新八が招き入れた美少女は、おんぼろで掃除も碌に行き届いておらず必要最低限どころか申し訳程度の家具しか置いていないような洒落っ気のない明らかに赤貧状態と分かる殺風景な万事屋の中(早口)で奇妙に浮いて見えた。

 そもそも、こんな純真そうでいかにも【透明感が売りです】みたいな顔をした少女が、このかぶき町にいることすら不思議でたまらない。ここらにいる女性ときたら、妖怪ナントモゲラみたいな顔をしたババァとか、一見小綺麗に見えて後ろに閻魔を背負った剛腕のゴリラ娘だとか、とにかく頭のおかしい連中ばかりなのだ。基準がそこなもんだから、銀時も、新八も、神楽も、このまともそうな少女にどうやって絡んだらいいのか分からず、緊張の汗をだらだらと垂らすしかなかった。いつもの調子で下劣なボケをかまそうものなら、こっちが酷い大火傷を負う事になりそうだ、バラエティ番組風に言うと。

「そ、粗茶でございますが」

 新八はぎくしゃくと一世代前のロボット並みにぎこちない所作で、少女の前に茶を出した。

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げる少女。さらりと絹糸のような髪が揺れ、花の香りが漂う。新八はくらりとした。

(オイィィィイイ!! 新八このダメガネェェエエエ!!!

 盆を持ったまま向かいのソファに座る——と、隣に座っていた銀時が凄まじく野太い声で念を送ってきた。こ、こいつ…!頭に直接——!!

(ちょ、何ですか銀さん。うるさいんですけど)
(うるさいじゃねーよ!お前何粗茶なんか出してんの!そんなモンこのお嬢さんが飲むわきゃねェだろよく考えろ!!)
(いや、できる限り丁寧に淹れましたって!今のは決まり文句みたいなモンで、まぁ確かに安物の茶葉ですけど——つかアンタん家だろここ!んな言うんだったらもっといい茶葉といい湯呑みストックしといてくださいよ!一つ残らず茶シブついてたんスけど!一番マシなの使いましたけど!!
(人の頭ン中でギャンギャンギャンギャン喚くんじゃねェよコノヤロー!! ありゃ茶シブじゃなくてそういう柄なんだっつーの!アレだよお前、ホラ、柿シブ右衛門の)
(誰だよ!うまくねーんだよ!!

「あの…よろしいでしょうか」

 男二人の脳内で不毛な漫才が繰り広げられていることなどまったく知らない少女が、遠慮がちに声を上げた。銀時と新八はハッとしてテレパシー回路を閉ざし、少女に目をやった。

「私は、雪村千鶴といいます」

 少女が名乗り、ゆっくりと頭を下げた。すると銀時はガシガシと白い頭を掻き回しながら、照れくさそうに目を逸らした。

「——あー、今日はなんか、依頼で…?」
「はい……」

 千鶴は切なげに目を伏せた。

 こりゃあ、なんかあるな——銀時は誰にも悟られないよう、僅かに眉を寄せた。

「実は私、お願いがあって……」

 千鶴はゆるりと顔を上げると、その大きくて澄んだ瞳をまず神楽に向けた。

「……な、何アルか」

 ぎくりとしてぶっきらぼうに睨み返す神楽。千鶴は【あっ、いえ!】と首を振ってから、今度は新八を見やった。突然目が合った新八は一瞬どきりとして唾を飲み込んだが、すぐに目は逸らされる。同じようにして最後にロックオンされたのは、ソファの真ん中にどっかりと座っている銀時だった。

 そして今度は逸らさない。千鶴の目は真剣な色を浮かべ、ジッと何かを見定めるように、穴があくほどに銀時の顔を見つめた。

「ん?」

 なんだなんだと困惑する銀時。千鶴は何かを決心したように【うん!】と頷いて——、

「わっ、私と!——私と、付き合ってください!」
 がばっと頭を下げた。

 間。

「「「どェエエェエエェェエエェエエエエエエエ!!?」」」

どどどどど、どーゆーことォ!!? 血迷わないでください千鶴さん!!
「【血迷う】って、新八、パニクんのは分かるが、言葉は選べー」
「そうアル!こんな足がクサい上に鼻クソほじくっちゃあそのへんに弾き飛ばすような不潔な天パのオッサンのどこを見たらそんなアホみたいな告白が飛び出してくるネ!考え直すヨロシ!
「うるせェよ神楽、罪なき家具になすりつけるよかマシだろ!」
「どっちも最低ネ」
「千鶴さんこんなかわいらしいんですからもっといい人がいますって!目ェ覚まそ!?」
「こんなマダオ(王級にサいッサン)と付き合うくらいなら道端に張りついてるガムと付き合う方がよっぽど有意義アル!」

「……お前らなァ…」

 止まらない、止められない、従業員らから飛び出す罵詈雑言の数々に、銀時は口元を引きつらせた。こいつらは一体上司をなんだと思ってるんだ。ガキどもが口を開くたび、銀時のHPはゴリゴリとすさまじい勢いで削られていく。

 そこへさらに、2人の勢いに圧された千鶴から追い打ちがかかった。

「あっ…その、ごめんなさい!」
フったァァァ!!!

