「——【万事よろず屋 銀ちゃん】……」
 小さな紙切れと眼前の看板を見比べた後、少女はきりりと表情を引き締めて頷いた。

「よしっ!」

 ——ピーンポーン。
 インターホンが鳴る。

 万事屋店主・坂田銀時、従業員の志村新八、そして神楽は同時に顔を上げた。その目はガッチガチに強張っている。まるで、聞いてはいけないものを聞いてしまったかのような、緊張感。誰も、何も言わない。唇をぎゅっときつく結び、床の木目を数えている。

「……銀さん」新八が口火を切った。が、その先を続けたのは神楽である。
「ピンポン鳴ったネ」
「あぁ、聞こえてらァ」

 銀時はクセの強い銀髪をガシガシと掻き回しながら言った。

「新八ー。ちょっと代わりに出てくれ。俺 今ちょっとすげェ忙しいから」
「ウソつけ。床見てるだけじゃないですか」
「いやいや、これもれっきとした仕事なんだよ。銀さんみたいな立派な視力がないとできない難し〜い仕事なの。フローリングの木目数えて午後までにババァに報告しなきゃなんねーんだ」
「そんなモン報告されたってお登勢さん迷惑ですよ。いいから銀さんが出てくださいってば。アンタここのオーナーでしょ」

 もっともな切り返しをする新八に、銀時は【ウッ】と言葉に詰まる。

「そうアル。もしかしたらスゴイ金持ちのウスラハゲかもしれないヨ。一攫千金の大チャンスネ!」
「なんでウスラハゲ限定?」
「いいかァー神楽ー。世の中なァー、欲丸出しでがっついたって、いいことなんざひとっつもねェんだよ。そういう風にできてんだよ。ホラ、よく言うだろ?【果報は寝て待て】。いいことっつーのは寝てりゃ向こうの方から勝手に舞い込んでくるモンなんだよ。だからここで寝て待とう」
「いや、それはあんたみたいにぐーたら目的で使うことわざじゃありませんっつの」
「寝て待とう」
「二度言うな!聞こえてたわ!聞こえた上で敢えてスルーしたんだよ!!
「ぐだぐだ言ってねーでさっさと出てくるヨロシ」神楽が吐き捨てるように言った。「ダメガネが」

僕ゥ!?

 ——うぅ…。

 せっかく作った強気な表情は、早くも崩れつつあった。どうして誰も出てこないんだろう……人の気配はするのに、もう何分もここで待ちぼうけを食らっている。ひょっとして、さっきの【ピンポン】、聞こえていなかったのかな…——。

 季節は夏真っ盛り。強い日差しがじりじりと肌を焼き、何もしていなくたってじわじわと汗が滲み出てくる。この炎天下、ずっと外に突っ立っているのはきついものがある。

 ——急かすようで申し訳ないけど、ここはやっぱり……。

「も…もう一回…!」

 少女は白魚のような人さし指をすっと持ち上げると、また一度インターホンを鳴らした。

 ——ピンポーン。

「また鳴ったアル。ずいぶんしつこいハゲアルな」
「いや神楽ちゃん……その言い方はないでしょ。お客さんかもしれないんだから……」

 新八はそろそろツッコミを入れる気力も殺げてきてしまったようだ。声に覇気がない。

「おいメガネ」銀時が乱暴に呼んだ。「このあッッつい中お客様待たせまくってんじゃねェよ。おン前ほんっとダメな奴だな…まるで新八じゃねェか」
「ほんとアル。新八って言われても仕方ないネ」
「オイィイィイ!どういう意味だクラァア!新八の何が悪いんだ喧嘩売ってんのかコノヤロー!!

 ドンと床を踏み鳴らしても二人に効果はない。【あ゛あ゛あ゛あ゛〜…】と機械みたいな声を上げて新八の暑苦しい怒号を耳に入れるまいとしている。

 ——そう、この声。夏の風物詩ともいえる【アレ】である。
 新八はキッと眼光を鋭くさせた。

つかアンタら単にそこから動きたくないだけだろォオオ!!

 銀時、神楽、新八は、首振り扇風機の前で横一列に並び、その風を受けているところであった。

 どすどす、どす、と大股で乱暴に廊下を渡る新八。鼻息はフンと荒く、こめかみでプチプチと怒筋を弾けさせている。

「ったく…!ほんとアイツらは!仕事を何だと思ってんだまったく!」

 一緒になって扇風機の前に釘付けになっていた自分の事は、この際棚に上げておく。

「これだから【マダオ】は!まるでダメな大人は!! まるでダメな女の子は!!

 ——ピンポーン。
 急かすようにチャイムが鳴り響く。新八の額でまた怒筋が弾けた。

「ハイハイ!聞こえてますってば!」戸の引手に手をかけて、新八は声を荒げる。そして怒りに任せ、思いっきりバシッと開けた。「さっきからピンポンピンポン——」

 目と目が合う。
 怒ったアヒルのようなガーガー声が不自然に途切れた。

「………」
「………」

 ——ウスラハゲなんて誰が言ったんだ。
 新八の喉仏がゴクリと音を立てて上下した。

 くりくりとした大きな瞳、透き通るような白い肌、さらさらとした柔らかそうな髪を、肩口で緩やかに結んでいる。今まで見た事もないような儚げな美少女が、華奢な身体を竦めながら不安げに新八の顔を見つめていた。

「……あ、あの——」

 薄い桜のような色をした唇が開き、鈴の音がこぼれ落ちた。新八は自分の心臓がぎゅっと狭くなるのを感じた。

「——万事屋さんですか?その、お願いしたいことがあるんですけど……」

 すぐさま返事をしようとした新八だったが、唇は震え、喉の奥も何かが詰まったように窮屈で、しばらくまともな声を出せそうになかった。