺君…。
ツナは不安になって銀色の後ろ頭を見つめた。強情っぱりな彼のことだ。「謝るよりマシだ!」とか言って死を覚悟で無理に引き抜いたりしなければいいのだが——。
「……10代目…」
静かな声がツナを呼び止めた。真剣そのものの声だった。ツナは思わずびくりと肩を震わせる。
「ご、獄寺君…まさか君……」
「オレは、あいつの誕生日を忘れてたことはきちんと謝りました。けど……菓子を持ってなかったことまで謝る義理はありません…そんなことで頭を下げるくらいなら——」
獄寺がバッとツナを振り向いた。そして両手を振り上げ…。
「獄寺君!ダメ…」
「
10代目から代わりに頼んで下さい!!」
勢い良く床に手をつき、がつんと頭を下げた。
(
えぇーっ!男気ねえーーっ!!!)
***
結局断るに断りきれず、獄寺の頼みを聞き入れる羽目になってしまった。オレが頼んだって解いてくれないと思うんだけどなあ——モヤモヤした不安を胸に抱きながら、ツナは昼休みの残り時間を使ってひいらぎの姿を探しまわった。いつもは京子かツナたちのどちらかと昼食を食べているはずなのだが、今日に限って見当たらない。部活の呼び出しでも食らったのかもしれない。
「——あ」
四階に差し掛かったところで、ツナはようやく目当ての金髪を見つけた。ツナの知らない先輩と楽しそうに廊下で立ち話をしている。
「比嘉崎ーっ!」
大声を上げて呼びかけると、ひいらぎがきょとんとした顔でこちらを振り向いた。
「ツナ?何でこんなとこにいんの」
「お前こそ!ここで何してんだよ?」
「私は部活ので用事があったの」
やっぱり部活かあ…。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「お前のせいで獄寺君の機嫌さいあくだよ!頼むからあれ元に戻してやってよ…」
「何?あの呪い、まだ解けてないわけ?」
「
解けるわけないだろ!! 獄寺君は怖いわリボーンは気味悪いこと言うわで大騒ぎなんだからな!」
「るっさいなー。私の知ったことじゃないっての!」
ツナがいくら叱ろうが、ひいらぎは全く反省の色がない。何で分からないんだろう——もどかしさが募る——悪戯をするなとは言わないが、やっていいことにも限度がある。いくらなんでもこれはやりすぎだ。ちょっと誕生日を忘れられたからって、まさか命に関わる呪いをかけるなんて——。
「……見損なったぞ…」
ぎゅっと拳を握りしめる。爪が手の平に食い込んで痛かった。
「もし…もし、獄寺君がお前のせいで死んじゃったら…」
「……は…?」
「
オレは絶対!死んでもお前を許さない!!」
言いたいことを全て吐き出すと、ツナはひいらぎの言い分にも耳を貸さず一方的に話を完結させ、踵を返して廊下を駆け戻った。
廊下に一人取り残されたひいらぎ。周囲に散らばっていた上級生が、興味津々の目つきで彼女を凝視している。意味もなく注目を浴びることの恥ずかしさよりも先に、頭の中は膨大な量のクエスチョンマークで満たされる。彼女にはツナの言い分を全く理解できなかったらしい。
「……今の…日本語でどういう意味…?」
***
「10代目!」
「ツナ!」
荒い足取りで教室へ戻ると、さっそく獄寺と山本に出迎えられた。心苦しいほど期待に満ちあふれた視線が一気に自分へ向けられる。ツナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「どうでした?OKしてくれました!?」
「ごめん、獄寺君…ダメだった…」
「……え…」
露骨にショックを受ける獄寺。ずきんと胸が痛む。ツナは顔の前で両手を合わせ、深々頭を下げた。
「ホンットごめん、オレが途中で逆ギレしちゃったんだ…で、でも安心して!後でもっかい——」
「——いいんです」
獄寺が遮った。不安げに顔を上げ、獄寺の顔色を窺う。
驚いたことに——笑っている。
「もういいんです。余計な心配かけてすいませんでした……だから、そんな謝らないで下さい…」
「獄寺君…」
ツナは泣きたくなってきた。獄寺の浮かべている表情は確かに笑顔ではあったが、どう見たって無理している。山本の目から見てもそれは明らかなくらいだった。
——せっかく獄寺君が頼ってくれたのに——オレ、失望させてばっかりだ…。
「それに見て下さい10代目!よく見たらこの花、結構オシャレじゃないスか!」
「え゛…?」
「今冬は絶対この波来ますって!そしたらオレはファッション界のニューウェーブっス!! ハハハハハ…」
「ご……獄寺…君…?」
やばい。とツナは本能的に悟った。
(
獄寺君ヤケになったー!!!)
——絶対…100%、そんな波来ないよ…!大体普通の人間はそんなカッコできませんって!!
困り果てたツナは山本に目で助けを訴えようとした——が、山本もぽかんと間抜けな顔をして言葉を失っている。どうしよう。本格的にお手上げだ。もう自分達には手の施しようがない…。
「
まったく!なっさけないんだから!!」
獄寺の奇妙な笑いがぴたりと止んだ。この声、まさか!——ツナは藁にもすがる思いで、勢い良く目を上げる。教室の入り口のところに、ひいらぎが腕組みをして寄りかかっている。
「比嘉崎!」
涙が出そうだった。
ひいらぎはツナの情けない声を聞き流し、ずんずんと荒っぽい大股で獄寺に歩み寄る。
「んっとに大袈裟なんだから。これくらい一気に引っこ抜く男気見せなさいよ!!」
そして何の躊躇もなく、獄寺の頭に生えた花を
むしり取った。
「
んなーっ!!?」
思わず頭を抱えるツナ。獄寺にいたっては声も出せないでいる。ひいらぎはそんな二人には目もくれず、根っこをぶら下げた草花をぽいっと床に投げ捨てた。獄寺という苗床を追放された花はみるみるうちにしぼんでいき、くたびれた根っこは——根…根っこ……?
ツナは慌てて獄寺を見上げた。涙目で固まってしまっているが、別段変わったところはない。
「あれ…?脳みそ…?」
「はぁ?何ワケの分かんないこといってるの…」
ひいらぎは手をパンパンと叩き合わせながら思い切り顔をしかめた。
「あのねえ!! 頭にお花生やしただけで脳みそがどうにかなるわけないでしょーが!
ツナが変な言いがかりつけてきたせいで、先輩達にイヤ~な目で睨まれたんだからね!!」
「へ…!?」
——まさか…。
ギシギシと軋み音でも聞こえてきそうなほどぎこちなく窓際を振り返る。そこには、オバケの衣装を脱ぎ捨て、嘘のように色鮮やかなスーツを身に纏い、どこかで見たようなド派手なプラカードを掲げているリボーンが…。
「テッテレーン♪ドッキリ、
大・成・功~★」
「
悪趣味か!!」
その後少なくとも3時間は、獄寺は誰とも口をきくことができなかった。