その歓迎ぶりときたら、オリンピックメダリストの凱旋みたいな騒ぎだった。拍手喝采は当たり前、手旗を持ち出してきて振る者や、肩を組んで歌う者もいた。小さな子供にシスターまで、まさに島民総出といったお出迎えだ。ここまでされて気をよくしない者なんていない。ウソップは投げキスを振りまき、ルフィは両手の拳を突き上げて歓声に応えた。サンジは、黄色い声を上げる女の子達のグループに興奮しているようだった。

「いら゛っ⋯⋯!!ゴホン──マーマーマーマーマ〜〜♪いらっしゃい。私の名はイガラッポイ」

 船を降りた一味の前に進み出て来たのは、中世音楽家もかくやという立派な巻き髪を持つ大柄なおじさんだった。

「驚かれたことでしょうが、ここは酒造と音楽の盛んな町ウイスキーピーク。もてなしは我が町の誇りなのです。自慢の酒なら海のようにたくさんございます。あなたがたのここまでの冒険の話を肴に、宴の席をもうけさせては頂けま゛ぜ──ゴホン。マーママ〜♪頂けませんか⋯⋯!!」

「「「喜んで〜〜〜っ!!!」」」

 サンジ、ルフィ、ウソップは肩を組み、小躍りして喜んだ。

「サンジさんって、あんな風にはしゃぐこともあるんですね⋯⋯」
「3バカね」ナミが言った。

Master of the House

 歓迎の宴は、お日様が月とバトンタッチし、空がとっぷりと夜に浸かっても続いていた。船乗り達は誰もが美酒の海に溺れ、乗せられるがまま上機嫌に美食を貪った。ウソップはビールを片手に信憑性が限りなく怪しい冒険譚を話して聞かせ、聴衆に自分を「キャプテン・ウソップ」と呼ばせて悦に入った。緑髪の男は飲み比べで10人抜きをして酒場を沸かせ、ナミはそれを上回る12人抜きで驚かせている。ルフィは20人分のご馳走をペロリと平らげ、コックを卒倒させたらしい。

 ──これが海賊⋯⋯?大学生の飲み会みたいなんだけど⋯⋯。

 密かにショックだったのが、サンジが女の子に大人気だったことだ。今や20人以上の女性に囲まれ、り以子のいる場所からは頭のてっぺんすら見つけられない。やはりあれだけ格好いいと、女の人が放っておかないんだろうとり以子は思った。

「オイオイお嬢ちゃん!楽しんでるかい!?」

 酒場の男が目敏くり以子を見つけて声をかけてきた。り以子は割れんばかりの喧騒から逃れ、少し離れたところのソファに小さくまとまって麦茶で口を湿らせていた。

「何だ?酒飲まねェのか!?メシもほとんど手ェつけてねェじゃねェか!」
「あっ、あのっ、私お酒はちょっと⋯⋯」
「つれねェこと言うなよォ!こんな美味い酒、他じゃありつけねェよ!」

 馴れ馴れしく隣にドスン!と座った見知らぬ男に、り以子はぎこちない愛想笑いを返すので精一杯だった。

「まァまァ、好きなようにさせてやれよ。誰しも好き嫌いはあるからな」

 反対隣がボスン!と沈み、り以子の小柄な体が軽く跳ねた。さっきまで向こうで飲み比べをしていた緑髪の男が、り以子の隣に移動してジョッキを煽っていた。省スペースのり以子とは裏腹に、ガッツリと股を開いて座り、片腕を背もたれに投げ出してり以子の後ろに回している。意図せず男の腕の中に入る形になり、り以子はますます肩を縮めた。

