銀時はジャンプを下にずらし、不機嫌そうな顔を覗かせた。

「オイ景時。ジャマなんだけど」

 ソファに仰向けになってジャンプに読み耽る銀時。その脚は、景時が端に腰かけたせいで曲げざるを得なくなっている。今日は仕事のない完全オフ日(が続いて3日目の昼)。せっかくのんびりできるんだから、思いきり脚を伸ばしてリラックスしてジャンプ読みたい。そんな銀時の気持ちなど露程も知らない景時は、涼しい顔をして文庫本のページをめくった。

「座って読みゃいいだろ」

 銀時はイラッとした。向かいのソファに移ろうにも、そちらでは千鶴が新八に繕い物を教えている真っ最中。新八ならまだしも、千鶴をソファから蹴り落とすわけにはいくまい。

「………」

 銀時は曲げていた脚を存分に伸ばした。景時をソファの一部と思うことにしたのだ。

「………」

 今度は景時がイラッとした。膝の上に野郎の足を乗せられて、いい気分になるはずもない。しかもちょっと臭い。

「どけろ、銀時」
「………」
「くせぇんだけど。クソ暑いのにブーツなんざ履くから蒸れるんだ」

 ずけずけとものを言う景時に怯むことなく、銀時は彼の膝の上で足を組み替えた。

「オメーさんだって履いてんじゃねェか。勇気を出して嗅いでみろ。男の足っつーのは、おしなべてクセェもんなんだよ」
「一緒にすんな。お前とは滲み出てるものが違う」
「あンだとォ?」

 銀時がまたジャンプの上から顔を出した。景時は銀時の足を押しのけ、彼に背を向けるように身体を横へ向けて読書を再開した。これで膝に足を置くことはできないだろう。銀時はピキピキと青筋を浮かべた。

「いい度胸してんじゃねェかオイ新入り。オーナーにケツ向けていかがわしい本読みやがってよォ」
「至って普通の軍記物だ」
「ハァァァ何オメーさっきからそんな退屈なの真剣に読んでたの?うわァ〜…モテねェだろお前」
「漫画読んでるお前に言えたことかバーーーカ」

 新八と千鶴は手を止め、向かいの2人に呆れ眼を投げかけた。

(……【バーカ】って…)

 共同生活が始まって数日が過ぎたが、銀時と景時の折り合いは最悪だ。景時はイケメンだ。同じ男である新八から見ても、彼は格好よかった。しかも銀時と互角の強さを持つと来た。銀時のひねくれた性格を考えれば、こりゃあ上手くいくはずない。

 だいたいすました態度の景時に銀時がつっかかり、くだらない言い合いを続けるうちに、景時まで大人げのない悪態をつくようになる。現在進行形で繰り広げられているコレがそうだ。

「バッカだねオメー、ジャンプは少年の心がたっぷり詰まった宝箱だよ?女っつーのはな、こーいう青臭ェ夢見る男に母性本能くすぐられてコロッときちまうモンなんだよ」
「へーあんたにゃ効果なかったみたいだがな」
「ハァ〜?何言ってんのバカですかオメー。銀さんモッテモテで、むしろ困ってるくらいだから今。昨日もさァ熱い夜過ごしたばっかでェ…。アイツ所構わず痕つけやがって参っちまうわホント」
「何?モテるって何に?蚊?痒そうだなオイ ムヒ貸してやろうか」

 景時は銀時の首筋についた赤い痕の正体を難なく見破ってニタリとした。銀時のこめかみがヒクヒクと引きつったのを見て、新八は静かに溜め息をついた。こりゃしばらく収まらないな。

「嫌だねオメーこれが虫さされだって?ガキみてェなこと言うなよ。こういうの縁ないんでしょォ。カーワーイーイー。あ、よかったらお前にちょうどよさそうな女紹介してやろうか?大丈夫大丈夫!経験なくても大丈夫!ちゃんとエスコートしてくれるよォあのオネーサンなら」
「お前の世話なんぞ誰がいるかいかがわしい。あーどうでもいいけど昨日アイツに爪立てられたとこ痒ぃー」
「誰?誰アイツって。猫?お前動物のメスにまで嫌われてんのかよ」
「………」

