一息ついた後は、昨晩サボったお風呂の時間だ。ビビとり以子はナミに着替えを借り、そのレンタル代をまけてもらう代わりに一番風呂を譲った。ナミの後にビビが入り、り以子がその次だ。

「り以子、上がったらサンジ君に声かけてあげてね」
「え」
「最後に入るから」

 自分が入った後に男の人が入るのか⋯⋯り以子はちょっと気が引けて、できる限り綺麗に使って上がろうと心に決めた。

「──っていうか、え?最後?」
「あー、サンジ君以外は毎日入らないの」
「ええ⋯⋯男の人ってそういうもんなんですか⋯?」
「まあ男なんてそんなもんだろうけど、あいつらは度が過ぎてるわよ。イヤよね⋯」

 ナミは鼻の上にちっちゃな皺を寄せて、不満で堪らないという顔をした。そう言われると、逆にサンジの好感度が上がるから不思議だ。

 髪を乾かしに戻っていったナミと別れ、り以子はビビが上がるまで甲板でボーッとしていた。噂のサンジは朝の爽やかな風を浴びながら優雅に一服しているところだった。長い前髪で、り以子がいる場所からは顔が見えないが、それがアンニュイで様になっている。
 ゾロは少し離れたところで筋トレに勤しんでいた。やたら大きなバーベルを担いだスクワットだ。一流のアスリートも感心して見入るだろうなとり以子は思った。そのすぐ側で、ルフィとウソップがカルーにちょっかいを出してバカ騒ぎしている。最初のうちは楽しそうでいいなと微笑ましかったが、じっと眺めていると、ルフィに羽毛を鷲掴みにされたカルーが、胸を締め付けるような切ない悲鳴を上げ出した。

「ちょ、ちょっと、かわいそうなんじゃない?」

 たまらず口を出すと、ルフィとウソップがはたと止まって振り返った。カルーが藁にも縋る思いで飛び出し、り以子の足元に滑り込んできた。

「おーり以子!風呂上がったのか?」
「それはこれから⋯⋯まだビビさんが入ってらっしゃるから⋯⋯」
「なんだよ、おっせェな〜!」

「レディの身支度は時間がかかるもんなんだよ。なんせ美しさを磨くための崇高な儀式だからな」

 り以子の背中にトンと何かが触れて、がっしりした背もたれが出来た。振り返って見上げると、サンジがり以子をウインクで一瞥した。

「女って風呂で儀式してんのか?」ルフィが胡散臭そうに顔をしかめてり以子に訊いた。
「え⋯⋯いや⋯、どうかな⋯⋯」
「バカかてめェ、乙女の秘密を暴くヤツがあるか!まったくおめェはデリカシーってもんがねェ」

 サンジを待たせないようにカラスの行水を考えていたり以子は、あまり早くに上がるとガッカリさせてしまわないか不安になった。

「ずっと聞きたかったんだが」

 矢庭にゾロがバーベルを置き、こちらの会話に割り込んできた。

「お前、何かやってんのか?」
「え?」
「さっきの町で触った時気になったんだ。一般人の小娘にしちゃ珍しく鍛えてんじゃねェか。もしかして──」

 皆まで喋り終わる前に、ゾロの鼻先に黒い鞭のようなものが振り下ろされた。鼻先を僅かにチリッとかすめたそれは、甲板を激しく叩きつけて危うく穴を開けかけた。

「オイイイイイイイ!!!船壊すなバカかてめェ!」ウソップが絶叫した。

「“触った”だァ⋯⋯?この不届者が⋯どこをどう撫で回しやがった正直に吐けその後3枚にオロすぞゴルァ!!!!」
 サンジが不動明王みたいな形相でゾロに接近しメンチを切った。
「誰が撫で回したっつったよ!!」ゾロが怒鳴った。「抱えた時に違和感あったんだよ。戦えんなら戦闘員に数えることもできんだろ。それにしちゃどんくせェが⋯」

