What Lies Ahead

長い旅路の始まり

 Tドッグをキャンピングカーに運び込んだあと、ダリル、シェーン、グレンがソフィアを追っているリックの援護をすると森に入って行った。り以子もソフィアが心配だったが、ひとまずはハイウェイに残り、Tドッグの傷の処置をして待つことになった。

 り以子が思っていたより、Tドッグの傷は酷かった。ウォーカーに気を取られていたせいで、かなり深く抉ってしまったようだ。ウォーカーの行進に遭遇する前にシェーンが見つけたという水で傷口を洗い、清潔そうな新品のタオルを巻いて、テープできつく締め上げた。包帯もガーゼもなかったので、これが精一杯だった。

「……ダリルが」

 処置を終えて、ようやく気持ちの落ち着いたTドッグが、ぽつりと独り言のように呟いた。

「あいつが来なかったら死んでた」
「ダリルさんは流血するあなたを見て、すぐに助けに行きました」
「それが分からない。どうして俺を助けたんだ?」
「私たちはあなたを追うウォーカーを見ました。それが理由と私は思います」

 り以子がたどたどしく説明すると、Tドッグはますます怪訝な顔をした。

「君を一人残して?──君が俺を助けるよう奴に頼んだ?」
「えっと……いいえ、私はしていません。私は状況を理解していませんでした」

 Tドッグはとうとう黙り込んだ。

 しばらくして、シェーンとグレンが二人だけでハイウェイに戻って来た。もしや何かよからぬことがあったのではとヒヤッとしたが、ダリルが森にソフィアの足跡を見つけたので、リックと二人で追跡しているらしい。足跡を見つけたとは、すごい。土がぬかるんでいて分かりやすかったのだろうかと森を見てみるも、り以子から見える範囲は落ち葉の絨毯が出来ていて、見分けなんて到底つかなそうに思えた。

 シェーンの指示で、残った人たちで再出発の道を確保することになった。シェーンが車をぶつけて邪魔な廃車を中央分離帯に避けていると、心配そうにじっと森を見つめていたキャロルが焦燥を顔ににじませた。

「なぜ全員で捜さないの?なぜ私たちは車を動かしているの?」
「車が直ったらUターンできるようにだ」デールが修理の手を休めて答えた。「ガソリンも手に入ったし、グレンが地図で見つけた迂回路まで引き返す」
「ここを進むより簡単だ」と、シェーンが口を挟んだ。
「娘が戻るまで動かない」
「リックとダリルがすぐに見つける」

 シェーンがキャロルの顔を覗き込んで言い聞かせた。ローリもキャロルの腕をさすって気持ちを落ち着かせようとしている。

「だといいけど……」

 アンドレアが飲料水のペットボトルをグレンに投げて寄越しながら、表情を曇らせた。

「さっきの群れのことが頭から離れない」
「そうだ、あれは何だったんだ?」グレンも不安げだ。「なぜ大勢で行進する?」
「『群れ』か──その通りだ。夜のキャンプで襲われた時も群れだった」

 シェーンは気が滅入ったように溜め息をついたが、すぐに気持ちを切り替えて皆に呼びかけた。

「オーケー。やることはたくさんある。続けよう。さあ……」

 引き続き廃車を物色していると、り以子の耳に微かな悲鳴が飛び込んできた。反射的に鞘を掴んで声のした方に顔をやると、カールが何かを抱えて地面に尻餅をついていた。彼の目はバンの運転席からシートベルトでぶら下がっている死体を見ている。

「カール!」

 り以子は慌てて駆け寄り、死体に向かって刀を抜きつけたが、死体はすでに干からびていて、何の反応も示さなかった。

「大丈夫だよ」

 り以子の後ろで、カールが何事もなく立ち上がった。

「引っ張ったら動いて、びっくりしたんだ。だけど──ねえ、それより見てよ!」
「それは何ですか?」

 カールは興奮気味に抱えていたものを広げて見せた。武器だ。斧や鉈、ククリ刀まである。きっと運転席で干からびている彼が、生前、逃げる際に護身用に持ち出したのだろう。

「すっごい!シェーンに見せて来よう!」

 カールは武器入れを丸めて持ち上げると、り以子の手を取ってぐいぐい引いた。仕方なく刀を納めてついて行く。

「シェーン!」
「カール?どうしたの?」

 カールの声を聞きつけたローリが、血相を変えて駆けて来た。

「ママ!すごいもの見つけた!シェーン、見て」

 シェーンは韓国社製の車のボンネットを開けて中を弄っていて、カールの姿を目にしてもほとんど興味を示さなかった。カールは気にせず彼の足元に武器入れを置き、得意げに開いて見せた。

「武器だよ」
「デールに渡せ」シェーンが素っ気なく言った。
「見てよ──わーお、斧だ!」

 ローリは斧を置くよう言いつけたが、カールははしゃいで無視をした。ローリの厳しい目がジロリとり以子を捉えた。監督責任を問う目だ。り以子は頬を引きつらせて一歩下がった。

