銀時は立ち尽くしていた。
 豪奢な門の前で。

 ——ザザッ…。
『こちらコードネーム【K】。所定のポジションに就きましたヨ、どうぞ』
 ——ザザッ…。
『こちらコードネーム【S】。こちらも準備OKです、どうぞ』
 ——ザザッ…。
「コードネーム【G】。なんていうか今すぐ帰りてェです、どうぞ」

 銀時はトランシーバーに情けない声を吹き込むと、げんなりと【それ】を見上げた。

 壮大な門、果てしなく続く長い塀。豪邸だ。こんなの聞いてない。すンげー豪邸だ。その一方——力なく自分の格好を見下ろしてみる。銀時はなんとか調達した苦し紛れのなんちゃって紋付袴だ。

何これェェエエエ!! 聞いてないんですけどォオオオ!!!

 やにわに声を張った銀時に驚いて、斜め後ろで控えていた千鶴がびくりと跳ねた。

「ぎ、銀さん……」
「何この豪邸!この門!この塀!長すぎだろ!日本縦断でもするつもりですかコノヤロー!!

 わけの分からない事をギャーギャー叫びながら、銀時はげしげしと塀を足蹴にする。

「千鶴!」突然理不尽に鋭い目を向けられ、千鶴は【ひっ】と縮み上がった。「おめーは俺に公開処刑でもさせる気か!! 初めに言えよ!こんな高レベル向けのダンジョンだって分かってたらこんなクエ受けなかったってんだよ!見ろ、銀さん何も知らずに来たから初期装備だぞ!? こんな装備じゃ入口の雑魚にすら瞬殺されるっつーの!!
「ええっ…?ダン…、ええっ?お願いします、銀さん!私は結婚なんて——」
「お前何なの何贅沢言っちゃってんのォ!? すっげー金持ちじゃん!! すっげーいい話じゃん!! こんないい話二度とねーよ嫁に行けよ何で嫌がんだよ!!! むしろ代わってほしいぐれェだよ!!!
「えっ…と、いや、あの、だから——」
「今からでも遅くねーからさァ!——よし分かった!俺はこれからあんたの家族だ保護者だお兄様だ!!【妹をよろしくお願いします】って頭下げてくっから、是非ボクを親戚にしてくださいお願いします千鶴様」

おいコラァ!! テメェ何抜かしてんだコードネーム【天パ】ァ!! どうぞ』

 ——ザザッ…という音と共に、新八のツッコミが飛んできた。なんという地獄耳、さすがである。

「コードネーム【天パ】って何だ、【G】だっつってんだろコードネーム【ダメガネ】どうぞォ!」
 ——ザザッ…。
『うるさいアル!ギャンギャンギャンギャン喚くなコードネーム【キブリ】どうぞ』
「その【G】じゃねェよ人を害虫呼ばわりすんじゃねェコードネーム【力娘】どうぞォ!!

「……あのう…」

 無線で罵声を飛ばし合う3人に、千鶴は呆れ眼をやるしかなかった。

「…コホン」

 銀時は小さく咳払いをすると、【つーかよォ、】とトランシーバーに向かって話しかけた。

「お前ら、こんなモンまで引っぱり出してついて来やがって……あのなァ、銀さんは大人同士のお話をしに来ただけなんですー。ぶっちゃけガキとかお呼びでないんですけどォーどうぞォー」
『何言ってるネ。銀ちゃんに大人の話し合いなんてできるはずないアル。どうぞ』
『そうですよ。銀さん一人に任せてなんておけません。絶対何かやらかすんだから。どうぞ』

 ヒクヒクッ——銀時の口角が引きつった。

『まあ、ぶっちゃけこんな立派なお屋敷に忍び込むのとか、スリルあって楽しそうかなって思ったりは少なからずしてますけどーどうぞー』
『まあナ。若干ナ。映画みたいでちょっと楽しそうアルなと思わなかったと言や嘘になるナどうぞ』
「テメエら100%そっちだろ!! もう【どうぞ】とは言わねーからな!!