 サンジは「“抱えた”ァ!!?」と口から火を吹いて激怒していたが、皆が無視した。

「何っ!?り以子、お前戦えんのか!?」
 期待の眼差しを向けてくるウソップに、り以子は急いで首を振った。「いや、全然」
「り以子ちゃんはか弱い妖精さんだぞ!荒仕事のアテにしてんじゃねェよ!!」
「お前いつまで妖精引っ張ってんだよ⋯」ウソップはほとほと呆れた。
「なんだ、弱ェのかり以子」ルフィはどっちでもよさそうだ。「でも何で鍛えてんだ?」

「それは別に⋯そこまで鍛えてるつもりもあんまり⋯⋯あー、でも⋯」
 煮え切らないり以子の様子に、ゾロは少しイライラした。
「何だよ。ハッキリ喋れねェのか」
「いや、あの、スケートやってて⋯⋯」

 妙な沈黙が数秒流れた。

「スケート⋯⋯」ウソップがポツリと復唱した。「そりゃまた⋯絶妙に使えねェ特技だ」
「何だつまんねェ」
「すいません⋯」
「へー!り以子はスケート滑れんのか!いいなァ!」
「銀盤を舞い踊る⋯輝く薄絹をまとったり以子ちゃん⋯♡ おれの勘は間違ってなかった!やっぱりり以子ちゃんは氷の妖精だったんだァ!!!」

 期待が外れ失望するウソップやゾロと違って、ルフィとサンジは暢気な反応だった。

「どっかで見れるかなァ!見てみてェなースケート!」
「おっ。珍しく話が分かるじゃねェか船長!このヘンテコな海だ、そのうちクソでけェ流氷でも流れてくるんじゃねェか?」

「こねェよバカ」
「コロすぞてめェ!!」

 ゾロとサンジがきつい暴言の応酬を始めたので、り以子はギクッとしてしまった。相手によって態度を変えるタイプとは薄々察していたが、女性陣に対しては紳士然としているサンジが、男相手にはこれほどまでに口が悪くなるというのは新たな発見だ。

「やれるもんならやってみろよ返り討ちにしてやらァ」
「おーおー見事に三下のセリフだな。ザコに成り下がったかクソマリモ」
「ホントに斬るぞてめェ!!」
「あァ!?やんのかゴルァ!!!」

 り以子が生で聞いたこともなかったような物騒な言葉が、ずっと王子様だと思っていたサンジの口から、耳慣れない粗暴な声色に乗ってポンポン飛び出していく。り以子の頭の中に、ナミの言葉が繰り返し反響していた──男なんてそんなもん⋯⋯このままチンピラみたいな喧嘩が始まってしまうのかと身構えていたが、

「り以子さ〜ん!」

 という、ビビの呼びかけで険悪な空気は霧散した。

「ビビちゅわ〜ん♡♡ 今上がったの?サッパリした?」
「ええ、お陰様で。り以子さん、次どうぞ」
「あっ!はい!」

 り以子がわたわたと荷物を拾っていると、横から伸びてきた手にスッと取り上げられた。ギョッとしたり以子は、ニコニコ顔でり以子の荷物を持つサンジを見上げた。

「場所分かんねェだろ?ご案内しますよ、マイフェアレディ♡」

 ゾロ相手に出すのとは全く違う、とろけるような猫撫で声だ。

「や、さすがにそれ、替えの下着も入って──」
「お持ちします♡♡」
「私が案内するわよ⋯場所覚えたから」

 ビビが呆れたように助け舟を出してくれた。着替えが入った荷物は、ビビによって取り返され、り以子の手元に無事戻ってきた。

「おーいり以子」ウソップが声をかけた。「ドアの窓にカーテンついてっから閉めとけよ。覗かれるぞ。カギかけんのも忘れんなよ」
「覗き!!?」
「大丈夫だよォり以子ちゃん♡ そんな不逞な輩はおれがバスルームに近づけないからね!不安なら一緒に入ろっか♡♡」
「おめェとんでもねェ根性してんな」ウソップが突っ込んだ。

Baby Face

 お風呂はこじんまりとしたユニットバスだった。洗い場はなく、洗面所とトイレが所狭しと詰めてある。空のバスタブでシャワーを浴びる方式だ。何となく勝手に湯船に浸かるのを想像していたり以子だったが、よく考えればそうもいかないことは明白で、つい残念がってしまう傲慢さを反省した。

