「騒ぎ疲れて⋯眠ったか⋯⋯よい夢を⋯冒険者達よ⋯⋯今宵も⋯⋯月光に踊るサボテン岩が美しい⋯⋯」

The Mob Song

「え!?海賊の仲間じゃない!?」

 あれからり以子はこっそり酒場を抜け、間違って『悪魔の実』を食べさせた男に事情を説明して聞かせた。

「はい⋯⋯。遭難していたところを偶然助けてもらって、なりゆきでここに来たって感じで⋯⋯」
「あー、そ、そう?なんだ?フーン?」

 男はり以子の話を聞きながら、激しく頭を回転させているようで、目玉が白目を剥くほど上を向いていた。

「それで私、家族が心配してると思うので連絡したいんですけど」
「うーん、そういうことなら、仕方ない⋯のか⋯⋯?」
「電話が電源入らなくて使えなくて。よかったら貸してもらえませんか?」
「でんわ⋯⋯?電伝虫か?うーん、しょうがないよなァ──じゃ、ついて来て」

 り以子は男の背中を追いかけ、宴が開かれていた酒場から通りを二、三本超えたところにある建物に向かった。西部劇で見るような街並みが物珍しくて、ついお上りさんのようにキョロキョロしてしまい、辿り着くまでに何回か注意を受けた。

「ここ。入ってくれ」

 男が開いた扉の先は、少し埃っぽい、ガランとした部屋だった。さっきまで麦わらの皆といた場所とさほど変わらないが、こちらの建物は普段あまり使われていないのか、隅にはワイン樽が置きっぱなし、照明器具には蜘蛛の巣がかかっていた。

「こっちだ」

 内装を観察していたり以子を男が奥から呼んだ。電話台と思われる小さな棚の上に何かある。固定電話だろうか?──近づいてよく見ようと目を凝らしたり以子は、驚いて悲鳴を上げた。

「やだ!何これ!?」

 今までにテレビでも見たことがないほど巨大なカタツムリが鎮座していた。

「何って──電伝虫だが」
「でん⋯⋯?」

 男は当然のようにカタツムリの殻から手の平サイズの受話器を取り上げ、「ほいよ」とり以子に差し出した。り以子は思わず一歩下がった。すかさず男が前に出る。奇妙なタンゴのような駆け引きが数秒続いた。

 何度見ても絶対にカタツムリだ。り以子の頭よりも大きい。大触覚の先にはしっかり瞼までついた目玉があり、デフォルメするならここに口があるだろうと想像する位置に人間そのものの口がついている。しかも、うっすら開きっぱなしの唇の隙間からは立派な歯が覘いているではないか。ブツブツだらけの湿った体がビラビラしていて⋯⋯これ以上は見ていられず、り以子は頭ごと目を逸らした。

「早くしろよ。嬢ちゃんが貸せって言ったんだぞ」

 男はなかなか受け取ろうとしないり以子に辛抱出来ず、イライラと差し出した手を上下に揺らした。り以子は腹を決め、手を伸ばして、じりじりと距離を詰めた。あれはカタツムリのどこの部位なんだろう⋯⋯触りたくない⋯⋯というか、これは本当に電話なのだろうか?なんでカタツムリなんかに受話器が繋げてあるんだろう⋯⋯。

 指先があと1ミリで受話器に触れてしまうというところで、扉の外で何かが爆発した。

「何だァ!?」

 二人が飛び上がったのと同時に、激しい音を立てて扉が弾け飛ぶように開き、物凄い勢いで何かが転がり込んできた。

「え⋯⋯!?」
「ん!!?」

 り以子の足元に手をついて止まったのは、ゾロだった。右腰に3本も刀のようなものを差している。男はり以子と目が合うと驚いたように目を見張ったが、すぐに注意を扉の外に引き戻した。
 扉から、窓から、大勢の男たちが何かを手に持ち、こちらに向けている。あれは──。

「銃!!?」
「⋯⋯!!!わ、」

 ゾロは立ち尽くすり以子に向かって飛びかかり、左腕を腰に回してグイッと抱き寄せ、もう片方の手で丸テーブルを倒し、その裏に逃げ込んだ。間一髪、テーブルに無数の銃弾が一斉に浴びせられ、そのいくつかは貫通して床に穴を開けていた。