「……聞こえなかった?」
「持っててもいい?」
「何を言うの」

 ローリに斧を取り上げられ、カールは不満そうに口を尖らせた。

「り以子だって剣を二本も持ってるよ!」
「彼女は高校生よ。カール、でもあなたは子供でしょう」
「そんなに変わらないよ!」

 あまり自分のことを引き合いに出さないでほしいとり以子は心から願った。現に、ローリから向けられる視線は鋭くて痛い。

「……私は使い方を習ったので武器を持っています」

 り以子が何とか弁明すると、ローリはよく言ったと頷き、カールは拗ねた。

「シェーン。シェーン、ママたちを説得して」
「全部デールに渡して来い。さあ!」

 撃沈したカールがとぼとぼとキャンピングカーに向かうのを見送って、り以子もローリに頭を下げて撤収した。彼女が物言いたげにシェーンを見ていたのに気づいたからだ。大人二人、それも男女のギクシャクには巻き込まれたくなかった。

 あの二人は一体どうなっているんだろう?ローリはリックの妻だし、シェーンはリックの親友だ。だけど、リックの夫婦仲にひずみを見たことはないし、シェーンとの仲も健在のように思える。やっぱり、大人のことはよく分からない。

 確保した物資を車の近くに集め、そろそろ一区切りというところで、り以子はキャロルの様子を盗み見た。彼女はまだ道路の端に佇んで、森を見つめている。皆が作業をしている間もずっとこんな調子だった。いつの間にか空はオレンジに色づき、夕方の蝉が鳴き出している。ソフィアはまだ帰って来ない。

 アンドレアはストレスの溜まった表情でデールに詰め寄っていた。彼女の銃がどうこうで揉めているようだ。徐々に剣呑な雰囲気になって来ると、見かねたシェーンが仲裁に入った。

「銃を持つ者は少ない方がいい」
「あなたも手放す?」
「いや。俺は訓練を受けてる。君も訓練しないと。それまでは預けておくんだ」

 話にならないと首を振ってアンドレアが立ち去った時、グレンが森の方を見て声を上げた。

「ああ、帰ってきたぞ」

 見ると、リックとダリルが草木を蹴散らして戻って来るところだった。ソフィアの姿はない。二人とも汗と泥で相当汚れており、険しい道をずっと探し歩いていたのだと分かった。リックのシャツについていた血の染みが滲んで大きくなっていた。

「……いなかったの?」

 キャロルがガードレールを跨ぐリックに訊ねた。今にも泣き出してしまいそうな、弱々しい声だ。

「足跡が途絶えた。夜明けに捜す」
「森で一晩中一人にすると言うの?」
「暗闇の中捜せば俺たちが迷っちまう」

 仕方ないと首を振るダリルも、どこか申し訳なさそうな顔をしている。キャロルは食い下がった。

「だけど、まだ十二歳なのよ。自力じゃ出て来られないわ──何も見つからなかったの?」
「辛いだろうけど、落ち着いてくれ」
「途中までは辿れた」
「ダリルの得意分野だ。彼が捜索を指揮してくれる」

 リックとダリルが口々に宥めていると、キャロルがダリルのズボンに飛び散っている赤い染みに気がついた。

「それは血?」

 り以子はリックとダリルが一瞬目を見交わしあったのを見た。リックが「ウォーカーのだ」と告げると、キャロルはショックでふらついた。

「ソフィアは襲われていない」

 リックが確信めいた口調で言い切ったので、アンドレアが「なぜ分かるの?」と問うた。気休めで言っているんじゃないかと疑っているようだった。リックは答えを言うのを渋り、ダリルに視線でバトンを託した。

「……土手っ腹を裂いて確かめた」

 キャロルは今度こそへなへなと崩れ落ち、ガードレールに座り込んだ。夫を失ってまだ何日も経っていないというのに、続けて娘の消息も分からなくなった。その不安は計り知れない。り以子はどうにか希望を持ってほしかったが、かける言葉が見つからなかった。やがてキャロルの娘を思う心痛は、ふつふつと沸き上がって怒りとなり、彼女の口から溢れ出した。

「──なぜ娘を置き去りにしたの」

 リックが傷ついたように目を揺らめかせた。

「どうして一人にしたの!」
「ウォーカーが二人いた。引きつけるしかなかったんだ」
「唯一の選択肢だ」

 シェーンもリックに味方したが、キャロルは認めなかった。

「一人で来た道を帰らせるなんて!彼女はまだ子供なのよ。子供なの……」
「他に助かる方法がなかったんだ」

 リックはキャロルの足元に跪いて弁解した。キャロルの瞳からはらはらと流れ出る涙が、薄ぼんやりとした夕日を受けて悲しくきらめいている。

「娘は一人ぼっちで森に……」

 ローリとアンドレアがキャロルの背中をさすって慰めた。リックは申し訳なさに押し潰されたように俯き、無言で歩き去って行った。ずっと立ち尽くしたままだったダリルも、ガードレールを越えてどこかへ行ってしまう。り以子はどちらを追いかけようか迷ってキョロキョロしたが、廃車の合間を通って遠ざかる背中はどちらもとても声をかけられるものではなかった。