Guts

生き残るための方法

 ビルに駆け込んだ途端、り以子は強い力に突き飛ばされて床に転がった。びっくりして顔を上げると、ブロンドの女性がリックに銃を突きつけていた。

「この野郎、殺してやるわ!」
「アンドレア、よせ」
「冷静に」

 女性の他に、武装していた体格のいい男性が二人、背の高い黒人の女性もいた。

「冗談じゃないわ。彼らのせいで死ぬのよ」

 女性は激昂していた。リックの鼻先に突きつけた銃の先が僅かに震えている。張り詰めた緊張感に誰もが動けないでいた。

「……アンドレア」男性が繰り返した。「銃を下ろせ。下ろすんだ」

 アンドレアと呼ばれた女性は悔しげに銃を下ろした。美しい青い瞳が涙に濡れている。

「私たちは全員死ぬわ……あんたたちのせいよ」
「どういうことだ」

 リックが探るように訊いた。「いいか?」男性たちがリックを掴み、どこかへ連れて行こうとする。り以子もグレンの手を取って立ち上がり、皆の後を追った。

「食料を求めてここに来た。生き延びるには音を立てちゃいけない。銃をぶっ放したり、絶叫したりしたら最後だ」
「音で奴らが集まってくる」
「食事のベルと同じよ」

 店の正面ドアに大量のウォーカーが群がっていた。入り口は二重扉になっているようだが、外側のドアにはびっしりウォーカーが張りつき、中に入ろうとガラスを叩いている。あの数では、一枚が破られるのも時間の問題だった。現に、既にヒビが入っている。そこにウォーカーの一人が大きな石を叩きつけ始めたのを見て、皆は息を呑んで後退した。

「外で何をしてたの?」

 アンドレアがリックを責めるように訊いた。

「ヘリを見つけた」
「ヘリなんて来るはずがない」
「幻覚に決まってるわ」
「確かに見た!り以子も見ていたはずだ」

 リックに突然名前を呼ばれ、り以子は全員の視線に晒された。すがるような期待の視線をリックから感じたが、残念ながらり以子は口早に交わされる話題に上手くついていけていなかった。苦し紛れに「お会い出来て嬉しいです」と挨拶すると、全員が呆れたように息を吐いた。

「おいTドッグ。無線で連絡しろ」

 白人男性に促されて、Tドッグと呼ばれた黒人男性が無線機を取り出した。リックがすかさず「避難所があるのか?」と訊ねた。

「ええ、焼きたてのビスケットもね」
「──ダメだ」と、Tドッグ。「屋上に出よう」

 その屋上から銃声が弾けるのが聞こえた。ギョッとする一同。アンドレアが「メルルだわ」とうんざりしたように言った。

「おいディクソン!正気か!?」

 屋上には男性がいた。いかにも…な風体をした短い髪の白人男性だ。ショットガンで地上のウォーカーを次々に撃ち殺し、銃声を街中に轟かせている。仲間の男性の怒号なんて聞きもせず、へらへら笑って銃を撃ち続けた。

「銃を持つ人間に敬意を払え!」

 メルル・ディクソンは愉快そうに言い放った。「常識だろ」と。悪びれた様子もない姿に、Tドッグが食ってかかった。

「弾を無駄遣いした上に奴らを呼び寄せてる!」
「俺につきまとってるくせに指図する気か?──お前に従うわけないだろ」
「何だと?理由を言え」

 先陣を切って怒鳴り込んで行ったTドッグとメルルの間に、険悪なムードが漂い出した。他の男性がTドッグを宥めようとしているけれど、まさに一触即発という感じで危なっかしい。り以子が怯えて男たちの顔を盗み見ていると、メルルという男とバチッと目があった。びくりとした時にはもう遅い。メルルは面白いものを見つけたと言わんばかりに目を爛々とさせ、Tドッグを押しのけてこっちに向かってきた。