「キャーー!!!」
「うるせェ!耳元でキンキン喚くんじゃねェ!!!」

 ゾロは乱暴にり以子を床へ突き飛ばすと、腰に差していた刀らしきものを、一本スラリと引き抜いた。

「まずは──“雪走”⋯⋯!!」

 そう言って、テーブルを一太刀で両断し、次の瞬間には剣撃で襲撃者達を巻き上げるようにして建物の外へ躍り出ていた。

「本物の銃に⋯⋯刀!?一体どうなってるの⋯⋯?」

 り以子は腰を抜かしたまま、呆然と呟いた。

「おい、チビ!」ゾロが振り返って叫んだ。襲撃者達が断末魔の叫びを残し崩れ落ちていくと、り以子からもはっきりとその姿が見えた。
「巻き込まれたくなきゃ奥に隠れて息潜めとけ!ノコノコ出て来やがったらまとめて叩っ斬るからな!!」

 り以子はガクガク何度も首を縦に振り、這いずって部屋の奥まで移動した。

「あ⋯⋯」

 さっきり以子を案内してくれた男が、壁に不自然な格好で寄りかかっていた。深くこうべを垂れ、両腕をだらんと力なくぶら下げている。様子がおかしい⋯⋯?ポカンと見つめるり以子の前で、男は、テラテラ光る赤黒い血を背中で壁に塗り伸ばしながら崩れ落ちた。

「ひっ──」

 り以子は漏れ出そうになった悲鳴を両手で何とか押しとどめ、ワイン樽と壁の隙間に身を押し込んだ。

 外でワーワーと大勢が叫んでいる。時折爆発音や何かが崩壊する音が聞こえた。り以子は頭を抱えて屈み込み、小刻みに体を揺すりながら、悪夢が過ぎ去るのを待つことしか出来なかった。

 ──怖い⋯⋯怖いよ⋯!

「助けてサンジさん⋯⋯!!!」

The Mob Song

 あれからどれくらいの時間が経っただろう。恐怖と緊張で体感時間が狂い、一分一秒が永遠のように感じられた。何時間もこうしているような気がするが、もしかしたら、数十分程しか過ぎていないかもしれない。

 気づけば外は静まり返っていて、開けっ放しの扉から吹き込んでくる乾いた夜風の音さえ聞くことが出来た。

 ──終わった⋯のかな⋯⋯。

 り以子はなるべく物音を立てないように床を這って移動し、扉から少しだけ顔を覘かせて外の様子を窺った。あちこちに色んな格好の人が転がっていて、立っている者は一人もいない。けれど、風に乗ってどこかから静かな人の話し声が聞こえてくる。

 ガクガク震える足で壁伝いに何とか立ち上がり、恐る恐る外へ踏み出すと、煙と鉄の臭いが鼻についた。どこもかしこも凄惨な有様だ。少し歩くと、教会が見えてきた。

「おれ達がお前らの加勢だと?」

 話し声はこの裏から聞こえている。り以子は建物の外壁に背中で張りつき、角からそっと通りを覗き込んだ。

 ──あれって⋯⋯Mr.9とミス・ウェンズデーって人達じゃ⋯?

 全身ズタボロで膝を突いていたのは、確かに今朝船旅を共にした二人組だ。それに、島へ降りた時に出迎えてくれた巻き毛のおじさんも一緒だ。見知らぬ男女の前に力なくしゃがみ込んでいる。その間には、今にも破裂しそうなほど腹が膨れ上がったルフィが呑気に寝転がり、かなりシュールな景色になっていた。

「わざわざこんな事で⋯⋯こんな“偉大なる航路グランドライン”の果てへ私達がやって来ると思ったの?キャハハ」

 オレンジ柄のワンピースの女が甲高く笑った。月の出ている真夜中だというのに、日傘を差している。

「⋯⋯何!?じゃあ一体、何の任務で⋯⋯」Mr.9は当てが外れたようで、驚いている。
「心当たりはねェか?」と、サングラスをかけた黒尽くめの男が小首を傾げた。「社長ボスがわざわざこのおれ達を派遣する程の罪⋯⋯社長の言葉はこうだ。『おれの秘密を知られた』──どんな秘密かはもちろんおれも知らねェが」

 これ以上は聞いてはいけない会話だとり以子はすぐに理解した。しかし、連中に勘づかれるリスクで今更どこへも行けない。靴の爪先が地面を擦る僅かな音すら聞きつけられてしまいそうな、隙のない緊張感があった。壁の陰に隠れて欠けた月を観察しながら、どうか何らかの事情で密談が中断されますようにと祈るしかなかった。

「我が社の社訓は“謎”⋯⋯社内の誰の素性であろうとも決して詮索してはならない。ましてや社長の正体など言語道断」
「⋯⋯それでよくよく調べ上げていけば、ある王国の要人がこのバロックワークスに潜り込んでるとわかった」