 銀時は今にもトランシーバーを握りつぶしそうな勢いで怒鳴りつけた。ッたく…、こいつらときたら!いつももっともらしいことばかり言っている新八ですらこのザマだ。時々悪ノリがすぎるんだ、あのガキは…。

「え、えーと…」

 不機嫌そうなオーラを放出する銀時の背中に向かって、千鶴が恐る恐る声をかけた。

「新八くんも神楽ちゃんも、楽しそうで何よりです…?」
「………」

 そしてこの子もだいぶズレている。銀時はがっくりと肩を落とした。


 ——ギギィ…。
 重厚な音が響き渡る。銀時と千鶴はハッとして顔を上げた。

 目の前に立ち塞がっていた大層立派な門が、騒がしい声を聞きつけたのだろう、内側からゆっくりと開かれたところだった。露になったのは、しっかりと手入れの行き届いた、美しい純和風の庭園——、そしてその向こうに腰を据える、巨大な屋敷。陽光に照らされてキラキラと細やかな光を纏っている。銀時は眩しさに目を細めた。

「……何の騒ぎかと思えば…」

 開いた門をくぐり、2人の男が姿を現した。

「千鶴様ではありませんか。お待ちしておりましたよ…」

 1人は墨のように黒い着物を着た長身の男だ。片眼鏡モノクルと豊かな口髭というそれっぽいパーツを揃えて紳士を気取っている。口元にうっすらと浮かべた笑みがどことなく胡散臭い。

「あ…」

 もう1人の男を見て、千鶴の口から間抜けな声が漏れた。どこか異様な空気を纏った青年だった。立衿のシャツの上に紺色の着物、下は縦縞模様の袴に編み上げブーツといういでたちだ。腰には刀と脇差し。黒い羽織の衿から伸びる羽織紐は、腹の前でゆったりとクロスさせて肩から後ろへと回し、背中で結んでいる。

「……なんだァ?おたくら」

 銀時は胡散臭そうに男らを一瞥した。

「申し遅れました、わたくしは芦田と申す者——源之介様の執事…のようなものでございます」

 長身の男が恭しく頭を下げて名乗った。それから、彼の背後に控える青年を振り返る。

「こちらの者はただの用心棒です、お気になさらず」
「お気になさらず、って言われたってなァ…」

 銀時はちらりと用心棒の腰に目を走らせた。芦田はそれに目敏く気づき、困ったように苦く笑う。

「今時二本差しなど珍しいでしょう。ご安心くだされ。あれは本物ではございません、竹光です」

 芦田があっさりと暴露した。竹光というのは、木製の刀身に錫箔を貼っただけの偽物の刀である。

「景の字、この方達を源之介様のところへお連れしろ」
「………」

 芦田に【景の字】と呼ばれた用心棒の青年は、無言で僅かに頭を下げると、銀時と千鶴に向かって【入れ】とばかりに顎を動かした。

 横暴な態度、一向に緩められぬ警戒…——用心棒の左手がさりげなく腰の刀にかけられているのを見て、銀時は目を細めた。この男から、嗅いだことのあるにおいがする。かつて自分も纏っていた、そのにおい。銀時のそれは今や大分薄れてしまっているが、この男のものはまだ色濃く残っている。

(腰のものがないと落ち着かねェってか?)