「じゃ、じゃあ、フルーツでもどうだい?」

 酒場の男はそう言うと、り以子の前のローテーブルいっぱいにフルーツの盛り合わせを山のように積み上げた。

「店にあるフルーツどれでも好きなだけたらふく食っていいからな!」
「は、はは⋯⋯」

 り以子は苦笑いするしかなかった。そんなことよりコンビニを探したかったが、誰もが「おもてなし」を押しつけるのに大わらわで、取り付く島もない。り以子は仕方なく大皿から一口サイズにカットされたメロンをつまんだ。

「宴の席でシケたツラ見せんじゃねェよ」緑髪が苛立たしげに吐き捨てた。「酒の味が曇るだろーが」
「えっ──す、すいません⋯⋯こういうとこ、私、いちゃダメな気がして⋯⋯」

 り以子は居心地の悪さにますます小さくなった。

「カマトトぶっちゃってまァ⋯⋯」

 緑髪は呆れたように小さく笑い、背もたれにかけていた太い腕をドカッとり以子の肩に乗せた。そのまま押しつけるように体重をかけられ、り以子は前へつんのめった。

「で、でめェはどこの手のモンだ?」

 り以子の顔の真横で、男の左耳に揺れる金の3連ピアスが音を立てた。

「ラブコックたらしこむのは簡単だったろーが、おれまで甘く見られちゃ困るぜ。どんな魂胆でおれ達の航海について来やがった」

 まさか因縁をつけられるとは思ってもいなかったり以子は、思いっきり眉根を寄せた。

「そっちがずっと寝てたんじゃないですか⋯⋯」
「──あァ?」

「あーっ!!!てめェムッツリクソマリモ!!!」

 遠くの方からやかましく騒ぎ立てる声が聞こえ、緑髪の男が時間切れだとばかりに溜め息をついてり以子を解放した。

「ぬゎ〜におれの目を盗んでり以子ちゃんに手ェ出そうとしてんだ!!」

 サンジがドスドスと床を踏み鳴らしながらやって来て、り以子の腕を掴んで立ち上がらせると、腰のくびれたところに硬い腕を巻きつけて強引に抱き寄せた。肌蹴たシャツの襟から覘く喉仏と鎖骨が眼前に迫り、り以子は瞬間的にドキッとしたが、何重にも混ざり合った香水の匂いがむわっと立ち上り、みるみる切ない気持ちになった。

「り以子ちゃん!このクソ野郎に何かされた!?」
「よく言うぜ。女に囲まれて鼻の下伸ばしてたエロガッパが」
「おいおいゾロ。てめェ自分がモテねェからってひがみか?」
「誰がてめェなんぞひがむかよ!!!」

 二人は額を突き合わせてギャーギャーやり始めた。あまりの剣幕にり以子はギョッとしたが、周りは止めるどころか、いい見世物が始まったとばかりにはやし立てている。

「んっなに大事なら名前でも書いてカバンにしまっとけ!」
「おれの妖精ちゃんをモノ扱いすんなァ!」
「おめェも大概私物化してんだろーが!!!」
「してねェよ目の節穴にマリモ詰まってんじゃねェのか!?」
「まず目が節穴じゃねェわ!!!」

 ゾロがサンジの胸倉に手をかけた。サンジはわざわざ腰を落として下から煽る形でメンチを切る。その拍子に、り以子はサンジの腕の拘束から呆気なくポロッと投げ出された。

 り以子を口実に始まった喧嘩だったのに、ヒートアップした二人の眼中にり以子の姿は映っていなさそうだった。り以子は二人をそのままにして、そろそろ目的の場所を探しに行くことにした。せっかくなので、出しなにフルーツをいくつか摘んだ。パイナップル、さくらんぼ、マンゴーに、それから、やたら目立つところに飾ってあった、不思議な模様をした一粒のイチゴ⋯⋯。