 ボディソープやシャンプー、コンディショナーは、浴室にまとめて置かれていたボトルの中から適当に使った。金縁の白い陶器のボトルのものは手を滑らせて割ってしまいそうだったので、もう一方の黒いボトルのものを借りた。甘さのない清涼な香りからして男物だったかもしれない。島で買い物をする時に、ドラッグストアで気楽に使えるものを買おうと心に決めた。ドラッグストアがあればの話だが。

 手早くシャワーを済ませ、念入りにバスタブを洗った後、床置きしてあった水切りワイパーでしっかり水気を払った。

 後続を呼びに行こうとドアを開けたり以子は、サンジがベッタリ張り付く格好でドア枠の前に立っていたのを見て危うく悲鳴を上げかけた。

「サンジさん!!?嘘でしょ何やってんの!?」
「サンジでいいんだよ♡ 奇遇だね、今お風呂上がり?」

 奇遇も何も、ドアに張り付いていたんじゃ⋯⋯り以子がドアを指差したまま指摘を躊躇っていると、サンジが悪びれもせずに言った。「ああ、ムッツリマリモが覗いたりしねェように、おれがしっかり見張ってたから安心してくれ」

「あ⋯あの人、覗くの!?」
 り以子は衝撃を受けた。ウソップが言っていたのはゾロのことだった⋯⋯?
「ああいう手合いが一番危ねェんだより以子ちゃん。おれも目を光らせておくけど、奴にはあまり近づかないでね。体触らせるなんてもってのほかだぜ」

 硬派な印象だっただけに、にわかには信じがたかった。しかし、仲間のサンジが言うのだからそうなのかもしれない。そんなことを考えながらぼうっとしていると、視界の端に煌めく金糸がチラついているのに気づいて飛び上がった。サンジが軽く腰を曲げ、り以子の首筋のあたりに顔を近づけていた。自意識過剰でなければ匂いを嗅がれた気がして、肋骨の奥の方が疼くようにざわめいた。

「⋯⋯え」
「あ、ごめん。髪洗うの、黒いやつ使ったんだ⋯と思って」

 り以子はピンときた。あの黒いボトルはサンジのものだった。

「すいません⋯!なんか、多分ナミさんのやつ、落っことして壊しちゃいそうで⋯⋯」
「なるほど。いや全然いいんだよ。責めてねェんだけどさ⋯⋯」

 サンジは落ち着きがなく、やたら口元を触ったり、目を泳がせたりしていた。どうしたんだろうとり以子がじっと見つめていると、視線が絡み合ったサンジの顔から動揺が消えた。代わりにスッと目を細め、口元に艶笑を浮かべた。

「ちっちゃいかわいい女の子からおれの匂いがするの、クるな〜と思って」

「⋯⋯サ、──」
「『サンジさ〜ん』?」

 硬直して言葉が出ないり以子の代わりに、サンジが悪戯っぽくクスクス笑いながら続きを言い当てた。り以子は絶対に赤面している自信があった。目玉から火を噴くような感覚は間違いない。火照った頬を両手で押さえていると、手首を掴んで外された。無防備な顔面を、サンジが心底おもしろそうに覗き込む。

「ハハ、トマトみてェ。ツヤツヤのほっぺが真っ赤っ赤」

 り以子の両手首を掴んだままの手からぴんと人差し指が伸びてきて、頬をツンツンと突つかれた。からかわれて遊ばれているだけだと理解しているのに、心臓は痛いほどに暴れてしまいどうしようもなかった。

「か〜わい♡」

 中腰になって上目遣いのサンジは、いつもより目が大きく見えて、彼の方こそかわいいじゃないか──いつまでも押される一方ではダメだ。り以子は奮起し、サンジに向かってイーッとやってやった。

「サンジの意地悪!」
「え」

 目を丸くして動かなくなったサンジを見て、り以子は勝利を確信し、すっかり気を良くした。からかわれてばかりじゃないというところを見せつけてやったんだという達成感に満たされていた。