 景時は一度肩越しに銀時を振り向くと、勝ち誇ったようにハンと鼻で笑い、また後ろ頭を向けて文庫本に戻っていった。

「ちょ、何今の!? オイ!どーいう意味だこっち向けコノヤロー!昨日どこでナニしてやがったんだテメェなるべく詳しく聞かせろ!」

 ギャンギャン騒ぎ立てる銀時にやれやれと首を振り、新八と千鶴は繕い物に意識を戻した。

「…まったく、千鶴さん来てるのになんつー会話してんだか。景時さんも、普段クールぶってるけど結局銀さんと精神年齢一緒だよな…」
「楽しそうだね、銀さんと宝生さん」

 千鶴が針の根元で結び目を作りながら笑った。新八はがくりとずっこけた。

「イヤ……楽しそうなんですかアレ…」
「宝生さん、前いたところでは年上の方たちに囲まれて気を張ってたから…。銀さんも年上だけど、あの人には気を遣う必要ないみたい」
「まあ、そう言われればそうですね」

 新八は苦笑した。自分は10個近く年が離れているので、一応敬語を使ってはいるが、言葉の内容にほとんど敬意はない。神楽に至っては遠慮なくタメ口だし。

 って、アレ?

「…あれ、そういえば神楽ちゃんは?」

 新八は繕い物をテーブルに置き、キョロキョロとあたりを見回した。ついちょっと前まではその辺で情報番組の報道内容にズレたケチをつけていたはずだが、いつの間にか姿が見えなくなっている。

「え…?さっきまでテレビの前にいたけど…」
 遅れて千鶴も神楽の姿が見当たらないことに気づいたようだ。「…どこ行っちゃったんだろう」

 その問いに答えるかのようなタイミングで、玄関のドアがガララッと鳴った。

「ただいまヨ〜」

 能天気な声が聞こえる。この訛り方は神楽だ。

「なんだ。神楽ちゃん、外に出かけてたんだ」
 新八は神楽を出迎えるため立ち上がろうと腰を浮かせた。
「神楽ちゃーん、おかえ——」

 その言葉は、ドタドタと慌ただしい足音に掻き消された。

「景時ィィィッ!!

 神楽の姿が見えたかと思うと、次の瞬間、銀時は凄まじい衝撃を腹に食らって【ぐおッ】と潰れた声を上げた。神楽がソファに寝そべったままの銀時の上に飛び乗ったのだ。景時がギョッとして振り向く。神楽は銀時の上を四つん這いに進むと、その背中にベターッとくっついた。

「景時!ただいまヨ〜!」
「お、おう…」
「2人で食べよう思って酢昆布いーっぱい買ってきたネ!」
「わ、わかったから離れろ——」

 たじたじの景時に構わず、神楽は彼の腰に両腕を回してきつく抱きしめた。

「……何なんだよ、ったく…」

 銀時は腹をさすりながら神楽の下から這い出した。そして、ソファの端でピッタリくっついている2人組を視界に入れ、思いっきり顔をしかめる。

「オイオイ…昼間っからお盛んなこった。そーいうのは人目につかないとこでやってくんない?」

 銀時は景時の側頭部に足の裏を押しつけ、グイグイと力を込めた。【あっちでやれ】なんて口では言っているものの、どうやら神楽が野郎に過剰に懐いているのが気に食わないらしく、神楽から景時を引き離そうとしている。

「テメッ…、銀時、くせぇ足を押しつけんじゃねぇ…!」
「うるせー女モンのシャンプーみてェなチャラついたニオイさせやがって。男はクサくてなんぼだってんだオラオラ」
「やめてヨ銀ちゃん!銀ちゃんのニオイが移っちゃうアル!」

 あーあ。またうるさくなった。新八はソファに戻って小さく溜め息をついた。

 銀時が彼を嫌っているもうひとつの理由がこれだった。景時が万事屋に来てから、神楽は彼にベッタリなのだ。いつも二言目には【景時】、【景時】。銀時からすれば彼は、妹を搔っ攫っていった、いけ好かないよその男…といったところなんだろう。

(僕はてっきり景時さんは千鶴さんと好い仲なんだと思ってたんだけど…)

 新八はチラリと横目で千鶴を見やった。千鶴は向かいのソファでじゃれ合う3人を眺めてクスクス笑っている。

(全然そういう感じじゃないんだよなぁ…)

 初めて会った時は確かにただならぬ雰囲気であったが、あれ以来はいたって普通だ。景時は千鶴に対して素っ気ないし、千鶴も景時には銀時や新八、神楽と同じように接している。…もっとも、景時は千鶴にめっぽう弱いみたいだが。

 だけど、時々、2人はそれぞれひどく悲しそうな目をして空虚を見つめていることがある。

 いったい2人の間には何があったんだろう。
 職場が一緒だった…とは言っていたが、やはりそれだけではないだろう。ずっと気になっているのに、どうもこちらからは聞きづらい。

(いつか話してくれるといいな…)

