すさまじい勢いで、応接間の襖が吹っ飛んだ。一緒くたになって飛び出してきたのは、殺気立った2人の男。

「オイオイ、御挨拶だなコノヤロー。ここの使用人はどーゆー教育受けてんだァ?」
「………」

 銀時と、その皮肉に顔をしかめた用心棒は、2枚の襖が水柱を上げて池に落ちるのと同時に、縁側に着地した。

「この様子じゃこれ以上シラきっても無駄みてェだな」
「………」
「言えよ。ウチのガキ共はどこだ?」
「………」
「ま、素直に教えてくれるわきゃねェか…」

 対峙してみて分かったのは、用心棒の得物は本当に竹光だった。錫箔を貼られた刀身は確かに本物のそれに似ていたが、やはり風を切る音が違う。だからといって、丸腰の銀時が不利な立場に立たされていることに変わりはなかった。どこかで武器になるものを見つけなくては——。

 ちらりと素早くあたりに目を走らせた銀時は、すぐに誂え向きの得物を見つけた。なんだなんだ、あるじゃんすぐそこに!

 先手必勝とばかりにまず銀時が動き出す。隠し持っていた湯呑みを用心棒の顔めがけて投げつけ、奴の意識をそちらへ向かわせて、自分は死角からタックルをしかけた。用心棒の反応は早かった——顔を少し動かしただけで軽々湯呑みを避け、向かってきた銀時の体当たりをひらりとかわす。そしてお返しに横なぎに竹光を振るって斬りかかってきた。銀時は素早く床に臥せ、頭上を通る一撃をやり過ごす。

「くっ…」

 用心棒は手の中で器用に柄を反転させ峰と刃の位置を入れ替えると、すぐに再び斬りつけてきた。銀時は今度はかわすことをせず、甘んじてその一撃を受け入れた。力強い攻撃がまともに決まり、銀時の左腕から赤が一筋ほとばしった。

「うぐっ——」

 痛みに強張る身体を叱咤し、銀時が動く。

 用心棒は銀時の行動に反応は出来たものの、成す術もなかった。剣は振り切ったばかりで、反撃が間に合わない。銀時はその隙を狙っていたのだ。

 強く床を蹴り、右腕で用心棒の腰にしがみつく。ぎょっとした用心棒がすぐさま蹴りを繰り出してきたが、それが銀時の身体に叩き込まれることはなかった。すらり——刀身が鞘を払う感覚。用心棒の足が伸びきるころには、銀時は彼の間合いから外れたところにまで飛び退いていた。片手に、竹光の脇差しを持って。

「お前…」

 用心棒は右手だけで構えをとり、左手で腰の鞘を確認した。空っぽだ。

「俺の脇差しを——」
「ガラ空きだったもんで」

 銀時は脇差しをヒラヒラさせながら、ニヤァと厭らしい笑みを浮かべた。

「んじゃ、始めっか」

 その一言を皮切りに、いよいよ本格的に戦いの火蓋が切られた。

 ガンッ!——。

 金属同士では起こりえない、鈍い音が上がる。噛み合った二本の竹光は、ギリギリとお互いを押し合い、鍔迫り合いへとなだれ込む。腕力では銀時に軍配が上がった。体重をかけて一気に押しやり、相手の剣を払いのける。用心棒はバランスを崩し、よたよたとたたらを踏んだ。その隙を見逃すわけもない。銀時はどんと強く踏み込み、真上から力強く斬りかかった。用心棒は竹光の峰に拳を当てて横に構え、銀時の攻撃を頭上で受け止めた。

 銀時は上から伸しかかるようにして、相手を圧倒した。用心棒はぎりりと歯をくいしばっている。この程度の腕力なら、力任せに押し通せばなんということはない。銀時はそう高をくくり、両手に込める力をさらに強めていった。

 が。

「このっ…!」

 用心棒が頭上で竹光を受けたまま、銀時の土手っ腹を強烈な力で蹴りつけた。

「うっ——」

 銀時は思いきり後方へ吹き飛ばされ、突き当たりの壁に背中から叩きつけられた。あまりの衝撃に一瞬意識が飛びかけた。ずるずると背中で壁を滑り、力なく床に崩れ落ちる。霞む視界の中、用心棒の青年が竹光を構え直し、猛突進してくるのが見えた。

「くそっ…、」

 軋む両脚に鞭打ち、なんとか立ち上がる。そして、用心棒の一振りを脇差しで受け止める——が。

 ——ドクン。

 刃と刃が噛み合ったその瞬間、用心棒の腕力がブワッと膨れ上がった。銀時の両腕の構えはまるで赤子のように容易く押しのけられ、圧倒的な力で振り抜かれた用心棒の剣先は、銀時の頬に赤い線を刻みつけていった。

