Wildfire

救いを求めて

 ジムを置いて出発してからは、比較的スムーズに進んだ。自分たち以外に誰もいないハイウェイは渋滞知らずなのだから当然だ。先頭のキャンピングカーもなんとか保ってくれている。唯一の懸念はガソリンだった。道中なかなかガソリンスタンドを見つけられず、見つけても四台分の車を満タンに出来る量は確保できなかった。運転中、燃料計を確認して不機嫌そうにぼやくダリルにり以子は不安を煽られた。

 走行時間が長くになるにつれて脚が窮屈になってきたので、靴を脱いで座席の上で体育座りになった。もぞもぞ動くり以子にダリルは鬱陶しそうにブツブツ言ったり舌打ちを飛ばしたりしていたが、チラリとこっちに目を寄越してなぜかぎょっとしていた。ハンドルに片手を置いたまま、反対の手で「下ろせ」というようなジェスチャーをされた。この体勢が楽なので無視していたら、何とかかんとかと罵られた。

 相変わらず、ダリルの言っていることは八割も理解できない。ダリルは概ね無言だったが、時折フロントガラスに向かって何か吐き捨てていた。前を行くTドッグの車に悪態をついたんだろうとり以子はほとんど聞き流すことにしていた。

「おい」

 と言って、ダリルがこっちをチラッと睨んだら、り以子に用がある時だ。大抵は「窓を閉めろ」か「足を下ろせ」といったようなことだったが、何度目かでガムを出してきた。

「噛んでろ」

 短く告げられた言葉が分からなくて、「包み紙を剥け」ということかと当たりをつけて中身を差し出したら、怪訝な顔をされてしまった。

「噛めって言ったろ」

 ひょっとして、くれるってことだろうか?おっかなびっくり自分の口に運ぶと、ダリルはそれを見届けて、また前に集中し出した。その口も縦にもぐもぐ動いているから、同じのを噛んでいるんだろう。刺激の強い味だった。り以子なら絶対に買わない類いだ。だけど、なんとか空腹を誤魔化せそうだと思うとありがたかった。今日はお昼ご飯がなかった。

 腕時計の針が日没近い時間を示す頃、前方に大きな施設が見えてきた。広い芝生の敷地内に、現代的なガラス張りの大きな建物がどっしりと構えている。ここがCDCというところだろうか?キャンピングカーのドアが開いて、ショットガンを抱えたグレンが飛び降りたのを見て、ダリルとり以子も車を降りた。腰に打刀を差し直していると、ダリルが片手にボウガンを、もう片方の手にショットガンを持ってり以子の後ろにピッタリついた。

 蠅の音がそこら中に鳴り渡っている。酷い悪臭だ。有害そうな刺激臭に皆むせ返り、腕で鼻と口を覆った。一面、死体だらけだった。腐敗し、干からび、朽ち果てたそれらに虫がたかっている。

「行くぞ。音を立てるな」

 武装したリックの先導で皆が続く。小走りで進む女性陣の後ろをり以子がきょろきょろしながら歩いていると、ダリルがショットガンを持った左腕で急かすように背中を小突いてきた。

 進むにつれてどんどん空気が悪くなり、胃がむかむかした。り以子の左手は鞘を掴んだまま、右手でハンドタオルを鼻と口に押しつけた。すぐそこに頭が破裂した死体がごろごろ転がっていて、体がすくみそうになる。口々に「静かにしろ」とか「急げ」とか言い合いながら、正面玄関へ急いだ。

 皆との距離が開きかけると、乱暴に背中を押される。いちいち振り返って確認している余裕はなかったが、ダリルはずっとり以子の真後ろについているらしかった。

 皆で固まってようやく正面玄関にたどり着いた。入り口にはシャッターが下りていた。すぐにリックとシェーンが飛びついて、ノックしたり強引にこじ開けようとした。夕日が地平線の向こうに落ち、辺りは無情とも言える速さで暗くなり始めている。