 彼もまた、攘夷戦争に魂を囚われたままの亡霊、か…。

「銀さん?」

 鈴を転がしたような声に名前を呼ばれ、銀時はハッとした。千鶴は芦田に続いて門をくぐったところで立ち止まり、こてんと首を傾げて銀時を見つめていた。

「あー、悪ィ悪ィ」

 なんでもない風を取り繕って、銀時も門をくぐった。急ぎ足で用心棒の横を通り抜ける——。

 かちゃり。

 青年がこれ見よがしに鍔を鳴らした。銀時は足を止め、瞳だけを用心棒に向けた。やはり顔は見えない。不気味な野郎だ。

「お前が雪村の【婚約者役】か」
「………」
「せいぜいボロを出さぬよう気をつけるこった」

 そう言ったきり、用心棒はばさりと羽織を翻して銀時より先に行ってしまった。取り残された銀時は、思いきり面倒臭そうな顔をして、ぽりぽりとこめかみのあたりを掻いた。

 こちらの魂胆、筒抜けではないか。いや、それにしても——。

「……【雪村】、ねぇ…」

 銀時と千鶴は応接間に招き入れられ、高級そうな手触りの座布団に並んで座らされた。肝心の野郎はまだ来ておらず、机を挟んだ向かい側には座布団が一枚置かれているだけだった。

 応接間は呆れるほど広く、ぴかぴかだった。しかもクーラー完備で部屋全体が均等に冷えている。畳はきっちりと手入れが行き届いており美しく、万事屋の色褪せてささくれ立った畳とはまるきり別物だ。繊細に織り込まれた畳縁の花模様が、縁側から差す陽光でキラキラ輝いて見える。違い棚には洒落た花瓶が飾り付けられ、床の間には立派な掛け軸と大きな壷がどっしりと据えられている。万が一破いたり割ったりしようものなら、銀時では一生かかっても弁償できそうもないだろう。

「粗茶でございますが…」

 スッと、銀時と千鶴の前に湯呑みが置かれた。茶シブは見当たらない。その上、茶菓子まである。艶やかな漆器にちょこんと載った小さなきんつば。品のある蒔絵によく合うすました色をしており、【てめーさまの安物しか味わった事のない口に合うかは分かりませんがね】なんて言われているような気がした。

「あー…どうも」

 冷や汗を垂らしながら一応礼を言っておく。だが、なんとなく手をつけづらい。

(つーか何コレこのサイズ?お上品すぎだろマジで…一口でなくなっちまうだろこんなの……。え…?もしかしてこのシケたサイズをさらにこの楊枝で切り分けて食うの?マジで?これ以上小っさくしたら味しねェよバカじゃねーの)

「おいしいですねぇ」

 変に遠慮をしている銀時の隣で、千鶴はうれしそうにほっぺたをもぐもぐさせていた。なんちゅーマイペースな……。いや、銀時が気にしすぎているだけかもしれないが。

「——で?ここの旦那さまはいつお出ましになるんで?」

 部屋の入口付近に控えている芦田に、銀時は不躾に声を投げつけた。

「人呼びつけといて自分は遅刻たァ随分な旦那さまじゃねェか」
「ぎっ、銀さん…!」

 ぎょっと目を剥いた千鶴が銀時の袂をくいくいと引っぱった。

「申し訳ございません」芦田は顔色一つ変えずに言った。「源之介様はただ今別件のお客様とお話されておりまして——まもなくこちらへいらっしゃると思います。何しろ忙しいお方なのでね……」
「ほー…」

 銀時は頬を引きつらせた。そりゃ暗に銀時を暇だと言っているのか。まぁそうなんだけど。

 茶くらいは飲んでやるか、と目の前の湯呑みを掴んだその時、銀時の視界の端で空気が揺れた。

「——
 つい、手が止まる。

 嫌な感じだった。殺気立った、という表現が一番近いだろうか。顔を動かさずに目だけでそちらを振り返る——例の奇妙な風体をした用心棒が、自分の足元に置いてあった刀を掴んで立ち上がったところだった。帯に刀を差しながら、芦田にアイコンタクトをくれて部屋を出て行く。

