漂う緊張感、一定のリズムで空気を叩く鹿威しの音。

 銀時は死んだ魚のような目をだらりと持ち上げて向かいの男を見やった。何というか、まぁ、予想はしていたが——完敗だった。

 きりりとした目つきに、サラサラとしたまっすぐな黒髪、上物の着物を凛々しく着こなした男前。自分に対するあてつけかと疑いたくなるほど、全てを兼ね備えている。なんだァ、コイツ…。銀時はジットリとした嫌な目つきで隣の千鶴を見やる。この女も大概贅沢だよなァ——世の中にゃこういう男を捕まえたくて目を血走らせている女がごまんといるというのに、わざわざ面倒な芝居打ってまで突っ返そうだなんて。いいから結婚しちまえばいいのに。お似合いだ。自分なんかよりずうーっと。そんな投げやりな考えを巡らせる銀時とは裏腹に、千鶴はぎしっと緊張した様子で、膝の上の握り拳を見つめていた。

「それで——ほう。あなたが千鶴さんの…」

 源之介が品定めをするように銀時を見据えた。銀時は居心地の悪さを感じ、座布団の上でモゾモゾと尻の置き場所を調整し直した。

「あー、はい。坂田銀時っついま〜す」
「……ご職業は」
「じ、自営業を……」
「はあ。千鶴さんとはどこで…?」

 銀時と千鶴は咄嗟に視線を見交わした。

「あー…ちょいとね。チンピラ浪士に絡まれてたのを助けてやったモンで」

 これは絶対に聞かれるだろうと思い、事前に決めていた設定だ。銀時が【ナンパきっかけ】だの【合コンで出会った】だの【飲み屋で引っかけた】だのただれたアイディアばかりを推してきたのを新八が全て払い落とし、千鶴の提案そのままを採用したのだ。他にもそれっぽい平凡な設定がいくつか候補に挙がったが、【昔なじみ】を演じるには互いのことを知らなすぎるし、【友人からの紹介】にいたっては、千鶴のような出来た女に、こんな男を紹介する非道な友人なんているはずがない…というわけで却下になった。どんなに繕ってもどうしようもないくらい、銀時はちゃらんぽらんだ。

「へえ」

 源之介は目を細めて、感情の見当たらない声で相づちを打った。

「千鶴さん。僕はずっとあなたのことを見ていました。ですが知りませんでしたよ、あなたに好い人がいたなんて——それも、こんなに目立つお方」
「あれっ。イヤミだ。イヤミ言われた」

 銀時のぼやきは無視された。

「あなたは本当にこの男と一緒になるおつもりですか?」
「【この男】って…」
「こんな将来性のかけらもない男と?」
「あんたオブラートって知ってる?」
「本気で生涯を共にする気なのですか?」

 しつこく食い下がる源之介にイラッとした銀時は、それでも声を荒げるのだけは何とか堪え、決壊寸前のギリギリの笑顔を浮かべた。

「だからそのつもりだってなんべんも言ってるじゃないスかァー」
「……はい」

 銀時に続いて、うつむき気味の千鶴が弱々しく頷いた。あーあー、これじゃあ俺が無理矢理言わせてるみてェじゃねーか——銀時は千鶴の横顔を見て溜め息をついた。

「粗雑で、いい加減で、短気」

 一言一言、重みを込めて源之介が言う。そのどれもがバッチリ自分の性格を言い当てているものだから、銀時はぎくりとして相手を凝視した。

「見れば分かりますよ。大切な話をする場だというのに、あなたはそわそわしてばかり。自分の恋人に手を出そうとした男を前にしておきながら、この淡白さ。大方面倒だと思っているんじゃないですか?【早く終われ】、【さっさと帰りたい】と。きっと彼女に頼まれて仕方なく重い腰を上げたのでしょうね。その実、彼女がどうなろうとあなたはさして興味がない」