「わ、私だって、言い返す時は言い返すんですよ!」

 り以子はフンと鼻から尊大な息を吐き捨て、ツンとした態度でバスルームを後にした。

 残されたサンジはかなり長いこと唖然と立ち尽くしていたが、やがて石化の呪いが和らいできた頃に、やっとのことで動かした右手で赤らんだ目元を覆った。

「何だ⋯あの⋯弱い生き物は⋯⋯」

Baby Face

「り以子さん、『悪魔の実』を食べたんですって?」

 風呂上がりのさっぱりしたいい気分が、ビビのその質問で吹き飛んだ。り以子は湿った髪にブラシを通しながら、どうして蒸し返すのをもう少し日が経ってからにしてくれなかったのか理不尽に恨めしく思った。

「えーっ!?り以子、能力者なのか!!?」
「マジかよ!!?何の能力だ!?強ェか!?」
「い、いつの間に⋯!?ウイスキーピークで!?」

 予測もしていなかったが、ルフィ、ウソップ、ナミの食いつきは激しかった。

「その⋯⋯“ハズレイチゴ”でしょ⋯、ご、ごめんなさい⋯⋯」

 ビビは込み上げるおかしさを一生懸命抑えようと必死だったが、り以子から見れば普通に笑いを隠せていなかった。り以子は「またこれか」とむくれたが、意外にも、ナミ達には知らないことのようだった。

「ハズレイチゴ?何それ」
「B・Wで長いこと話題になってた『悪魔の実』なの。手に入ったはいいけど、能力がとても⋯⋯何ていうかその⋯、“当たり”とは言い難くて⋯⋯」
「ハズレの能力?そんなことあるの?」
「そもそも、その『悪魔の実』って何なんですか⋯?」

 り以子が思い切って訊くと、麦わらの一味がお互いに顔を見合わせた。

「百聞は一見にしかずじゃねェか?」ウソップがルフィに視線をやった。
「そうね。実践が一番早いわ」と、ナミ。「ルフィ、これ取って!」

「ん?」

 ナミの手からポーンと飛び出した何かが、船体を超え、青空の下に大きな弧を描きながら海面に向かって落下していくのが見えた。

 デッキにあぐらを掻いていたルフィがすっくと立ち上がり、左手で肩を押さえて右腕を大きく振りかぶった。一体何をする気だろう?と、飛んでいく何かからルフィの方に首を振ったり以子は、次に目の当たりにした光景に腰を抜かすことになった。

 ルフィが思い切り突き出した腕が、ぐんぐんと馬鹿みたいに伸びていく。よもや人の腕の長さではなかった。細く伸びた肌の色が、新幹線みたいに高速でり以子の目の前を横切り、船の外へ躍り出た。そして、今に海面に衝突しかけていた落とし物に吸着したように見えた。すると今度はものすごい勢いで腕が縮み始めたではないか。

「ぎゃ⋯──」

 バチン!と弾ける音を鳴らして、ルフィの腕が元の長さに収まった。それを合図に、り以子はあらん限りの全力を出して大絶叫した。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

「この声はり以子ちゃん!!?何かあったのか!!?」
「何だ敵襲か!!?」

 湿った髪を振り乱すサンジと、寝ぼけ眼のゾロが大慌てで駆けつけた。ゾロは何事もないいつも通りの甲板を見回して肩透かしを食らったような顔をしたが、サンジは走ってきた勢いのままに突っ込んできて、り以子の足元でピッタリ止まるニースライドを決めた。

「どうしたんだいり以子ちゃん!!?クソマリモにどっか触られた!!!?」
「何でおれなんだよ!!今てめェと一緒に来たろーが!!」
「う、腕っ⋯腕がっ⋯⋯!!!!」り以子はルフィを指差して慄いた。
「おう!伸びるぞ。“ゴムゴムの実”を食ったゴム人間だからな!!」

 ルフィは得意げに歯を見せて笑い、たった今常識を超えて伸び縮みした腕でグッと力こぶを作った。

「馬鹿野郎!!」

 サンジの黒い革靴が高い位置から降って来て、ルフィの後ろ頭をゴチンと打撃した。

「り以子ちゃんはナイーブなんだよ!ビビらせんじゃねェ!!」
「おれじゃなくてナミがけしかけたんだ」
「あ、そう私」ナミがあっけらかんと挙手した。
「ナミすゎんっっっ♡♡ じゃあしょうがないかァ♡ びっくりしたね〜り以子ちゃん♡」
「いいのかそれで」と、ウソップが誰にも届かない声量でぼやいた。