「うわクサッ!クサいヨ銀ちゃん!何日風呂サボったらこんなニオイになるアルか!」
「サボってねーよ毎日入ってらァ!つーかお前いい加減コイツから離れろ!」
「イーヤー!私 景時と酢昆布ゲームするネ!酢昆布の両側くわえて端っこからちょっとずつ食べていって、徐々に近付いてくるお互いの顔にドキドキして、そのうち【アレ!? このまま続けたら、私、キ、キ、キ…】って慌ててたらパクって唇をくわえられちゃってイタズラっぽくほほ笑みかけられて甘酸っぱい気持ちになりたいアル!」
「ポッキーでやるかその気色悪ィ妄想丸ごと忘れるかしろ!」

 銀時は足を下ろし、両手を使って神楽と景時を引き剥がしにかかった。

「景時テメーしつけェな放せ!少女趣味でもあんのか!」
「そりゃてめぇだろ!放すも何も俺は何もしてねぇ、神楽に言え!」

 もう大人の男2人が少女を奪い合っているようにしか見えない。新八は本日何度目か知れない溜め息を吐くと、

「千鶴さん。お昼ご飯の支度一緒にしましょうか」

 千鶴を連れて台所へ逃げた。

 あの子はどうも、自分に懐いているらしい。

 景時は神楽という少女が自分を見る目がいつもキラキラ輝いていることに気づいていた。銀時が刺々しく当たってくるのも仕方ないのかもしれない。口では【怪力】だの【大食い】だの言っていても、それなりに大事にしているのは一緒に過ごしていれば自然と分かることだ。そこに思慕の情とかはないんだろうが、よそから来た、どこの馬の骨とも知らない野郎が、自分の縄張りの女の子の心を奪ってしまったら、普通面白くない。

 …いや、でもだからってアレはないんじゃないか。

「酷い目に遭った…」

 銀時と神楽にもみくちゃにされ、乱れた着物を整えながら台所へ逃げ込んだ景時は、新八と千鶴が料理に取りかかっているのを見つけ、少しほんわかした気分になった。

 新八は変人だらけの【万事屋】で唯一の常識人だ。だけど決して堅苦しいわけではなく、明るくてノリがよく、気遣いもよくできる少年だと景時は認識している。銀時の芯の部分に惚れ込んで万事屋で働くことになったのだと言うが、景時からすれば、銀時の方がよっぽど新八のこういった部分を見習うべきだと思った。

「新八くん、それ終わったら今度お出汁とってくれる?」
「はいっ——あ、景時さん」

 次の作業に移ろうと身体の向きを変えた拍子に、新八が景時の登場に気づいた。景時は壁に右肩と頭を預けるようにして寄りかかり、2人の姿を観察する体勢に入った。

「昼飯か」
「はい、今作り始めたところなんで、まだしばらくかかると思いますけど」
「あっ」千鶴が慌てたようすで振り返った。「宝生さんはゆっくりなさっててください」

 たすきで袂をからげた千鶴の姿を見て、景時は少し昔を思い出した。だが、すぐに目を伏せてそれを頭から追い出すと、ふっと口元に緩やかな表情を浮かべ、2人のそばへ歩み寄った。

「雪村、はもう、俺に気を遣う必要はない」
「あ…」
「手伝う。どうせすることもないしな」

 そう言って千鶴の手からするりと包丁を抜き取った景時を見て、新八が不思議そうに目をぱちくりさせた。

「宝生さんって料理できるんですか?」
「うまかないがな」

 まな板の前に立つのは酷く久しぶりだった。遠ざかった感覚を呼び起こしながら、手元に横たわる野菜にスッと切れ目を入れる。

「…前の職場、食事の支度は当番制だったんです」

 千鶴が小さく笑いながら説明した。

「へぇ…、2人とも、どんなところで——」

 新八は途中まで質問を口にしてから、ハッとしたように口をつぐんだ。そのようすに思わず手を止めてしまう。

「あ、すいません。何でもないんです…」

 景時と千鶴は顔を見合わせた。どうやら、気づかぬうちに新八には変に気を遣わせてしまっていたようだ。

 新八だけじゃない、きっと銀時も何かに勘づいているに違いない。景時だって、銀時が過去に何か重いものを抱えていることに何となく気づいている。だけど、彼がどんな人生を送ってきたかなんて別に知りたくもない。恐らく銀時も同じような気持ちなんだろう。聞く気もないし、語る気もない。そもそも、自分の事を一から十まで全て語って聞かせるなんてのは野暮というものだ。それを知ったところで意味なんてない。重要なのは【今】、どんな人間なのかってことだ。

 だが、新八や神楽はまだ子供。銀時や景時のような付き合い方はできない。

(気になっているんだろうな)

 ちょっぴり申し訳ない気持ちになりながら、景時は何も聞かなかったかのように、黙々と根野菜を刻み続けた。