 よく喋る野郎だ——口元をヒクつかせる銀時をよそに、源之介は千鶴に向けて話を続けた。

「千鶴さん、目を覚ますんです」
「えっ…」
「【浪士に絡まれていたのを助けてもらった】——と言っていましたね。あなたはきっと、たまたま危機的状況に現れたこの男を、ヒーロー…あぁ、勇士のことですが、そういった存在と思い込んで熱を上げているだけです。一度冷静になってよく見てください。ろくに手入れもされてない髪、やる気のない目、身だしなみも安価で済ませようとしているのが見え見えじゃないですか。あなたのような女性の結婚相手にふさわしい男とはとても言えません」
「ええっと……」

 千鶴は言葉を詰まらせた。つまりこの男は、千鶴が不良の男に恋をして盲目になっている…と言いたいらしい。

「オイオイオイオイ、ちょっとあんた、本人の前で言いすぎじゃねェの」

 銀時は思わず笑ってしまう。こいつ、必死だ。

「俺が淡白だって?面倒くさがってるって?——そりゃアレだよお前、余裕だからだよ。キッチリ髪を撫でつけて男前気取ってようが、クーラーの効いたデケェ豪邸に住んでようが、千鶴はあんたにゃ靡かねェって絶対的な自信があるからだ。俺と千鶴はもう、あんたなんかじゃどうあがいたって切れねェようなぶっとい糸で繋がれてるんでね。なァ、千鶴?」
「はっ、はい!」

 千鶴は景気よく頷いたものの、銀時のクッサい台詞にワンテンポ遅れて羞恥心が膨れ上がり、みるみるうちに赤面した。熱を持った頬を両手で押さえ、潤んだ目をおろおろと泳がせた後、どこを向いたらいいか分からずそっとうつむいて——あーやっぱこの子カワイイわ。銀時は鼻の下を伸ばした。役得〜…。

「………」

 源之介の目が気に食わなそうに歪む。しめたしめたと銀時はニヤケた。

「分かったらこれ以上は時間の無駄だ。そろそろ御暇させてもらっ——」

 立ち上がろうと片膝を立てた銀時だったが、すぱんと開かれた襖の音に制された。

「………」

 銀時は自分の眦が鋭くなるのを感じた。現れたのは例の【用心棒】だった。大きな笠の下から覗くおとなしげな口元が、源之介に向かって用件を告げようと小さく開かれた。…が、銀時と千鶴の存在に気づいて思いとどまったようだ。

「景の字か。何か問題でも?」
「………」

 用心棒は薄い唇を引き結んだまま、何も答えようとしない。その妙な様子を訝しく思ったのは銀時と千鶴だけではなかったようだ。源之介も戸惑ったように用心棒を見上げていた。

「なぜ何も言わない?それに——どうしたんだ、笠なんざ被って…」
「………」
「…今日は一段と無口だな」源之介は扱いづらそうに苦笑しながら、千鶴に軽く頭を下げた。「すみません、千鶴さん。どうも人見知りの激しい奴でして」
「あ、いえ…そんな」

 千鶴は【気にしないでください】とばかりに小さく両手を掲げて首を振った。

 ややあって、用心棒の背後から芦田が顔を覗かせた。それから用心棒が謎のだんまりを決め込んでいるのを不審そうに一瞥し、源之介に向かって呼びかけた。「源之介様」

「芦田か。どうした?」
「今しがた景の字が侵入者を2人捕らえましたので、そのご報告を」

 ——ギクリ。
 銀時と千鶴は咄嗟に目配せをし合った。【2人】って、新八と神楽のことでは…?

「侵入者…?」
「ええ。少年と少女が1人ずつ。少女の方は【自分達は万事屋だ】と言っておりまして……どちらも年端もいかぬ子供でしたし、まぁなにかのイタズラでしょう。木刀を佩いていたので没収しておきましたが。いかがなされます?」

 確定だ。銀時は溜め息をつき骨張った右手で顔を覆った。やはりあの時奴が席を立ったのは、屋根の上で騒ぐガキ共に気づいたからだろう。

 だが、ここで【そいつらはウチの従業員でして……】などと言ってしまえば全て水の泡だ。ただでさえ千鶴と不釣り合いな男だというのに、その正体が金さえ積めば何でもする【万事屋】だと知れてしまえば、千鶴が銀時に婚約者役を演じさせていると勘づかれてしまう。

「ぎ、銀さん…」

 千鶴が銀時の袖をくいくい引っぱった。不安そうな上目遣いが反則級にかわいい。

 銀時はそっと千鶴の手を握り、【気にすんな】と目で語りかけた。【あいつらなら大丈夫だ、ここの連中だって子供相手にそう悪いようにはしないだろう】と——。

「子供だからといって何でもかんでも許されるわけじゃない。不法侵入だ、立派な犯罪だぞ——そのまま捕らえておけ。今から話を聞きにいく」

(( えェェェェェェェエエエエエエエエエッ!! ))

 2人は青ざめた。
 おいテメー空気読めよ!

