Wildfire

救いを求めて

 朝になって日が上がり、皆によく見えるように地獄を照らした。見知った顔ぶれが恐怖の色を浮かべたまま凄惨な死を遂げている。それらがいつウォーカーとなって生き残った人々を襲うとも分からない。ダリルが一体一体つるはしで頭を割って回り、他の男性陣が仲間とそれ以外を選り分けた。仲間は埋葬するためにシートで包み、ウォーカーの死体は積み上げて焼いた。

 アンドレアは抜け殻状態だった。物言わぬエイミーの傍に座り込み、誰が話しかけても一言も返さない。見かねたリックが説得しようとして、銃で追い返されていた。彼女には時間が必要だった。ただ、のんびりそれを見守ってやれる状況ではない。

「何やってんだよ、食われたいのか?あいつは時限爆弾だ」

 どうしたものかと遠巻きに様子を窺う皆に、ダリルが苛立ちを向けた。肩に担いだつるはしに潰れた脳みそがこびりついている。

「どうしろと?」

 リックが訊くと、ダリルはスッと目を細めた。

「撃つんだよ。頭にぶち込め!ここから撃てる」
「ダメよ」ローリがすかさず言った。「……そっとしといて」

 シェーンもリックもローリに賛成のようだった。一斉に非難めいた目を向けられたダリルは、馬鹿馬鹿しいと唾を吐き捨てて作業場に戻って行った。

「さっさと片付けるぞ」

 モラレスが仲間の男性の遺体を運ぶのに手間取っている。ダリルは彼の背中を突つくと、持っていたつるはしを放り投げて遺体を掴んだ。そして、小さく礼を口にするモラレスと二人がかりで焼き場へ引きずって行こうとする。

「おい待て、お前ら何やってるんだ」

 グレンが慌てて止めに入った。

「こっちは連中用だぞ!仲間は向こうだ!」
「どっちでもいい」

 冷たく吐き捨てたダリルに、グレンは唇を震わせて繰り返した。「仲間は向こうだ」

「燃やさない!」

 グレンがそんな風に声を荒げているのを、り以子は初めて見た。遺品を拾い集めて、誰のものか選別してもらおうと思って来たところだった。ごうごうと風の抜ける音がする。

「埋めるんだ──いいな?向こうに運べ」

 ダリルはじっとグレンを見つめていたが、やがてばつが悪そうに目を逸らし、言われた通りの方へ遺体を引きずって行った。去り際に、たった一瞬だけり以子と目が合ったような気がした。

「自業自得だ」
「黙ってろ!」

 モラレスと言い争う声が刺々しく響く。

「兄貴を見殺しにした。お前らのせいだ!」

 そういえば、メルルは帰って来なかった。ダリルの荒れた様子を見るに──そういうことだったのかもしれない。

 全部が嫌になる。
 昨日は生き残るのに必死だったけれど、こうして生きて後始末をしていると、それが一体何だったのかという気持ちになってくる。手の平いっぱいに乗った煤けたアクセサリー類を見下ろして、り以子は小さく溜め息を漏らした。

 その時、

「ウォーカーに噛まれた!ジムが噛まれたわ!」

 矢庭に飛び込んできたジャッキーの言葉が、一瞬遅れてり以子の頭を引っぱたいた。

「え……?」

 振り返ると、ジムが大人たちに囲まれていた。誰もが警戒と恐怖の色を浮かべている。「平気だ」とうわ言のように繰り返すジムの足は頼りない。

「見せろ」つるはしを担いだダリルがやって来て、乱暴に言いつけた。「早く!」

 ジムがシャベルを拾い上げた。シェーンたちが集まって来て、口々に落ち着けと叫ぶ。その後ろからTドッグが飛びつき、ダリルがシャツをめくった。そこにあったのは、血のにじむ歯型の傷。り以子の手からぼろぼろと遺品が零れ落ちた。

