Save the Last One

最後の銃弾

 デールがキャンピングカーの上に立って見張りをしてくれている。日中歩き詰めだったり以子たちは彼に甘えて車内で休憩を取ることになったが、目が冴えてなかなか寝付けなかった。

 ダリルは寝室の前の床に寝袋を敷いて寝転がっている。ダイニングではアンドレアが銃を組み立てる練習に勤しんでいて、カチャカチャという音をひっきりなしに立てている。その向かいで椅子に足を上げて座り、刀を抱きかかえて壁に寄りかかっているのがり以子だ。窓から弱々しく差し込む月明かりを頼りに、生徒手帳の中の思い出を何度も見返していた。

 微かにすすり泣く声が聞こえ、ダリルが顔を起こして寝室を伺った。キャロルがベッドで涙を流している。ダリルは再び床に転がって、天井に向かって溜め息を上げた。それから、慣れない手つきで銃を組み立てるアンドレアと、ぼんやりした目で手帳をパラパラめくるり以子を順に見やる。やがてとうとう堪えきれなくなったのか、苛ついた様子で起き上がった。り以子の横に立てかけてあったクロスボウを背負い、アンドレアに「挿弾子を」と言いつけている。

「少女を捜しに行く」

 泣き止んできょとんとしているキャロルに一つ頷いて見せ、車を降りて行く。り以子は慌てて靴を履き、懐中電灯をブラブラさせているダリルの後を追いかけた。

「待ってください」
「私も行くわ」

 キャンピングカーを飛び降りたり以子の後ろから、アンドレアもついて来た。

「森に行ってくる。あの子がそこにいるなら、光が目印になる」
「今から?」

 デールが心配そうに顔をしかめると、アンドレアがうざったそうに名前を呼んで黙らせた。彼女があまりに露骨に辛辣な態度をとるので、り以子は思わず口元がヒーッとなった。ダリルもちょっと気まずそうな表情だったが、何も言わずに歩き出した。

 深夜の森は昼間と全く違う顔を見せている。鳥は寝静まり、代わりに虫の長々とした歌声が響いている。月明かりを木々が遮るので、各々懐中電灯でしっかり照らさないと木の根に躓いてしまいそうだ。ダリルとアンドレアが並んで歩く後ろを、り以子は転ばないように気をつけて追いかけた。

「あなた、ほんとにソフィアが見つかると思うの?」

 出し抜けにアンドレアが訊いた。ダリルは懐中電灯で無遠慮に彼女の横顔を照らすと、呆れてふんと鼻を鳴らした。

「ったく、どいつもこいつも同じ顔して。一体どうしたってんだよ。まだ捜し始めたばかりだろ」
「見つかると?」
「チベットの山奥じゃない、ジョージアだ。農家かどこかに隠れてるのかも。森で迷ったって死にはしない。よくあることさ」
「まだ十二歳よ」
「はっ、俺はもっと若かった」

 ダリルが何てことはないという口調で言う。

「九日間森の中だ。木の実を食べ、葉っぱでケツを拭いた」
「救助は?」
「親父は女と酒浸り。メルルは少年院だ。俺がいなくなったことすら気付いちゃいない。自力で帰り、まっすぐキッチンに行ってサンドイッチを作って食った。大したことなかった」

 だらだら喋るダリルの言葉は、まだ大部分聞き取れないが、何となく粗筋は理解出来て物悲しくなった。彼が身も心も異常にタフなのは、そんな経験があったからなのだろうか。

「……ケツはかゆかったけど」

 アンドレアが吹き出した。ダリルに睨まれて慌てて謝っているけれど、笑いを隠し切れていない。とうとうダリルも仕方なさそうに笑った。

「唯一の違いは、ソフィアには捜してくれる者がいる。アドバンテージってやつさ」

 さっきよりも緊張が弛み、アンドレアの表情も幾分か軽くなったようだ。後ろから顔は見えないが、足取りで感じ取れた。

 しばらく歩いていると、り以子は自分の持っている懐中電灯の明かりが徐々に弱まっていることに気がついた。電池が切れかけているのだ。一旦立ち止まって、スイッチを入れ直したり、手でコンコン叩いたりしてみたけれど、そんなことで復活するわけもなく、ついにフッと落ちてしまった。