「……どうしよう、神楽ちゃん…」
「まずいことになったネ…」
「僕たち……銀さんの仕事邪魔しちゃったかもしれない…」
「新八……」
「銀さんの言った通りだ。余計なことしなきゃよかった。銀さんたちに任せておけば、丸く収まったかもしれないのに」
「………」
「それに——大変なものも見つけちゃったし…」
「うん…」
「……あれ、ヤバいよね…」
「うん……あの用心棒…ごっさタイプだったアル」
知らねェよ!! 言ってる場合か!!!

 薄暗い物置代わりの部屋に、新八と神楽は囚われていた。2人は背中合わせでグルグル縛りつけられており、立ち上がることもままならない。

「そんなことより!」

 新八は頭を後ろに倒し、神楽の後頭部にごつんと一発入れてやった。

「ヤバいよ!アレ絶対見ちゃいけない系の部屋だったって!」
「仕方なかったアル!不可攻略ヨ!」

 ガツゥン!——同じように頭を倒してきた神楽から、新八は自分が与えたのより10倍ほど大きなダメージを受けて呻いた。

「——っ…、それを言うなら【不可抗力】ね。まぁ実際攻略不可だけどこの現状」
「私たちはアイツに追っかけ回されて逃げるうちに、たまたまあの部屋に入ってしまっただけアル!見ようと思って見たわけじゃないネ。だから罪は軽いはずヨ!」
「あ、あぁ、うん…なんか珍しく筋の通ってそうな力説してくれてるけど、そういう主張が通用するケースじゃないからコレ」

 新八はコテンと力なく頭を倒し、神楽の後頭部に寄りかかった。

「……ヤバいよ。僕たち。生きてこっから帰れないって絶対」

 後悔が止まらない。むしろ時間が経てば経つほど高波となって押し寄せてくる。トランシーバーも没収されてしまって、銀時に助けを求めることもできない。

 数十分前、屋根に現れた男の刀にすっかり怯えた新八は、腰の木刀で応戦なんて考えつきもせず、一目散に逃げ出した。その先で神楽と鉢合わせし、男と子供2人のリアル鬼ごっこが始まったわけだ。新八は確かに敷地の出口を目指していたはずだったが、情け容赦なく斬りかかってくる男の攻撃をかわしながらでは、思い通りに進めるはずもなかった。2人は屋敷の中へと転がり込み、逃げ惑ううちに、【ある部屋】を見つけたのだ。

 白い粉がたっぷり詰まったビニール袋。
 万事屋にいては滅多にお目にかかれない、諭吉のたくさん敷きつめられたアタッシュケース。
 凶悪な笑みを浮かべる大男達……。

「薬物の取引現場だよアレ絶対…」

「あの、すいません…」
 スッと、白魚のような手が挙がる。

 銀時、源之介、芦田が——そして恐らく用心棒も——、いっせいに千鶴に目を向けた。千鶴は緊張した面持ちだったが、その大きな澄んだ瞳は思いのほかきりりと引き締まっていた。

「千鶴さん?…どうかされましたか?」

 源之介が首を傾げる。銀時は千鶴の横顔を血走った目で凝視していた。

 頼むから、余計なことは言ってくれるなよ…!——この女はどうも実直すぎる。自分のために動いてくれた子供達を、みすみす見逃すなんてことは許せないだろう。だから、【あの子達は私が雇ったんです】なんて口走って、せっかくうまくいきかけていた仕事を台無しにしてしまうんじゃないかと、銀時は気が気でなかった。

 ところが、千鶴は銀時が全く思ってもいなかった言葉を口にした。

「お手洗いに行きたいのですけど…」
 おいテメー空気読めよ!