「なっ——!」

 銀時は慌てて庭に飛び降り、用心棒の間合いを抜けた。

(なんだ、今の…!こいつ急に力が強く——)
 それだけじゃない。あの一瞬、ぞわりと嫌な予感が背筋を舐め上げていったのを確かに感じた。

「どうした、坂田銀時。軽口を叩いておいてその程度か」
「………」

 用心棒はすたっと身軽に庭へ飛び降りてきた。

「悪ぃが日中は疲れやすくてな。さっさと片付けさせてもらう」
「……ほォ、そりゃ奇遇だなァ兄ちゃん。こっちも長くは遊んでられねェもんでよォ…」

 ぎり、——柄を握る手に力を込める。こりゃ思ったより難儀しそうだ。日光を遮る大きな笠の下で、青年の目が赤い光を不気味に放ったような気がした。

ぬおォォォオオオオオオッ!!
「おぎゃァァアアアアアッ!!

 神楽の勇ましい咆哮、そして新八の情けない悲鳴がユニゾンする。

 神楽は自分の背中に括りつけられたメガネ掛け器を武器に、源之介めがけてタックルをかました。千鶴に銃を向けていた源之介は、とみに突っ込んできた少年に度胆を抜かれて放心してしまい、そのなんともいえない間抜けな攻撃をもろに食らうこととなった。

「ぐおっ!」
「ぶフっ……」

 源之介と新八、神楽はもつれ合って床に倒れ込む。千鶴はびくっとして一歩後退りした。

「千鶴ゥ!」

 すぐさま起き上がろうとする源之介を、新八を使って全力で押さえ込みながら、神楽は歯の間からフーフーと声を張り上げた。

「逃げるアル!——銀ちゃん…!銀ちゃんと一緒にここから逃げるヨロシ!!
「でっ、でも——」

 千鶴は狼狽えた。2人をこんな状況で置いていけないと焦っているのがありありと分かる。

「僕達のことは気にしないでッ——早く逃げてください!」

 と、新八が畳みかけた。神楽の下敷きにされ、源之介の背中の上でグリグリ潰されながらも、千鶴を安心させようと精一杯の笑顔を取り繕っている。

「こんな格好じゃ説得力ないかもしれないですけど、僕も神楽ちゃんもこれくらいでヤられるようなタマじゃないですから!」
「当たり前アル!こんな奴ら、ギッタギタのボッコボコにしてやるネ!」
「だから、ここは安心して僕らに任せてください!」

 千鶴はまだ迷いが残っている様子だったが、やがて、キッと表情を入れ替えた。

「分かった!」

 そう言って、部屋の戸口に手をかける。

「すぐに銀さんを連れてここへ戻ってくるから…!だから、それまで頑張って!」

 その言葉を聞いて、神楽と新八は同時にニッと口角を吊り上げた。

「はい!」
「おう!」

 がらりと乱暴に襖を開けて、千鶴は廊下へ飛び出した。源之介は子供達の下から【待て!】と怒号を飛ばしたが、千鶴は構わず走り去っていく。

「逃がさん…!——芦田!」
「…は」

 それまで黙って事の顛末を見守っていた芦田だったが、源之介に命じられ初めて動き出した。きっちり45度頭を下げた彼は、着物の袖からおもむろに拳銃を取り出し、千鶴の後を追って部屋を出て行った。

「しまった…!」

 子供達は青ざめた。こいつ、あの芦田とかいう男に千鶴を殺させる気だ。

「待つアル!」

 新八と神楽は身体を縛られていることも忘れ、立ち上がろうと強くもがいた。当然、縄をかけられたままでは思うように動くことも出来ず、遠ざかっていく芦田の背中を歯をくいしばって見送るしかなかった。

「やめるネ!戻ってこい!! お前の相手は私らアル!!
「千鶴さんっ…!——」

 新八は前へ出ようと必死に身をよじり、喉が張り裂けるほどに声を張り上げた。

「——千鶴さーーーーーん!」

 千鶴は着物の裾をたくし上げて、時々足がもつれそうになりながらも、全速力で走り続けた。既に息が上がっていたが、速度を緩めることはできない。背後から気配が一つ追いかけてきている。きっと源之介の手の者だ。さっきまで自分を殺そうとしていた人間が、このまま大人しく逃がしてくれるはずがない。