「ちょちょちょお嬢さん!?どこへお行きに!!?」

 やたらとり以子に酒を勧めていた男が、酒場を出て行こうとするり以子を見咎めて大慌てで飛んで来た。

「あの、私、コンビニに行きたくて⋯⋯」
「コン⋯⋯?どこだって?」
「あっ、ホームセンターでも!生活用品店的なところ⋯⋯どこにありますか?」

 答えを待ちながら、り以子は手いっぱいのフルーツを一つずつ口に放り込んだ。

「よ、用品店──は、ない、かなァ⋯⋯ハハ」
「えっ!?ないんですか?皆どうやって生活してるんだろう」
「いや〜それは⋯、ハハハ⋯⋯企業秘密っていうかァ」
「企業?」り以子は特に深い意味もなく聞き返したが、何らかの核心を突いてしまったようで、男の顔色がますます青くなった。
「と、とにかくだな、頼むから大人しくもてなされててくれねェか?あー、そうだ!イケメンの兄ちゃん達呼んできてやっても──」

「うぐっ」

 咄嗟にり以子は口を押さえた。この英断がなければ、到底人にはお見せできない代物を炸裂していたに違いなかった。

「⋯⋯え?どうしたんだ?」
「ま、まっ、まって──」

 まずい。死ぬほどまずい。

 脳天を突き抜けるほどのまずさだ。最後に食べたイチゴが、もしかしたら腐っていたのかもしれない。どこかに吐き出したかったが、粗相を見られるのが恥ずかしくて、つい飲み込んでしまった。

「あ!?ここに飾ってあった『ハズレイチゴ』は!?」

 り以子達の後ろにあったカウンターから、焦った様子で誰かが叫んだ。

「知らねェよ。その辺に落ちてんじゃねェか?よく見ろ」
「いやそれがどこにもねェんだ!」
「間違って食ったらだぞ」
「そういやさっき誰か大急ぎでフルーツ盛り出してるヤツがいたな」
「まさか⋯⋯」

 り以子は目の前で顔面蒼白になっている男に視線をやった。

「ハズレイチゴって?」
「お嬢ちゃん⋯⋯まさかたァ思うがあんた⋯⋯変わった模様のイチゴ食ったりしてねェよな⋯?」
「めちゃくちゃマズいやつ?」
「そうだ⋯⋯、死ぬほどマズいはずだ」

 二人はしばらく無言で見つめ合った。

 次の瞬間、り以子の周囲は花火のような大爆笑に包まれた。何が何だか分からず困惑するばかりのり以子の肩や背中を、色んな人が励ますようにバシバシ叩いた。

「まさか『大ハズレの実』を食っちまうなんて!」
「ついてねェなァ嬢ちゃん!」
「ドンマイドンマイ!」
「まァ生きてりゃそのうち報われることもあるさ!」

 り以子は揉みくちゃにされてあちこちにフラつきながら、とりあえず周りに合わせてヘラヘラ笑った。しかし、り以子と顔を見合わせて一緒になって笑っている、諸悪の根源と思しき男を見逃すことは出来なかった。

「⋯⋯何ですか『大ハズレの実』って」

 り以子が強く腕を掴んで問い詰めると、男はパッと笑いを引っ込めて、ギリギリ聞き取れるくらいの早口で「申し訳ない」と謝った。

「そこに飾ってた観賞用の『悪魔の実』だよ。食いモンじゃなかったんだ。『マイマイの実』つって、食うと⋯⋯パントマイム人間になる。パントマイムが身に付くんだ」
「はァ⋯⋯?」
「リスクに対してリターンが⋯⋯ブハッ、いやその⋯⋯いいんじゃないか?演芸で生計立てられるかも⋯⋯ブフ、悪ィ、もう無理」

 男はり以子の手を振りほどいて、爆笑しながら厨房に引っ込んでしまった。

 マイマイ⋯⋯?悪魔の実⋯⋯?パントマイム人間⋯⋯?
 言っていることの意味も、それの何がそんなにおもしろいのかも理解できない。そもそも、「食べろ」と言って提供しておいて、食べたら食べたであんなに笑うなんて。