「誰もいない」

 Tドッグが青ざめた表情で言った。強くシャッターを叩いても応答がないのだから、そう考えるのが妥当だ。しかし、リックは認めない。

「じゃあなぜシャッターが下りている?」

「ウォーカーだ!」

 ダリルが鋭く叫び、ぼけっと建物を見上げていたり以子を、体をぶつけるようにしてどかして自分の背中に押し込んだ。片手にショットガンを握ったままクロスボウを構え、フラフラと近づいてくる軍人のウォーカーを一撃で仕留める。子供たちが恐怖に泣き喚き、母親たちが宥めているのが聞こえた。Tドッグとグレンが銃を持って前線となった最後尾に飛び出すと、ダリルが入れ違いに列を突っ切ってリックに食ってかかった。

「ここは墓場だ!」荒々しい声が敷地中に響き渡る。「最悪だ!」
「うるさい!」と、シェーンがダリルを突き飛ばした。「聞こえたか?黙れ!黙れ!」

 シェーンはダリルの鼻先に指を突きつけて黙らせると、リックに引揚げようと詰め寄った。

「リック、諦めよう。いいか?退散しよう」
「ここにはいられないわ。すぐに日が暮れる」

 ローリの言う通り、夜はすぐそこまで迫ってきている。それでもリックは望みを捨てきれず建物を見上げた。

「フォートベニングだ。リック!」シェーンが提言した。
「どうやって?」それにアンドレアが噛みついた。「食べ物もない燃料もない!100マイルも先よ」
「125マイルだ、地図で確認した」グレンが訂正した。
「フォートベニングは忘れて!」ローリが声を荒げた。「今どう乗り切るかよ!」

 ダリルが飛び出し、ショットガンをガチャつかせて構えた。それにぎくっとして、り以子も腰のものに手を添えた。暗闇がどんどん世界を覆っていく。ここでウォーカーに囲まれたらおしまいだ──さらに子供たちのすすり泣く声、大人たちの言い争う声がどんどん激しくなって、皆から冷静さを奪っていく。

「考えさせてくれ!」
「──行くぞ!」

 しびれを切らしたシェーンが皆を連れて撤退し始めた。それでもリックはシャッターにかじりついている。

「おい女子高生、何してる!」

 ダリルに腕を掴まれたが、り以子は振り払った。驚いたような、非難めいた目を向けられるのを無視して、リックに駆け寄る。その時、リックが監視カメラを見て「カメラが動いた!」と声を張り上げた。

「誰かが私たちを見ていますか?」
「動いた……間違いない……」

 デールは「錯覚だ!」と言い聞かせたが、リックは取り憑かれたようにカメラを覗き込んでいる。

「リック!自動で動くようになってるんだ。それか緩んだだけだ!行くぞ!」

 シェーンが無理矢理リックを引きずって行こうとするが、リックは聞かなかった。シャッターを殴り、カメラに向かって叫んだ。

「そこにいるのは分かってる!聞こえてるんだろう!頼む、助けてくれ。女や子供もいる──食べ物もない、ガソリンもほとんど残ってない!他に行くところがないんだ!」
「リック、誰もいないわ!」

 ローリが飛びついてリックを制した。リックはそれを振り切ってシャッターに飛びついた。

「気をつけろ!」

 シェーンが前線で銃を構えるダリル、Tドッグ、デールに強く呼びかけた。四方八方からわらわらとウォーカーが集まって来ていた。

「入れてくれ!俺たちを殺すのか!?──頼む!」
「来い、相棒!行くぞ!」

 シェーンはとうとう強引にリックをシャッターから引き剥がしにかかった。リックは叫び続けている。辺りはほとんど真っ暗だった。今に数え切れないほどのウォーカーが近づいて来る。それを抜けて全員無事で車に戻るなんて無茶だ。り以子は藁にもすがる思いで、シャッターに鞘を叩きつけた。

「開け!開けよ!開け──時間がない!」
「り以子、行くぞ!行くんだ!」

 グレンがり以子のお腹に手を回し、半ば抱き上げるようにしてシャッターから引き離した。嫌だ!そっちには行きたくない!──もがいて抵抗するが、足が地面から浮いてどうしようもなくなった。

「殺さないでくれ!殺すな!」

 リックがシェーンに投げ飛ばされた。

「助けてくれ……」

 甲高い音を上げて、四角い光が現れた。誰もが動きを止め、人工的に白く照りつける救いの手を唖然と見つめた。ダリルが呆けたようにショットガンを下ろした。