「俺は大丈夫だ……大丈夫、大丈夫だ……」

***

 ジムがキャンピングカーの後ろに力なく座り込んでいる。り以子はその傍らに所在なさげに立ち、茫然と大人たちの輪を眺めた。

 ヒソヒソと声を落として言い争う内容は、英語が分からなくたって理解できた。ダリルが頭をブチ抜けと言って、リックたちが反対しているのだろう。り以子にだって分かるのだから、ジムの心境は大丈夫だろうか。おずおずと様子を窺うと、ジムはずっとり以子を見上げていたようで、ばっちりと目が合った。

「ジムさん……」
「すまない。また君に怖い思いをさせてる」

 り以子はふるふると首を振って俯いた。

 どうして、ジムが。り以子に優しくしてくれた。懐中電灯を貸してくれた。英語を教えてくれて、皆の話の分からないことを簡単に説明してくれた。この人が悪いことをしたんだろうか?どうしてこんな目に遭わされなくちゃならないんだろう。ただひたむきに生きていただけじゃないか……。

 ぼんやりと顔を上げると、ジムがり以子越しに怯えた目で何かを見ていた。何だろう?──不思議に思って振り向くと、一番手前にいて、さっきまでこちらに背中を向けていたダリルが、射抜くような目でジムを見据えていた。まるで、化け物を見る目だ。ぞくりと背筋が粟立った。

「薬でも何でも探しに行け」
 ダリルは一度リックへ顔を戻し、それから、つるはしを振りかざして走ってきた。
「俺が片をつけて──」

「ダメ!」

 り以子は振り上げられたダリルの腕に夢中で飛びついた。ぎくりと男の筋肉が強張って、つるはしが空中で止まった。止めたのはり以子だけじゃない。リックの銃口もダリルの頭部を狙っていた。

「生者は殺さない」

 ダリルはゆっくりとリックに目を向け、腕にしがみつくり以子を乱暴に振りほどいた。

「──なら、なぜ俺に銃を向ける」
「今回ばかりはリックに賛成だ。そのつるはしを置け」

 ジムとダリルの間に回り込んでいたシェーンが、宥めるように言った。「ほら」と急かされると、ダリルは憮然とした顔で、立ちすくむり以子を睨みつけた。そして、わざとり以子の前スレスレのところにつるはしを突き立て、シェーンの非難を背中に聞き流しながら荒々しく歩き去って行った。

 汗ばんだダリルの肌の感触が、まだり以子の手に焼き付いている。がっしりとした腕だった。り以子が全体重をかけてぶら下がったって、ものともしないような。振り払われた時、あまりにも強い力で、危うくキャンピングカーに激突するところだった。こんなにも違うものなのか。

「大丈夫か?」

 シェーンに聞かれ、こくこくと頷いて見せる。彼はカランと倒れたつるはしを拾い上げ、一旦その場を去ろうとしたが、ふと何か思い出したように立ち止まって、再びり以子の顔を覗き込んだ。

「り以子、あー……」

 何やら言いにくそうに頭を掻いている。その後ろを、リックがジムを連れて通り過ぎて行った。

「昨日はすまない。俺はてっきり、君はもう手遅れになったと……」

 口ごもるシェーンの言葉は、不明瞭でよく聞き取れない。何かを謝りたいようだけれど、彼に謝られるようなことをされた覚えがないので、首を傾げるしかなかった。

「君を見捨てるようなことをしてしまった。ローリとカールを守るので手一杯だったんだ。けど、君が無事だと分かって本当にホッとした。よく生きていてくれた」

 『無事』という言葉を拾って、昨日の騒動のことを言っているのだと何となく察しをつけた。

「私は何でもありません」

 シェーンが怪訝そうに眉を動かした。命もあるし、怪我もないということを伝えたかったのだが、的外れだっただろうか。

 微妙な沈黙があって、シェーンは何やら納得した様子だった。右、左、と素早く周囲に目を走らせて、その大きな手の平で口元を拭う。そして、じっとり以子を見つめると、小さな声でボソッと何か呟いた。

「え?」
「いや、何でもない」

 シェーンはヒラヒラと手を振りながら、り以子の横を抜けて行った。

 何だろう。
 何だかとても──嫌なことを言われた気がした。