「かわいいのがいるなぁ、え?」
「メルル!」
「下で何を物色してた?随分若いの見つけて来たな」

 聞いたことのない言葉が混じっていて何を言われてるのかサッパリ分からないが、り以子の心臓は鼓膜のすぐ裏で早鐘を打っていた。ずんずん迫ってくる大きな男が恐ろしくて後退りすると、リックが庇うようにり以子の前に進み出た。メルルがスッと目を細める。

「男付きかよ──ジャップめ」
「やめろ!その子に構うな」

 Tドッグが後ろからメルルの肩を掴み、自分の方に振り向かせた。メルルは気に食わなそうに舌打ちをした。

「さっきの理由を教えてやるよ」
「何だ」
「ニガーの言うことは聞けないのさ」

 Tドッグが殴りかかった。その拳は空を切り、入れ替わりにメルルが突き出した銃がTドッグの顔を直撃した。リックがすぐさま止めにかかったが、メルルに返り討ちにされた。り以子は悲鳴を上げて、リックの傍に駆け寄った。

「リックさん!大丈夫ですか?」
「ああ……」

 蹴られ、殴られたTドッグはもんどり打って水道管に頭をぶつけて動けなくなってしまった。メルルはそれでも暴力を止めず、大きな腹の上に馬乗りになって、拳の雨を降らせている。極めつけに拳銃を取り出し、Tドッグの口に突きつけた。

「やめて、お願いよ」

 アンドレアが懇願した。メルルは銃を向けたまま、鋭いその目で怯える仲間の顔を見回した。最後にTドッグの顔を睨みつけると、胸に唾を吐きつけて荒々しい声を上げた。

「よし、いいだろう!ちょっと話し合おうじゃないか。ボスを決めるんだ」

 メルルが立ち上がった隙に、グレンたちがTドッグを引きずって彼から引き離した。

「俺は自分に票を入れる。民主主義にのっとり挙手で決めるぞ──賛成の奴は?」

 メルルの一番近くにいた男性が、諦めたように手を挙げた。アンドレアたちががっかりとした目を男性に向けていたが、メルルに催促されると、彼らも挙手せざるを得なくなった。

「じゃあ俺がボスだな」
 満足げにメルルが言った。
「他に誰かいるか?どうだ?」
「いるとも」

 背後でリックが名乗り出た。メルルが振り向きかけた瞬間、ショットガンで顔を殴りつけた。不意打ちに倒れたメルルに膝を乗せて身動きを封じると、慣れた手つきで手錠を嵌め、手近に走っていた水道管に繋いだ。流石保安官の鮮やかな手さばきに、り以子は感激してしまった。

「誰だよお前!」
「優しいお巡りさんだ」

 リックはメルルの胸倉を掴み、威圧的に言った。

「いいか?状況は変わったんだ。ニガーなんていない。バカで最低なホワイトトラッシュもいない。もちろん、ジャップもだ。生存者か死者しかいない世界で協力して生き延びるんだ」

 胸を打つようなリックのスピーチに、メルルはただ一言「くたばれ」と吐き捨てた。

「……話が通じないようだな」
「二度くたばれ」
「銃を持つ人間に敬意を払え。常識だろ」

 リックがこめかみに銃を押し付けて凄んだ。

「保安官が人を殺すのか?」
「──俺はもはや家族を探してるただの男だ。邪魔する奴は始末する」

 考える時間をやろうと言い放ち、リックはメルルを放置した。去り際にボディチェックをし、目ざとく違法薬物を見つけて取り上げていたのは見なかったことにした。

「やめろ!俺のヘロインだぞ!あとで命乞いさせてやる!聞いてんのかブタ野郎!──」

「あなた、この辺りの子?違うわよね」

 手錠をガチャつかせながら喚いているメルルを尻目に、アンドレアが話しかけてきた。

「あっ、いえ──私は日本から来ました」
「旅行?」
「私は修学旅行でアメリカに来ました」

 アンドレアは哀れみを込めた目をり以子に向けた。

「自由の国へようこそ」