「てめェ、酔い潰れてたんじゃ⋯」

 ゾロは呆気にとられ、ナミが軽やかに着地するのを眺めていた。

「あのねー⋯、こんな海賊を歓迎する様な怪しすぎる町で安心して酔ってられますかっての。え・ん・ぎ!!まだまだイケるわよ、私っ」
「はーそうかい」ゾロは心底どうでもよさそうだった。
「そういうゾロこそ、随分かわいらしいのぶら下げてんじゃない」

 ナミに指摘されて初めて、ゾロはり以子を抱えっぱなしだったことを思い出したらしかった。ようやく地面に降ろされたり以子は、立て続けの緊張で足に力を入れ損ねてガクッと来たが、ゾロの咄嗟の手助けを借りて、何とか無様な尻餅を免れた。

「──で?10億の恩賞を約束してくれるの?護衛隊長」ナミがあくどい笑顔をイガラムに向けた。「私達に助けを求めなきゃきっと⋯⋯王女様死ぬわよ?」

 10億ベリーが日本円でいくらくらいなのかり以子には分からなかったが、イガラムの狼狽ぶりからして、決して安い額ではなさそうだ。

「私の様な一兵隊にそんな大金の約束は⋯!!!」
「ん?まさか一国の王女の値段はそれ以下だっていうの?」

 ナミの挑発にイガラムは言葉を失った。

「出せ」
「脅迫じゃねェか」

 一方、イガラムもやられっぱなしではなかった。

「ならば、王女を国へ無事送り届けてくださるというのなら!!王女に直接交渉して頂ければ確実です!!!」
「⋯⋯!!まず先に助けろってわけね」
「⋯⋯!!!こうしている今にも⋯!!王女は奴らに命を⋯!!!」

 根負けしたのはナミだった。

「⋯わかったわ。おたくの王女、ひとまず助けてあげる──さァ!!!行くのよゾロ!!!」
「行くかアホっ!!!何でおれがてめェの勝手な金稼ぎにつき合わされなきゃならねェんだ!!」
「あーもーバカねー!!私のお金は私のものだけど、私の契約はあんたら全員の契約なのよ!!」ナミは、物分かりの悪い小さな子供に言い聞かせるような口ぶりで説明した。
「どこのガキ大将の理屈だそりゃあ!!!」

Dawn of Faith

「ねぇ⋯、バロックワークスって何なの?」

 ごねるゾロを借金の弱みで強引に駆り出し、彼がビビ王女を連れて戻って来るのを待つ間、ナミはただ月見に耽るわけではなかった。

「“秘密犯罪会社”です」イガラムが答えた。「社員の誰も社長の顔も名前も知らない。主な仕事は諜報・暗殺・盗み・賞金稼ぎ。全て社長の指令で動きます」

 り以子はもはや疑問に思うことすら疲れていた。物語の中のような出来事ばかりが起こり、いっそ「ルフィは今年受験生です」と言われた方が驚いたかもしれない。

「⋯⋯そんな正体もわかんない様なボスの言うこと、どうしてみんな聞くのよ」
「バロックワークスの最終目的は──“理想国家”の建国。今この会社でで柄をたてた者には、後に社長が造りあげる“理想国家”での要人の地位が約束されるのです」
「なるほど」ナミは溜め息をついた。
「社長のコードネームは“Mr.0”⋯。つまり、与えられたコードネームの数値が0に近い程、後に与えられる地位も高く⋯⋯何より強い⋯⋯!!!特に“Mr.5”から上の者達の強さは⋯──異常だ」

 り以子はさっき、アクション映画のCGみたいにドカンドカン連発していた爆発のことを思い出して、背筋が冷えた。

「ごめんね──あなた、り以子って言ったっけ」

 藪から棒に話を振られ、り以子は先生に当てられた時のように、背筋を伸ばして「はいっ!?」と素っ頓狂な返事をした。

「助けてあげたはいいけど、こんな変な事情のある島に連れて来ちゃって⋯⋯」
「い、いえっ!そんなっ!助けて頂いただけで、もう、本当⋯⋯」
「そうね。厄介事に巻き込んじゃったお詫びに、うちの船員クルーが救助してあげたことに対する謝礼は3割負けてあげる⋯⋯12万ベリーでいいわ」
「お金とるの!!?」
「冗談よ」

 ナミはサラリと言ったが、り以子は「こいつはお金を持っていないわね」とさり気なく品定めされた気がした。

 そろそろ片が着いただろうという頃合いを見計らって、り以子とナミは、最後に激しい爆音を轟かせた辺りへ足を運んだ。通りの建物はほとんどが半壊していて、あちこちに瓦礫が飛び散っている。どれほどの激闘があったのか、り以子には計り知れなかった。通りの奥に、もうもうと土煙が立ち上っている。目を凝らすと、その麓にルフィとゾロが並んで立っているのが見えた。だが、何やら様子がおかしい。