「銀さんっ…!」

 あの人が頼れるのかどうかは分からない。だが、この最悪の事態の中、残された選択肢はもうあの男だけなのだ。頼るしかない。でなければ、自分だけでなく、神楽や新八まで殺されてしまう…!——千鶴はごくりと固唾を呑み、動きにくい足を必死に動かした。

 その時、目の前を黒い何かが突っ切っていった。

「きゃっ!?」

 千鶴は咄嗟に急ブレーキをかけ、両腕で顔を庇った。黒い何かはそのまま千鶴のほぼ真横にあった襖を破り、暗がりの中に紛れて見えなくなった。

「何…?」

 恐る恐る中を覗き込もうとした時、少し離れたところから【千鶴!】と自分を呼ぶ声がした。声のした方を振り向いてみると、銀時が脇差しを片手に駆け寄って来るところだった。

「銀さん!——」ホッとしかけた千鶴は、銀時の格好を見て息を呑む。「——って、その格好…!」

 髪はボサボサ、着物はあちこちビリビリに裂け、顔や腕には真っ赤な腫れや、血の滲む傷が刻み込まれている。

「どうしたんですか!? 傷だらけです!」
「気にすんな。こんなのかすり傷だ、なんてこたねェって」

 銀時は事も無げに言う。【それより】——と銀時は千鶴の頬に掌を添え、心配そうな目つきで顔を覗き込んできた。

「お前は何ともないか?」
「はっ、はい…!」

 いつもの死んだ目とは違う、きりっとした真剣なまなざし。千鶴はさっきとは別の意味でどぎまぎしながらこくこく頷いた。

「私は何ともありません。でも、神楽ちゃんと新八くんが——」

 銀時が眉根を寄せた。

「…え、何。お前アイツらに会ったの?」
「すみません。厠に行くと言ったのは嘘です。本当は2人が心配で探しに行っていたんです…」
「あのね……アイツらならそう簡単にくたばらねェから大丈夫だよ」

 銀時はボサボサの銀髪をさらにしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回しながら溜め息をついた。

「んーなことより、危ないでしょーが勝手なマネしちゃ!どーすんの。ここ、かなりヤバい系のお宅みたいなんですけど」
「すみません…」

 叱られてしまった。千鶴はしゅんとしょげ返ってうつむいた。そんな弱々しい姿を見せつけられて、銀時はばつが悪そうに顔を歪める。

「ったく…反省してんならもういいから」

 ぽん。銀時の大きな手が千鶴の頭に乗せられた。そのままやさしげにぽんぽんと撫でられる。千鶴は上目遣いに銀時の顔色を窺った。彼の目は穏やかに細められ、見たことのない色を浮かべていた。まっすぐ自分へ注がれているようで、どこか遠い。まるで、千鶴を通り抜けて、その向こう側にある何かを見つめているようであった。

「あ……」

 銀さん。その名を呼ぼうとした時、千鶴は彼の纏う空気が変わったのを感じた。銀時の手が千鶴の後頭部へ滑り落ちる。その次の瞬間、千鶴は彼の胸元へ強引に引き寄せられていた。

「わっ——」

 視界が真っ黒に塗りつぶされる。いったい何を…?——その疑問は、千鶴の口をついて出る前に、すぐに明らかになった。パァン!——乾いた音。空気を震わせる破裂音が、そこら中に響き渡った。飛び散る赤。大きく揺らぐ、銀時の身体……。

「…っぐ、」

 銀時が、撃たれた。
 そう理解した時には、千鶴は金切り声を上げていた。

銀さん!!

 銀時は左肩から夥しい量の出血をしていた。千鶴を手放し、銃創をグッと握りつぶす勢いで押さえ込む。そしてガクッと地面に膝をついた。

「銀さん!大丈夫ですか!? 銀さん…!」

 千鶴は銀時の傷を受けた方へ回り込むと、しゃがんで顔を覗いた。銀時は激痛を堪えるのに必死なようであった。こめかみには脂汗が滲み出ている。ちらりと傷へ目を走らせる——銀時の手が邪魔でよく見えないが、出血量からしてかなり危険なことだけは分かった。