「……?」

 怪訝に思っていたのが顔に出ていたのか、芦田はまた【お気になさらず】と言った。

「彼にはこの屋敷の警備も任せておりますのでね」

 ——やっべ。新八と神楽が忍び込んでんのがバレたか。うまく逃げてくれよ…。

 ただ男を袖にする手伝いをしに来ただけのつもりが、どうも不穏な気配が漂ってきた。あの用心棒——室内でも笠を被っていた。そんなに顔を隠したいのか。刀は竹光だと言っていたが、そんな言葉はあまりあてにならない気もする。つーかそもそもここの旦那ってのァ、何の仕事してる奴だ?あんな怪しげな野郎を飼いならしてるくらいだ、やましいことでもしてんじゃねーだろうな…。

「……用心棒だか何だか知らねーが、今時【侍】を雇うたァ、ずいぶんと酔狂だなァおたくら」

 銀時はぐびっと一気に茶を煽った。渋すぎて何が美味いんだか分かりゃしない味だった。

「雇っているのではありませんよ」芦田の髭に隠れた口元がひそやかに弧を描く。「数ヶ月前に行き倒れていたところを我々が保護したのです。彼はその恩を源之介様に返そうとしている……それだけのこと」

 ぴくりと眉を吊り上げる。【行き倒れ】だァ?いくら治安が安定していないとはいえ、このご時世に働き盛りの若い男が行き倒れることなんてあるだろうか?

 怪しい。
 ますます怪しい。

 銀時は苦い茶をごくりと飲み下し、シミ一つない綺麗な湯呑みをごとんと置いた。

 ——ザザッ。
『こちらコードネーム【K】。暇すぎて死にそうネ。コードネーム【M】しりとりしようヨどうぞ』
 ——ザザッ。
「【M】って何?【S】だから。僕MじゃなくてSだから。ひょっとして【ガネ】のM?どうぞ」
 ——ザザッ。
『お前がMだろうがSだろうが知ったこっちゃないネ。てゆーか【僕Sだから】とか何の告白?キモいんだよ、しばらく私に話しかけないで。どうぞ』
 ——ザザッ。
「じゃかァしいわァアア!! つか誰が性癖の話すんだよこのタイミングで!! イニシャルだイニシャル!!! そんで標準語やめてなんかグサッとくるからァア!! どうぞォオオ!!!
 ——ザザッ。
『【ぞ】ー……ぞ、【ぞう】!どうぞ』
 ——ザザッ。
「しりとり始まったの!? え、えー……【うさぎ】。どうぞ」
 ——ザザッ。
『何言うてるアルか。私は【どうぞ】って言ったネ。お前は【ぞ】からヨ。どうぞ』
 ——ザザッ。
「それ違う遊びになるから!それ延々と【ぞ】から始まる単語を言い合う遊びになるから!どうぞ」

 ——ザッ…。
 トランシーバーとは別の【ザッ】が、新八のすぐ真後ろから聞こえた。

「…!」

 新八は凍りついた。今自分がいるのは、屋敷の屋根の上——こんなところ、偶然誰かが通りすがるわけがない。

「……妙な気配がすると様子を見にきたが」

 冷たい、淡々とした男の声。新八は【ギギギッ…】と錆ついた音がしそうなぎこちなさで恐る恐る背後を振り返った。

「なんだ……子ネズミが1匹…か。いや、2匹いるな」

 腰に大小を佩いた、侍。

(えっ、何?何この人?これひょっとしてなんか思ってたよりヤバい?)

 新八は顔を引きつらせた。腰には銀時の木刀。役柄上、武器を持ち歩けない銀時の代わりに万が一の場合を思って持って来ただけの事だが——勝手に人様の邸宅に忍び込んだ上に武装なんぞしていたら、相手の目には不審者として映ることだろう。

「悪く思うな。これも俺の仕事でね」

 男の左手が腰に佩いたものに添えられる。えっ——新八はごくりと喉を鳴らす。

(かっ、刀——!?)

 斬られるゥウゥウウ!!!——胸中で金切り声を上げる新八を前に、男はキン…と親指で鍔を弾いた。