What Lies Ahead

長い旅路の始まり

 鐘の音は途中で止まってしまったが、走り続けるうちに大きく開けたところに出た。教会だ。短く刈り揃えられた芝生の上に、墓石がずらりと立ち並んでいる。その向こうにひっそりと佇む小さな白い建物は、しかし、鐘がついていない。り以子は音の出所はここじゃないのかもしれないと思ったが、リックは礼拝堂に向かって一目散に走り出していた。

 建物を回り込むと、赤い観音開きのドアがあった。拳銃を構えたリックと、クロスボウを抱えたダリルが両脇に立ち、リックの合図で押し開けた。

 多分プロテスタントの系統だろう。こじんまりとした、質素な内装の礼拝堂だった。正面にキリストの打ちつけられた十字架が掲げられている。こんな世界になっても信仰深い四人の信徒が、入り口に現れた気配に反応して振り返った。

 物欲しそうな顔をしてウォーカーが立ち上がる。ローリがリックにククリ刀を手渡した。飛道具を使うより、刀剣類の方がいいだろう。クロスボウで狙いをつけていたダリルも、それを後ろにいたグレンに押し付け、代わりに彼の持っていた鉈を受け取った。

 リックが左側にいたウォーカーの額を真正面から叩き割った。シェーンは掴みかかってきたウォーカーを押し返しながら眼窩に剣を突き刺し、ダリルは気配を忍ばせて老婆のウォーカーの背後に回り込み、振り返った瞬間に顔面を叩き切った。最後のウォーカーはり以子が胸に抜きつけ、のけ反った隙に脳天から斬り下げた。

 久々の手応えに恐怖したのか昂ったのか、柄を握る両手が小刻みに震えていた。ブンと音を立てて血を振り飛ばし、刀身を鞘に収める。一連の動きをじっと見られていたような気がして顔を上げると、ダリルがパッと目を逸らすところだった。何だったのだろう。

 静まり返った礼拝堂を見渡す。自分たちとウォーカーの死体以外には何も見当たらない。汗だくのリックが「ソフィア!」と声を荒げながら裏口の扉を開け放っている。

「よう、J.C.」ダリルが挑発的にキリスト像を見上げた。「望みを叶えろよ」

「言ったろ。この教会じゃない。鐘がないだろ、リック」

 シェーンがそう言った時、それを覆すように再び鐘の音が鳴り響いた。明らかにこの建物から聞こえた。ダリルが真っ先に外へ飛び出して行き、皆もそれに続いた。

 残念ながら、鐘の音は録音だった。軒下のスピーカーから大音量で流れている。スピーカーから下にまっすぐ線が伸び、ちゃちなタイマー式のスイッチがネジで壁に留めてあった。グレンが電源装置を引きちぎると、鐘の音は止まった。

「……タイマーだ。タイマーで鳴るらしい」

 ダリルががっかりした顔で告げた。皆が肩を落とし、キャロルは放心した様子で礼拝堂に戻って行った。

「天のお父様、お許しください……私は愚かでした」

 眼前のキリストを通し、ささやかな声で懺悔と懇願の祈りを捧げるキャロルを、り以子たちは遠巻きに見守った。

「娘を守り、生きて返してください。娘に慈悲を」

 キリスト像は物言わず、血の汗を滴らせている。こんなところに縛りつけられ、ウォーカーの白濁した目に晒され続けていた神の御子は、果たして神の御心をご存知なのだろうか。

 なんだか居心地が悪くなって、り以子はそっと礼拝堂を抜け出した。そろそろ日が傾き始め、西日が墓地をオレンジ色に染め上げている。遠くにアンドレアとシェーンの揉める声を聞いた。ここまで来ても諍いか。だんだんうんざりしてくる。このグループは問題だらけだ。どうして皆で一つになれないんだろう……。

 何分かして、皆が外に出て来ると、シェーンが「引き返そう」と言い出した。ここで、今度はリックとシェーンの押し問答になる。リックはもう少しここで待つべきだと思っているらしい。

「鐘の音を聞いて近くに来ているかもしれない」
「分からないだろ」
「俺は戻れない。俺のせいだ」

「時間を無駄にしてる」

 ダリルが苛立った様子でぶつくさ言っている。今この瞬間にもソフィア捜しを再開したいに違いない。ちらりと窺うと、リックとシェーンの間でようやっと話がまとまったところだった。シェーンが咳払いをしながら皆のところへやって来る。

「皆は先に戻ってくれ──ダリル、頼む。俺とリックでもう少しこの辺りを捜す」
「分かれる?平気か?」ダリルが訊いた。
「ああ。追いつくさ」

 するとカールが「僕も残る」と言い出した。

「彼女は友達だ」

 リックとシェーンは互いに目を見交わしたが、「ダメ」とは言わなかった。この二人が一緒にいるなら危険はないだろう。

「いつの間にか成長して……」

 ローリは愛おしそうにカールを抱きしめ、髪の毛にキスを落とした。リックがそのローリを抱き寄せて口にキスする。そして別れ際に自分の拳銃を取り出してローリに差し出した。

「これを持ってけ。使い方は覚えてるな?」
「あなたの銃がなくなる」
「スペアがある。こっちを使え」

 ダリルがズボンに差していた別の拳銃をローリに渡し、リックに頷いて見せた。アンドレアがじっとりと溜め息をつく。何か空気が悪いなとくたびれた顔でり以子が歩き出すと、リックとすれ違った。リックはやはり何も言ってこない。視線が交わることすらない。

「……喧嘩でもした?」

 ローリが不思議そうに訊ねてきたけれど、り以子は英語が分からないふりをして受け流した。

***

 ダリルとグレンが先を行き、女性陣が後に続く。り以子はアンドレアとキャロルが交互に吐き出す溜め息に挟み撃ちにされ、辟易しながら歩いた。

 ほぼ一日中、少女を捜して山道を蛇行し、全力疾走したりウォーカーを倒したりして、脚がもうパンパンだ。り以子だけでなく、女性陣はもちろん、グレンでさえくたびれ果てた顔をしている。しかし、ダリルにはちっともそんな様子がない。服も体もウォーカーと見紛うほど真っ黒に煤けているけれど、まだあと何時間かは歩き回れそうだ。なんという体力だろう。

 後ろからしげしげ眺めていると、ダリルにジロリと睨まれた。り以子はドキッとして目を逸らした。背中にも目がついているんだろうか?

 しばらく行ったところで、キャロルが倒木に座り込みストライキを起こした。

「戻ったらそれで終わり?」
「徐々に人数が減るぜ」

 ダリルが溜め息をついて木に寄りかかった。

「ナイフが武器じゃね」と、アンドレアが文句を垂れる。「あなたには銃があるけど」
「……欲しい?あげるわよ」

 ローリがアンドレアに銃を突き出した。

「その目にはうんざり。皆もね」

 アンドレアは唖然としつつも拳銃をひったくった。ローリは倒木に座り込み、ぎらぎらとした目を今度はキャロルに向けた。

「キャロル、あなたの苦しみは想像もつかないけど、いい加減リックを責めるのはよして。あの人は迷わずソフィアを追った。あなたたちならできた?他に選択肢があったなら教えて欲しいわ」

 誰も反論出来なかった。ローリは憤然とした目でダリルを見、グレン、アンドレア、り以子と順に動かすと、呆れたように首を振った。

「彼に頼っといて責めるなんて。彼が必要ないなら離れればいい」

 アンドレアが銃を返した。キャロルもどこかばつが悪そうに目を伏せた。