「大変…!早く、手当てをしなくちゃ——」
「その必要はありませんよ、千鶴様」

 ザッ——2人のすぐ傍で、地面を強く踏みしめる音がした。ぞくりと嫌な予感がする。

「なぜなら、あなた方2人とも、ここで死ぬのですから」

 千鶴はゆっくりと背後を振り返った。そして硝煙を上げる銃口と、冷徹な顔をした芦田の姿を認めると、はっと小さく息を呑んだ。

「あなたは……」
「応接間は反対方向のはずですが」

 芦田は千鶴を見下ろし、淡々と言った。千鶴は唇を嚙んだ。

「どうして……どうして、こんなことするんですか…!」

 銀時の着物を掴んで、震える声で問う。芦田の持つ拳銃は、まだ銀時の方へ向けられたままだ。

「あんなにやさしくしてくださったのに……こんなのあんまりです!こんな風に皆さんを傷つけるなら、いくらあなた達でも許せません!」
「小娘が」

 低い声が吐き捨てた。千鶴は【えっ】と目を見開く。

「許せねェから何だ?てめェみてェな無力な女に何ができるってんだ。いきがってんじゃねェぞ」

 突き放すような悪罵と共に現れたのは、源之介だった。彼一人ではない。強面の大男達が何十人も、肩をいからせて千鶴と銀時の周りを取り囲んだ。なぜ彼がここへ…?新八と神楽はどうしたのだろう——千鶴は寒気がした。こわごわと辺りを見渡す。すると、

「…千鶴……」
「……千鶴…さん…」

 大男達の足元に力なく転がる2人を見つけた。

「神楽ちゃん!…新八くん!」

 千鶴は両手で口を覆った。2人ともズタボロだ。ひどい…!子供相手にここまでするなんて——。

「千鶴ゥ。てめェは見ちゃいけねェものを見ちまったんだ」

 見てはいけない、もの。——千鶴はスーッと全身から血の気が引いて行くのを感じた。

「お前ら全員、まとめてここで消してやる」

 銀時の血だらけの手が千鶴の腕をガシッと掴んだ。千鶴はハッとして銀時を見る。銀時は鉛のように重たい身体を懸命に立ち上がらせようとしていた。

「銀さん…!」

 無理しないでくださいと押さえ込もうとするが、銀時はそれでも動くのをやめなかった。

「景の字。来い」

 源之介が呼びかけると、千鶴達を取り囲んでいた大男の人垣が真っ二つに別れた。開けた道を通って出てきたのは、笠をかぶった用心棒の男。先程千鶴の鼻先を横切っていったのは、銀時に投げ飛ばされたこの男の体だったのだと、千鶴は初めて気がついた。銀時と同じように傷だらけの姿で、腰の鞘には一本しか刀が収まっていない。

「殺せ。全員だ」

 用心棒はすらりと刀を抜いた。錫箔が日光を帯びて鈍く輝く。千鶴は銀時をぎゅっと抱きしめた。銀時も、千鶴をつかむ手にいっそう力を込めた。

 2人の前に影が差す。
 用心棒が刀を振り上げた。
 もうだめだ——終わりを覚悟し、千鶴がギュッと目をつぶった、その時…。


「 下がってろ。雪村 」


「……え、」
 一陣の、風が吹き抜けた。

 言葉の真意を聞き返す間もなかった。千鶴と銀時は、いや、新八と神楽、そして源之介に芦田も皆あっけにとられていた。今しがた何が起こったのかサッパリ理解することができずにいた。気づいた時には、用心棒の手中の竹光が唸り、大男が何人か呻き声を上げて倒れていた。

 ぽとり。用心棒のかぶっていた笠が、千鶴の足元に落ちた。

「あ……」

 暗い色の髪、凛とした目元、左目の泣きぼくろ。そのすべてに、千鶴は見覚えがあった。覚えが、ありすぎた。胸が詰まって、声がうまく出てこない。ぽろぽろと涙を流しながら、金魚のように口を開け閉めすることしかできなかった。

「景の字!貴様——裏切るのか!」

 我に返った源之介が、青年に向かって吠えた。青年は竹光を、ついてもいない血を払う動作をしてから構え直すと、その切っ先を源之介に向けた。

「恩を仇で返すと言うか…!景時ィ!」
「確かにあんたらは俺の命の恩人だ。だが」

 落ち着き払った声で青年は言う。

「こいつにはそれ以上の縁がある。切っても切っても切れやしねぇ、俺の命の恩なんぞじゃ全く歯が立たねぇ、しつこいくらいの縁だ」

 千鶴は口を覆い、その場に膝から崩れ落ちた。銀時は足掻くのをやめ、自分達の前に立つ黒い羽織の背中をぼうっと見上げた。

「雪村に手を出してみろ。誰であろうと、俺がこの場で——」

 黒が駆ける。風が斬れる。鋭い、音がする。

「——斬り捨てる」


「宝生さん…!」
 千鶴がその名を呼んだ時、宝生景時の周りには、無数の敗者が転がっていた。