 り以子は酷く気を悪くして、荒っぽい足取りで今度こそ店の出口に向かった。

「りっ、り以子ちゃん!?どこ行くんだい!!?」

 また引き止められた。今度はサンジだ。り以子はガッチリと腕を掴まれ、人気の少ない廊下へ連れ込まれた。

 どうして次から次へと行く手を阻むんだろう⋯⋯。

「外は危ねェよ、レディの独り歩きなんて絶対ダメだ!」
「⋯⋯私、もうここにいたくない⋯」

 自分でも思ったより弱々しい声が出た。り以子がそっとサンジの顔色を窺うと、サンジはなぜか血走った目でり以子を凝視していて、ゴクリと喉を上下させた。

「う、上に寝室が⋯あるんだって⋯⋯♡ 一緒に行くかい⋯?」
「私、何か変なもの食べちゃったみたいで⋯⋯体がおかしくなっちゃったかもしれない」
「えっ⋯⋯、ちょっ、ええ〜っ!?♡ へ、へへへ変なものって?」

 次第に鼻息が荒くなったサンジを無視して、り以子は気になっていたことを聞いた。

「『悪魔の実』って何ですか?」
「──は」

 どうやら、サンジが期待していた何かとは程遠い質問だったようだ。

「『悪魔の実』⋯⋯え?り以子ちゃん、食っちまったの?」
「そう言われました。だって、食べていいよって出された中にあったんだもん⋯⋯」
「えええ、そりゃ酷ェ話だよな⋯⋯かわいそうに⋯⋯」
「私、知らなくて⋯⋯『悪魔の実』?っていうのも、リスク?とか、リターンとか⋯⋯」
「えええ、ものを知らないり以子ちゃんもカワイイな〜♡」

 サンジの両手がにゅっと伸びてきて、り以子の背中に添えられた。そのままダンスを踊るようにリードされて部屋へ連れ戻され、気づくと一番近くのソファで、両手を繋ぎ、密着して座っていた。

「『悪魔の実』っつーのは、食うと唯一無二の能力が身に付く果物のことさ」
「はあ⋯⋯」
「能力者は海に嫌われるって言われてる。り以子ちゃん、泳げたよね?」
 り以子が頷いたのを確認して、サンジは続けた。「だよな。けど、本当に食っちまったなら恐らくカナヅチになっちまってる。溺れちまうかもしれないから、もう海に飛び込んだりしちゃダメだよ」
「そんなまさか⋯⋯」

 り以子は、たかが果物一つ食べたくらいで、まるで漫画の世界のような話が飛び出してくるのが不可解でしかなく、サンジが酔っ払って作り話をしているのだと思った。しかしサンジは真剣そのもので、り以子の両手をスラックスの膝の上で強く握り締め、グッと首を突き出して、近い距離から重ねて釘を刺した。

「約束。いいかい?」
「⋯⋯は、い」

 気圧される形で小さく頷くと、サンジはニコッと笑ってり以子の頭を撫でた。

「いい子だ」

 爆発的な破壊力で、り以子は記憶が一瞬吹っ飛んだ。何?今の⋯⋯何?今の何?⋯⋯?心臓がドッドッと激しく脈打ち、全身の血が逆流して、顔と耳が熱を持った。何とかいう実のことなんてすっかり頭から消し飛んでしまった。

「ちょっとォ〜コックさ〜〜〜ん♡ いつまで油売ってるのよォ♡」
「私達、そろそろ寂しいわ⋯⋯♡」
「んはァ〜いレディ♡ コックさん、ただいま戻りま〜っっっす♡♡」

 しばらくして我に返った時、もしかしたら今のは場酔いで夢を見ていたのかもしれないと思った。り以子は一人でソファに座っていて、サンジは遠くで女の子の膝に上機嫌でダイブしていたからだ。

「ここは“楽園”だぜェ♡」

宿屋の主の歌(『レ・ミゼラブル』より)