「で?り以子が食べちゃったっていうハズレの実はどんな実なわけ?」

 ナミが仕切り直した。どうせり以子に聞いても分からないだろうと、最初からビビに向かって質問していた。すると、なぜかサンジがポツリと呟いた。

「“ヨワヨワの実”だろ⋯⋯」
「は?何だそれ」
「いや何でもねェ。こっちの話」

 バッチリ聞こえていたウソップが突っ込んだが、サンジは大きな右手で顔を覆い、それきり黙りこくってしまった。

「パントマイム人間になる実よ」ビビが答えた。
「パントマイム人間⋯?」
「パントマイムが身につくの」
「そりゃあ⋯⋯便利なんじゃねェのか?」

 ウソップが顎に手を添えて首をひねった。するとビビはり以子を振り返り、
「り以子さん、ちょっとやってみたら?」と雑な無茶振りをした。

「や、やってみたら?って⋯⋯」
「壁〜!ってやってみればいいんじゃねェの?」

 ウソップの適当なアドバイスに則り、り以子はパントマイムといったらこれと思う動きを真似てみた。空中の何もないところに壁があるつもりで、手を垂直に差し出してみる。すると──り以子は息を呑んだ。本当に、壁に手が触れたのだ。もう片方の手でも試してみたが、同じように見えない壁に触れた。

「わ、ホント上手〜」ナミは小さく拍手してからすぐに我に返った。「いや、これ、悪魔の実必要?」
「えっ、えっ、待って。本当に壁に触った!」
「何ィ!?」

 ウソップがり以子の正面に立ち、り以子の手に触れてきた。しかし、互いの手が触れ合う直前に、見えない壁がそれを阻んだ。

「うおおマジだ!!壁があるぞ!!!」
「ホントか!!?すげェ!!」

 興奮に釣られたルフィがウソップの横から手を出した。ところが、その手はあるはずの壁を通過し、何に邪魔されることもなく、り以子のおでこにちょんと触った。

「あり?」
「アアアこのクソゴムてめェ何おれの許可も得ずり以子ちゃんの顔に触れてんだ!!!」
「なんでコックの許可がいんだよ」
「壁なんてねェぞ?」

 大騒ぎするサンジに引き剥がされながら、ルフィがコテンと首を傾げた。それを聞いたウソップが一度手を離し、壁の他の部分に触れようとした。が、ルフィと同じくウソップの手も壁に当たることなく通過し、り以子の二の腕に届いた。

「クソ鼻てめェ話聞いてなかったのかおれの許可なしにり以子ちゃんに触んじゃねェよ変態!!!」
「だからおめェだろ変態は」
「申請しても許可しねェけどな!!!」

「ね、ねえもしかして⋯⋯」
 ナミが何かに気づいた。ビビがゆっくりと一つ頷いた。

「“マイマイの実”は、目に見えないものを自在に“解釈”して触れられるようにする能力⋯⋯でもそれは、直接触れた部分にしか有効じゃないのよ」
「ってことはつまり⋯?壁を表現したところで⋯⋯」
「り以子さんの見えない手形が宙に浮いてるだけ」

 り以子はこれほど気まずい空気を味わったことがなかった。ミス・オールサンデーの来襲の後だってこんなに重くならなかっただろう。皆が口々に「ドンマイ」「気にしなくていいよ」と励ましてくるのを、何と返したらよいか分からないまま、曖昧な愛想笑いで受け流すばかりだった。

「ところでナミ、さっき何投げたんだ?」

 ウソップの質問に、ナミは小悪魔のような魅惑的な笑みを浮かべて舌を出した。

「り以子のお財布」
「え!?私の!?何でナミさんが持ってるの!!?」
「中身は抜いてないわよ。知らない通貨だったから」
「そういう問題!!?」

Baby Face(ジュリー・アンドリュース)