 り以子はハッとして、物陰から見えもしないのに連中の方を振り返りかけた。

「な⋯!!ちょっと待て!!おれは冠をかぶっているが決して王様なんかじゃないぞ!!!」
「あんたじゃないわよ」

 違った⋯⋯。り以子は自分の脳みそがMr.9のすっとぼけと同レベルなのかもしれないと思い落ち込んだ。

「罪人の名は、アラバスタ王国で今行方不明になっている──」
「死ね!!!“イガラッパッパ”!!!」

 皆まで言わせまいと、『イガラッポイ』が飛び出した。なんと巻き毛の一つ一つから銃弾が噴出し、黒尽くめの男と日傘の女に強烈な爆撃を浴びせた。

「Mr.8!!?」Mr.9が驚きの声を上げた。
「イガラム!!!」
「いがらむゥ!?」

 イガラムはミス・ウェンズデーを逃がすつもりのようだったが、追っ手は既に彼女の真上にまで詰め寄っていた。甲高い笑い声を上げながら、日傘の女が蹴りを繰り出す。ミス・ウェンズデーは避けきれず、頭のてっぺんでポニーテールを固定していた髪飾りが真っ二つに割れた。輝くような水色の髪が、バサッと広がった。

「罪人の名は、アラバスタ王国護衛隊長イガラム!!」

 胃袋の底を震わせる爆音が鳴り、り以子がギクッとして視線を向けると、イガラムが黒焦げになって倒れる場面が見えた。

「⋯⋯そして、アラバスタ王国“王女”──ネフェルタリ・ビビ⋯⋯!!!」

「──ったく、騒がしい夜だぜ⋯⋯かってにやってくれ」
「わ、」

 面倒臭そうなぼやきが聞こえたと思ったら、り以子は腹をぐいっと引っ張られ、ゾロの小脇に抱えられていた。いつの間に⋯⋯?いや、もしかしたらずっと近くに潜んでいたのかもしれない。彼のもう一方の手はルフィの襟首を掴んでいる。二人して運ばれていきながら、り以子は、Mr.9が王女バレしたミス・ウェンズデーにひれ伏すという悪ノリをして叱られているのを見た。

「事情はさっぱりのみこめねェが⋯、長くペアを組んだよしみだ、時間を稼いでやる⋯⋯!!!さっさと行きな、ミス・ウェンズデー」
「Mr.9!!!」
「バイバイベイビー」

 Mr.9は金属バットを振り上げ、勇ましく突進していった。それを前に、黒尽くめの男は悠長にも鼻に人差し指を突っ込んだ。そしてほじくり出した鼻くそを、まるで拳銃のように構えると、バットを振りかぶったMr.9目掛けて弾き飛ばした。

 すると、どうしたことだろう──鼻くそが空中で爆発し、Mr.9が吹き飛ばされたではないか。

「何⋯⋯、今の⋯⋯?」
 唖然とするり以子に、ゾロも同調した。「おいおい何て危ねェハナクソだ⋯⋯!!」

 突如、誰かがゾロの足首にしがみついた。見下ろすと、先程重傷を負ったはずのイガラムとかいう護衛隊長が、必死の形相を浮かべていた。

「剣士殿⋯!!!貴殿の力を見こんで理不尽な願い申し奉る!!!」
「まつるな!知るかよ手を離せ!!」
「⋯⋯あの2人組、両者とも“能力者”ゆえ私には阻止できん!!!かわって王女を守ってくださるまいかっ!!!どうか!!!」

 その王女は、黄色い大きな鳥カルーに跨り、土埃を巻き上げて走り去るところだった。

「遥か東の大国“アラバスタ王国”まで王女を無事送り届けて下されば⋯!!!ゴホッ──ガなラ゛ヅや莫大な恩賞をあなだがだに゛⋯⋯。お願い申しあげる⋯!!!どうか王女を助け⋯ガ⋯⋯」

 ゾロは小脇に引っかかったままのり以子としばらく顔を見合わせた。突然の展開に彼らは勝手に大盛り上がりしているが、正直言って二人ともテンションが置いてけぼりだった。しかし、この提案に乗り気で食いつく人がいた。

莫大な恩賞ってホント?」

 ナミが、建物の屋根に気楽に腰掛け、陽気な笑顔でこちらに人差し指を向けている。

「その話、のった♡ 10億ベリーでいかが?」
「ナミ!!!」

夜襲の歌(『美女と野獣』より)