「ダリル、ちょっと話がある」
武器を置いたダリルに、シェーンが声をかけた。
「何だ」
「メルルのことだ。市内で問題が」
痛々しいものを見るような目つきで自分を取り囲む人々を見て、ダリルは異様な空気を感じ取ったようだ。表情がたちまち強張った。
「……死んだのか?」
「分からない」
シェーンはぐずぐずと言葉を濁す。はっきりしない態度に、ダリルは苛立った様子で「どういうことだ」と詰め寄っている。リックは不安げに様子を窺っていたり以子とちらりと目を合わせると、小さく頷いてダリルに向かって行った。
「単刀直入に言おう」
急に横から割って入ったリックを、ダリルは胡散臭そうにじろじろ睨んだ。「あんた誰だよ」
「リック・グライムズだ」「リック・グライムズ。話してもらおう」
「メルルは危険だった。だから屋上で手錠をかけた。まだそこにいる」
リックはダリルの鋭い視線に臆することもなく、正直に打ち明けた。その瞬間、不自然に空気が止まった。
「……理解できねえ」
り以子は一瞬、ダリルが目に浮かんだきらりとしたものを拭ったように見えた。
「俺の兄貴を屋上に手錠でつないで、置き去りにした!?」
「……そうだ」
ダリルの荒げた声が木々に反響し、り以子の胸に深く突き刺さった。
彼の中で怒りが沸々と湧き上がっていくのが傍目にも分かった。それが限界を超えて爆発するのに、そう時間はかからなかった。ダリルはぶら下げていたリスの死骸を力任せにリックに投げつけた。リックはしゃがんでそれを避け、脇から飛び出して行ったシェーンがダリルの腹に強烈なタックルをかけた。あまりの急展開に驚いたり以子の金切り声が辺り一帯に虚しく響く。
ダリルはひっくり返ったが、すぐに腰に下げていたナイフを抜いて立ち上がった。辺りに鋭い緊張感が走る。
「ナイフだ!」
ダリルが衝動的に切りかかった。リックがそれをかわし、逆にその腕を取って背中で捻り上げると同時に、シェーンが背後から飛びついて、ダリルのがっしりした首に腕を回した。現役の保安官二人を相手取って敵うわけもなく、ダリルはあっという間に制圧された。ダリルの手からポロリと落ちたナイフをリックが素早く拾い上げ、自分のズボンのベルトに差した。
「放せ!」
「そうはいくか」
もがくダリルにシェーンが力を加えて引き倒す。
「殺す気か!」
「訴えればいい。抵抗しても無駄だ」
ダリルはまだ興奮していて、手負いの獣のようにフーフー言っていた。リックは正面にしゃがみ込み、まっすぐに目を覗き込んだ。
「きちんと話し合いたい。冷静になれ。できるか?」
まだ息は荒いが、話し合いをする意思はありそうだ。リックとシェーンはアイコンタクトを交わし、パッとダリルを解放した。ダリルは地面に叩きつけられ、シェーンに向かって中指を立てた。
「やむを得なかった」
土の上に手をつき、ゼェゼェと肩で息をするダリルに、リックが宥めるように言い聞かせた。
「君の兄貴は協調性がなかったんだ」
「リックは悪くない」
それまでずっと黙っていたTドッグが、ついに正直に名乗り出た。緊張と罪悪感で顔がこわばっていた。
「俺が鍵を落とした」
「拾えよ!」
「排水溝に落とした」
ダリルは呆れと落胆がないまぜになった息を吐き捨てた。
り以子は申し訳なさで今にも頭が爆発しそうだった。あの時、自分がもっと早く手を伸ばしていたら、鍵を拾えたかもしれないのに……自分にもっと力があったら、手錠を壊すことだって出来たかもしれないのに……。
「言い訳にならねえ!」
「だがドアにチェーンをかけておいた。南京錠もだ」
「きっと無事だ」
Tドッグとリックが口々に希望を持たせる言葉をかけたが、あまりにも薄っぺらい気休めだ。ダリルには全く響いていなかった。いかつい顔がくしゃりと歪み、今度こそ見間違いではない、明らかな涙がその目に浮かんだ。もう黙っていられなかった。
「ごめんなさい!」
悲鳴じみた声を上げると、男の鋭い視線が矢のようにり以子を射抜いた。リックが「り以子!」とたしなめたが、り以子は首を振って続けた。
「ご──ごめんなさい。私が……」
「お前が何だよ」
見上げるほどの大きな体格がずんずんと迫ってくる。り以子は身がすくんだ。
「待て、彼女は悪くない」
リックがダリルの後ろから制止の声をかけたが、ダリルは止まらなかった。
「悪くない?こいつはそうは思ってないみたいだぞ」
「いいや、悪くない」
今度はTドッグが止めに入った。庇われてばかりでみっともない気持ちでいっぱいなのに、喉に引っかかって上手く言葉が出てこない。
「彼女は最後まで手錠を壊そうとしてたんだ」
「結局できなかった」
「そうだ。俺が無理矢理引き離したからだ」
ダリルはしばらくやり場のない怒りを堪えて歯を食いしばっていた。Tドッグやリックからすれば仕方のないことだとしても、彼からすれば意味のない口答えだ。り以子が呻くようにもう一度謝罪の言葉を口にすると、ダリルの腕がヒュッと伸びて、り以子の右肩を突き飛ばした。
食らったのは肩なのに、燃えるような激痛がなぜか右腕の裏に走った。リックが非難する声が聞こえたけれど、ダリルは聞く耳を持たずに歩き去って行った。
「バカ野郎ども!」
ざっざっと遠ざかっていく足音を聞きながら、り以子は全身から力が抜けていくのを感じた。
「場所はどこだ。助けに行く」
「夫も行く──そうでしょ?」
ローリが探るような目でリックを見ていた。蝉がわんわん鳴いている。気が変になりそうだった。
「助け出そう」
リックがはっきりと言った。ローリは静かに目を伏せ、キャンピングカーへ消えていった。直前に見た彼女の表情は、どこか失望したようにも見えた。