「さあ決着ケリつけようか」
「おお」

 二人が互いに殺気立った視線を交わした。何がどうなってそういうことになったのかサッパリ分からない。カルーに乗ったまま立ち往生しているビビをそっちのけに、野太い声を上げながら拳と刀を交えようとしている。完全に頭に血が上っている。
 ──が。

「やめろっ!!!」

 ナミの鉄拳制裁で、二人はいとも簡単に地に伏した。

「あんたらねェ⋯一体何やってんのよ!!まァ、一応あの娘を守れたから結果良かったものの──危うく10億ベリーを逃すとこだったのよ!?わかってんの!?」

 ナミは二人の胸倉を掴んで力任せに揺さぶった。

「⋯⋯あなた達、何の話を──」ビビが困惑のままに口を挟んだ。「どうして私を助けてくれたの!?」
「そうね⋯⋯その話をしなきゃ⋯り以子とビビ王女。ちょっとね、契約をしない?」
「えっ」
「契約?」
「あばれるなっ!!」

 この期に及んで取っ組み合いの喧嘩をやめないルフィとゾロが、再びナミの拳に沈んだのを見て、カルーが完全に縮み上がった。

 ナミの提案はこうだった。

「イガラムって人からおおよその事情は聞かせてもらったわ。あんた、祖国に無事帰らなきゃならないんでしょ?さっき見てもらった通り、うちのアホどもは腕に自信がある⋯⋯王国までの護衛として、かなり期待できると思うんだけど」

 ニンマリ顔のナミに、ビビはまだ警戒を解けずにいるようだった。

「それと⋯⋯り以子さんに何の関係が?」
「ああ、それは単純な話よ。あんたの王国でこの迷子ちゃんを保護してほしいの。聞き耳立ててたんだけど⋯あんた、ご両親が探してるんでしょ?──この町は見ての通りの有様だし、降ろすアテがないままずーっと私達の船に乗せておくワケにいかないじゃない」
「それはそうだけど⋯⋯」

 ビビはチラッとり以子に横目をやった。

「その子の救助料と、私達の船に乗ってる間の生活費諸々⋯⋯親御さんに請求したいとこだけど、船長がお尋ね者じゃあね⋯⋯、迎えに来るまで待ってられないし。ってワケで、あんたを送り届けたら、迷子保護の報奨金込みで報酬をいただくわ。10億ベリー。どうかしら?」

 10億ベリーのうち、り以子にかかる費用がいくらなのか見当がつかなかったが、り以子には何となく、これはビビの良心を刺激して断りにくくするための口実だという気がしていた。目論見通り、ビビは難しそうに口元をむずむずさせている。悩ましげな沈黙の間、すぐ隣でゾロと和解したらしいルフィの軽快な笑い声が場違いに響いていた。

「悪いけど──それはムリ!!助けてくれたことにはお礼をいうわ、ありがとう」

 結局、ビビはきっぱりと断った。ナミはガッカリしたようで眉を曇らせた。

「なんで?王女なんでしょ!?10億くらい⋯⋯」
「⋯⋯アラバスタという国を?」
「ううん、聞いたこともない」
「“偉大なる航路”有数の文明大国と称される、平和な王国だった⋯昔はね⋯⋯」
「昔は?」ナミが聞き咎めた。
「ここ数年、民衆の間に“革命”の動きが現れ始めたの。民衆は暴動をおこし、国は今乱れてる。だけどある日私の耳に飛びこんできた組織の名が、“バロックワークス”──どうやら、その集団の工作によって民衆がそそのかされていることがわかった。でも、それ以外の情報は一切が閉ざされていて、その組織に手を出すこともできない。
 ──そこで、小さい頃から何かと私の世話をやいてくれているイガラムに頼んだの。何とかその噂のしっぽだけでもつかんで、このバロックワークスに潜入できないものかと⋯⋯そうすればきっと我が王国を脅かす黒幕とその目的が見えてくるはずだから」

「威勢のいい王女だな」ゾロが感心半分呆れ半分に言った。
「でも、バロックワークスの目的なら、“理想国家”をつくることなんでしょう?」ナミはそこまで言って、ビビの言わんとしていることに察しがついた。「⋯⋯あ、まさか」
「そう。社長は社員達に理想国家の建国をほのめかしているけど、その実態、B・Wの真の狙いは“アラバスタ王国の乗っ取り”!!!──早く国へ帰って真意を伝え、国民の暴動を抑えなきゃB・Wの思うツボになる」
「なるほどそういうことか⋯⋯これでやっと話がつながった。内乱中なら迷子も保護できないし、お金もないか」

 ナミにとっては、秘密結社の陰謀よりも、金蔓の当てが外れたことの方が深刻そうだ。

「おい、黒幕って誰なんだ?」
 ルフィが気軽に訊ねた。すると、ビビはたちまち顔色を変えた。
「社長の正体!!?それは聞かない方がいいわ!!聞かないで!!それだけは!!!いえないっ!!あなた達も命を狙われることになる⋯⋯」
「はは⋯、それはごめんだわ」とナミ。「なんたって一国を乗っ取ろうなんて奴だもん。きっととんでもなくヤバイ奴に違いないわ!!」
「ええそうよ。いくらあなた達が強くても、王下七武海の一人“クロコダイル”には決して敵わない!!」