 突然の急展開に、新八が絶叫した。

「………」

 銀時は大きな掌でそっと自分の目もとを覆った。

 いくらなんでもこれはショックだ。露骨に舞い上がったりはしなかったが、銀時も男である。可憐な少女に告白されて、ちょっと嬉しかったのは事実。それがこうもコロッと……。

「え…?何コレ?なんで銀さんが告られたのに銀さんがフラれてんの?あれ?なんだろう?目の奥がツーンと……」

 そんな銀時とは裏腹に、神楽と新八はあからさまにホッとした顔をして、腕で額の汗を拭った。

「目が覚めたアルな…」
「よかった……過ちを犯す前で」

 …と、ここで3人のやりとりをポカンと見ていた千鶴が、ワンテンポ遅れて自分の発言がどういう意味で取られてしまったのか気づいたようだった。

「ええっ!ちっ、違うんです!今のはそういう意味じゃなくって——」

 慌てた様子でブンブンと掌を振る千鶴に、万事屋は再びキョトンとした。
 違う?そういう意味じゃない?——っていうことは、つまり…。

「マジでか」
 銀時がぽつりと呟いた。

「おっ、お願いします!」

 千鶴はかぼそい声をめいっぱい張り上げた。恥ずかしさのあまり、顔はりんごのように紅潮し、目も涙でうるうるしている。そんな調子で見つめられて、グッとこない男はいない。銀時はゴクリと唾を飲み込んだ。

 来た来た来た。ついに来た!——言葉を失い、愕然と銀時を見つめる子供2人に、誇らしげな感情がわいてくる。俺にだって浮いた話の一つや二つ!きっとどこぞで俺の活躍を目の当たりにして一目惚れしてしまったに違いない。まったく、俺ときたら、罪作りな侍である……。

 しかし、次の千鶴の一言で、銀時の鼻っ柱は完膚なきまでにへし折られる事になる。

「1日だけ、婚約者のフリをしていただけませんか!?」
「「「……【フリ】?」」」

 銀時、新八、神楽の声が3つきれいに重なった。

「あ、あぁー…そーいうこと」

 ぼんやりとだが、徐々に事の輪郭が見えてきた。銀時はちょっぴり残念に思いながらも、それを表に出す事なく冷静なリアクションを取り繕った。

「その——」千鶴は再び目を落とし、陰気な調子で語り出した。「私、ここから少し離れたところでお世話になっているんですが……」

 お世話になっている…ということは、実家暮らしではないのか。

「……少し前から、何度も迫ってくる方がいて、困っているんです」

 やっぱりな。銀時はぐったりと溜め息をつき、ソファの背もたれにだらしなく寄りかかった。

「ってェことは、なんだ、俺に男をフるための口実になれ…ってことか」

 銀時が言い正す。それでようやく新八もピンときたようである。

「あぁ。それで僕や神楽ちゃんじゃなくて、銀さんに……」

 神楽は女なので論外だし、新八では年が若すぎる。消去法で銀時しかいなかったのだろう。うん、仕方ない、消去法だったんだ。千鶴には選択肢がなかった。かわいそうだ。

「オイー、新八ィー、テメー考えてる事がなんとなく表に滲み出てんぞー」

 新八がそんな具合の考えを巡らせてうんうん頷いていると、銀時が抑揚のない声でつっこんだ。

「おお。だんだん分かってきたヨ」

 新八よりやや遅れて、神楽も合点がいったようだ。手の平に拳をぽんと叩き付けるという、古典的なリアクションをとってみせた。

「要するに、銀ちゃんが彼氏のフリしてそのストーカー野郎をぶっ飛ばすってことアルな」
「ストー…?」千鶴がきょとんと首を傾げる。
「変態つきまとい野郎ってこった」

 銀時が簡潔に言い換えると、千鶴は【そ、そんな!】と慌てた様子で首を横に振った。

「源之介さんは、とってもお優しい方なんです!——ただ、私の心の問題というか…」
「そりゃ狙った女に優しくするのは当たり前ネ。千鶴は甘すぎるアル。ぬるいアル!そんなことだからすぐ変な男に付け入られるのヨ」
「オメーは千鶴さんの何を知ってんだ」