「おい、なんだってんだ」

 ダリルが遅れを取っていたり以子に気づいて、大股で戻って来た。ちょっと先でアンドレアが立ち止まってこちらの様子を窺っている。

「明かり、死んだ。です」
「……替えは」
「リュックの中。リュックは車の中です」

 ダリルが長ーい溜め息をついた。り以子はヒッと息を呑んで肩を縮めた。

「ちゃんと確認しろよ」
「とってもごめんなさい……」

 ダリルは黙って歩き出した。り以子が途方に暮れて立ち尽くしたままでいると、ちょっと振り返って顎をしゃくった。ダリルのすぐ横を歩けと言うことらしい。り以子は駆け足で追いついて、言われた通りに従った。

 明かりを持ったアンドレアとダリルの間にり以子が入り、三人横並びで森を進む。ずっと静かだった。落ち葉を踏みしめる音だけが聞こえている。自分たち以外に何もいないのだ。しかし、突然右手から何かが軋む音が飛び込んできて、ダリルが素早く身構えた。

 動物の音ではない。クロスボウを差し向けるダリルを先頭に、音のした方へ向かった。

 風に葉を揺らす木々の合間に、立派なテントが張ってあった。誰かが人里を離れ、ここで生活をしていたのだろう。けれども、音の出所はテントではなかった。ダリルはクロスボウを構える手で懐中電灯を上に向け、引き気味に顔をしかめた。

「何なんだ」

 高い木の枝に結んだロープに、ウォーカーが首でぶら下がっている。近づいてくるダリルに反応し、嗄れ声を上げながら滅茶苦茶に手を伸ばしたが、その場で体がクルクル回っただけだった。ダリルはウォーカーを相手にせず、ナイフで幹に留めてある遺書を照らし、目を細めて読み上げた。

「噛まれた。熱出た。世界はクソ。もう終わりだ」

 再びダリルがウォーカーに光を当てる。膝から下の肉が削ぎ落とされて、惨たらしい有様になっている。何が起きたのかはあまり想像したくない。

「脳足りんが。頭を撃ちゃよかったのに。自らぶら下がって恰好の餌になったか」

 り以子は顔をしかめて目を逸らした。アンドレアも呻き声を上げて膝に手をついている。

「大丈夫か?」
「吐きそう……」

 ダリルはアンドレアを一瞥して、さらりと言い放った。「吐きたきゃどうぞ」

「平気よ……話題を変えましょう。なぜ射撃を習ったの?」
「食うためさ。ウォーカーも俺も同じだ──こんな近くで食い物を見たのは初めてか。哀れな野郎だ、デカいピニャータみたいにぶら下がってよ。化け物に脚の肉を全部食われてる」

 ダリルが懐中電灯を持った手でウォーカーの脚を指差した。アンドレアが吐いた。

「話題を変えたと思ってたのに……」
「俺のケツを笑った仕返しだ」

 り以子は不意打ちに敗れたアンドレアの背中を哀れむようにさすった。なんて人だ。あんまり細かくは聞き取れなかったが、ピニャータに例えたところは分かったぞ──り以子がダリルの後頭部を睨んでいると、アンドレアが汚れた口元を拭いながら溜め息をついた。「少ししか出なかった」

「へえ。戻ろう」

 ダリルが興味なさそうに踵を返したので、アンドレアは思わずウォーカーを照らした。

「あれは……?」
「別に。害はないさ。矢を無駄に使いたくない」

 ウォーカーはまだ飢えて暴れている。

「奴が自分で選択した道だ──吊るしとけ」

 り以子は似たような状況のウォーカーに前に会ったことがある。木に括りつけられたまま切腹したというのに、潔く死に切れず、このウォーカーのように苦しみもがいていた。その時は刀欲しさにり以子がとどめを刺した。順刀で介錯し、落ちた頭部を脳天から串刺しにした。だけど、この人はこのまま放置するという。そうしたらどうなるのだろう?ウォーカーは飢えたら死ぬのだろうか。それとも死ねずに永遠に苦しみ続けるのか。

 アンドレアがゆっくりとウォーカーに近寄り、興奮して暴れる顔を見上げている。

「生き続けたくなったか?」

 ダリルが訊ねると、アンドレアは責めるような目で振り返った。ダリルは「ただの質問だ」と付け足した。

「……彼を撃つなら答えるわ。どう?」

 ダリルが軽く頷いた。

「答えは『分からない』。生き続けるべきか……生きるしかないのか」
「答えになってない」

 ダリルはつまらなそうにクロスボウを構え、ウォーカーの眉間を射抜いた。たちまちBGMのように流れていた唸り声が止んだ。

「矢の無駄だ」

 冷たく吐き捨てたダリルが歩き去って行く。アンドレアはまだウォーカーを見上げ続けていたので、り以子はちょんちょんと肩を突ついて彼女を呼んだ。アンドレアは最後にもう一度首吊り遺体を振り返ってから、り以子について歩き出した。