「え?今──」

 り以子が指摘しかけた声が間抜けに響いたのを最後に、衝撃的な沈黙が走った。

 言ってしまった。聞いてしまった。そしてそれを──サングラスをかけたラッコとハゲタカがしっかり見ていた。彼らは顔を見合わせると、いかにもどこかへ告げ口に行こうという間で飛び去った。

「ちょっと何なの!!?今の鳥とラッコ!!!!」
「ごめんなさいごめんなさい」
「あんたが私達に秘密を喋ったってこと報告に行ったんじゃないの!?どうなの!!?」

 ナミは泣いて謝るビビを鬼の形相で締め上げた。

 り以子は「“しちぶかい”って何ですか?」と質問したが、
「後でコックにでも聞け」という面倒臭そうな回答がゾロから返ってきたのみだった。

「短い間でしたけど、お世話になりました」
「おい、どこ行くんだナミ」
「顔はまだバレてないもん!!逃げる」

 するといつの間にか再び現れたラッコが、手早くスケッチブックに鉛筆を走らせ、見事な仕上がりの四人の似顔絵を披露して見せた。

「わっ。うまーい」

 ナミは流れで拍手して誉めたが、飛び去るラッコとハゲタカを背にブチ切れた。「これで逃げ場もないってわけね!!!!」

「⋯⋯とりあえず、これでおれ達は4人、B・Wの抹殺リストに追加されちまったわけだ」
「なんかぞくぞくするなー!!」
「えっ!?抹殺って何!?──わ、私もですか!?」

 り以子の裏返った声を聞いて、ゾロはこの世で最もどんくさい生き物を見る目を向けて来た。

「当たり前だろ、お前の顔もバレたんだから」
「そんな⋯⋯は、早く帰って、け、警察に行かなきゃ⋯⋯」
「はあ?」
「ご安心なされいっ!!!」

 勇ましい割り込みに、り以子とナミが期待の眼差しで振り向くと、そこには、ビビのコスプレをした明らかなイガラムが、四つのカカシを抱えて立っていた。り以子はイガラムがどんな策を引っ提げてやって来たのか、説明を聞くまでもなく大体理解した。

 ルフィにさえ笑い飛ばされていたが、イガラムは本気で身代わり作戦を決行するつもりのようだった。り以子には分からない航路についての専門的な話を交わした後、一行は島の裏手の海岸でイガラムを見送った。

「では⋯⋯王女をよろしくお願いします」
「おっさんそれ絶対ウケるって!!」
「誰にだよ」

 最後に、イガラムはビビと固い握手を交わした。

「では王女、過酷な旅になるかと思いますが、道中気をつけて」
「ええ、あなたも」

 そして、イガラムと身代わり人形を乗せた船は静かに海面を滑り出し、半月に向かって島から遠ざかっていった。

「⋯⋯行っちまった。最後までおもろいおっさんだったなー」ルフィが船の後ろ姿を眺めて感慨に耽った。
「あれで結構頼りになるの」ビビはちょっと誇らしげだった。

「じゃ、私達も行きましょ──」

 ナミに手を引かれ、り以子が月に背を向けたその時だった。

 臓腑を奥底から震わせるほどの、巨大な爆音がした。あまりの強い光で、一瞬のうちに世界の色が変わってしまったのかと思った。大きく膨らんだ空気が海面を走って押し寄せ、り以子達の背中にぶつかって逃げていく。
 振り向くと海一面に、真っ赤な炎が黒煙を噴きながら轟々と立ち上っていた。大火の熱が陸まで届き、り以子の頬をじりじりと灼いた。ルフィもゾロも目を見開き、しばらく身動きが取れなかった。燃え盛る海を前に立ち尽くすビビの後ろ姿が、炎の明かりで悲しく浮かび上がっていた。

「立派だった!!!!」ルフィが叫んだ。

「ナミ!!ログは」
「だ、大丈夫。もうたまってる」
「そいつを連れて来い船を出す!!」

 ルフィとゾロが急いで動き出した。り以子はゴツゴツした岩場に何とか立ったまま、ナミがビビの肩を掴んで叱咤するのを見ていた。

「ビビ!!急いで。私達が見つかったら水の泡でしょ!!?」

 ビビは唇を噛み締めて耐えていた。歯が下唇を破り、顎に血が伝っても、首の筋がこわばるほどの激しい感情を必死に堪えていた。

「──大丈夫!!!あんたをちゃんと、アラバスタ王国へ送り届ける!!!」

 ナミは咄嗟にビビを抱き締めた。

「あいつらたった4人でね⋯!!“東の海イーストブルー”を救ったの!!“七武海”なんて目じゃないわ!!!」

Dawn of Faith(エクリプス・エターナル)