 神楽の根拠のない訳知り顔に、新八が呆れたような目をやった。

「私——」千鶴がゆっくりと重たげに口を開いた。「——えーと、い、田舎から出てきたばかりで、右も左も分からない状態だったんです。そんな世間知らずの私に、源之介さんはとてもよくしてくれました。ガスや水道の使い方も、電話のかけ方も、信号の渡り方だって、嫌な顔一つせず教えてくれて…。源之介さんがいなければ、私は江戸に馴染むことなんてできなかったと思います」

 オイオイオイ——万事屋一同は心の中で一斉にツッコミの声を上げた。どんだけ箱入り娘なんだ、この子は。

「でも」

 千鶴は暗い声色で逆接の言葉をつなげる。

「どれだけ感謝の気持ちがあっても、それとこれとは話が違います…。私は源之介さんをそんな風に見たことはありませんし、ましてや結婚だなんて……」

 華奢な膝の上で、千鶴の握り拳にぎゅっと力が込められた。

「でも、話が通じる相手なら、素直に千鶴さんのお気持ちをお話してお断りすればいいんじゃないですか?わざわざ騙すようなことしなくたって」

 新八が腑に落ちないという顔で口を挟んだ。

「……お断りしました」千鶴がゆるゆると首を振る。「聞き入れてもらえなかったんです」

 そうだろうなと銀時は思った。

「そりゃ、適齢期の、それもこんな上玉が独り身とくりゃ放っとけねーわな…」

 う、と千鶴は項垂れる。【適齢期】【独り身】という言葉がどこぞに刺さってしまったようだ。

「お世話になってるお家の方からも、こんなにいい縁談はないって…嫁き遅れになる前に、って説得されてしまって、いよいよ頼る宛てがなく……それで咄嗟に【婚約者がいる】と嘘をついてしまったんです……当然、信じてなんかもらえなくって、源之介さんにも【嘘でないならその男に会わせろ】と……」
「あーあー。まーためんどくせェ言い訳でっちあげちゃって」

 銀時が死んだ魚のような目をしてぼやくと、千鶴は眉毛を下げ、申し訳なさそうな顔をした。

「ご、ごめんなさい……」

 その表情を見て、新八と神楽が慌てふためいた。

「ちっ、千鶴さん!謝らなくていいんですよ、仕方なかったんですから!」
「そうアル!銀ちゃんもそんな言い方やめてヨ!」

 ったくコイツら、すっかり絆されちまいやがって……。銀時は【あーはいはい悪かったよ】と適当に謝った後、きまり悪そうに目を逸らした。

「それで、藁にもすがる思いでうちを訪ねてきてくださったんですよね?」
「はい」千鶴は弱々しく頷いた。「ご近所の方にこちらを紹介してもらって——皆さんの制止をなんとか振り切ってここへ来ました」
「絶対メチャクチャ嫌な紹介のされ方してる!!
「お前、それでよく頼る気になったアルな」

 新八と神楽が口を揃えて言った。全く失礼な話である。

「……私は、結婚なんてできません…相手が誰とかではないんです」

 千鶴がぽつりと言った。その声は微かなものだったが、頑なで、芯があり、それでいてどこか思い詰めているように聞こえた。

「報酬はもちろんお支払いいたします」

 千鶴は懐から茶封筒を取り出し、彼女と銀時達の間に据えられたテーブルの上にそっと置いた。

「これぐらいしか出せませんけど……どうか、どうか助けてください!」

 ふわり、と花の香りが漂う。千鶴は髪を揺らし、万事屋の3人に向かって深々と頭を下げた。

 銀時は左手でガシガシと髪の毛を掻きながら、もう一方の手で封筒を取り上げた。ぺらりと簡単に折れ曲がった薄い封筒。封を開け、中を覗き込んでみる。確かに多くはない金額だったが、若い娘がこれだけの金を一人で用意するのは骨が折れたことだろう。きっとそれだけ切羽詰まっていたのだ。

「……はァ〜〜〜…」

 銀時は長ったらしく溜め息をつくと、空気を切り替えんとばかりにペシッと膝をはたいた。

「しゃーねェな。受けてやるよ、千鶴」

 パッと、千鶴が顔を上げる。彼女の期待の眼差しが、銀時の目をまっすぐに射抜いた。

「1日だけ、お前の男になってやらァ」

 ——【お前の男】。その一言で、千鶴の顔にカーッと赤みが差す。自分で頼んでおきながら、なんて純情なんだ。変わり者に囲まれてばかりいた銀時には、千鶴の初心な反応がたまらなかった。心の割と浅いところで【結構役得かも…】なんて卑しいことを考えたりして。

「……銀さん。鼻から下、緩みきってますよ」
「キモいアル」

 それを子供達に見抜かれちゃったりして。