Save the Last One

最後の銃弾

 良くも悪くもつつがなく森を抜け、疲れた顔でハイウェイに戻ると、キャロルが逃げるようにキャンピングカーへ駆け込んで行くのが見えた。ダリルたちがきっとソフィアを連れて帰って来るのを、すがるような気持ちで待っていたのだろう。デールに成果を問う視線を向けられたダリルは、すまなそうに目を伏せて、言葉もなくキャロルの後に続いた。

「アンドレア、待て」

 デールがアンドレアを呼びつけ、彼女に拳銃を差し出した。彼女がずっと「返して」と要求していた銃だ。これで少しはわだかまりが解けるだろうかと仄かに期待しながら、り以子もキャンピングカーに入った。その時、ダイニングテーブルの傍に突っ立っていたダリルがサッと何かを隠したところが見えたが、疲れていたので気にしなかった。

 り以子は刀帯を外し、ダリルのクロスボウの横に並んで立てかけた。そういえば、そろそろ刀の手入れをしなくては。農場に着いたら質のいいティッシュを探そう。

 ふと懐中電灯の電池が切れていたことを思い出し、リュックから替えの乾電池を取り出した。当たり前だが、サイズの名称が違う。メーカー名、商品名、コピー……どれが『単三』に当たるのか分からなくて苦労したものの、古い電池と大きさを比べてそれらしいものを入れた。試しにスイッチを入れてみたら、思った以上に明るく点灯して目が眩んだ。

「どうして剣を?」

 目をしばしばさせて懐中電灯をしまっていたら、ダリルが藪から棒に話しかけてきた。

「えっ?」
「剣。なぜ習おうと?」

 ダリルは彼の得物と並んでいる二振りの日本刀を顎でしゃくり、繰り返した。

「学校のクラブで……だけど、私たちはクラブで物を斬りません。そこでは振る練習しかしたことがありませんでした」
「でもウォーカーを倒した」
「これらが始まってから、私は初めて何かを斬りました──ウォーカーを」

 どうしてそんなことを訊くんだろう?ダリルが自分に興味を持つなんて思いもしていなかったり以子は、驚きと共に戸惑った。

「……へえ」

 ダリルはそれきり何も言わず、床に敷きっぱなしだった寝袋に寝転んだ。再び訪れた沈黙で耳鳴りがする。暗がりの中、何とはなしに右手を開くと、アメリカに来るまではなかったはずの剣ダコが出来ていた。命を乗せて振るう日本刀は、形稽古で空気相手に振り回していた模擬刀なんかとは比べ物にならないほど重たい。そして、難しい。きっと銃を撃っても感じることがないだろう。

 キャロルが奥の部屋で小さくまとまっている。り以子が目をやると、彼女もぼうっとり以子を見ていたようで、ばちっと視線が重なった。

「……外は楽しかった?」

 一瞬、何を言うんだろうと瞠目した。キャロルも自分が何を言ったのか理解出来ていなかったようで、り以子の表情を見て青ざめた。

「ごめんなさい。今のは忘れて。少し疲れてるみたい……」
「ゆっくり休んでください、キャロルさん」

 り以子はおずおずと寝室に入り、ベッドで三角座りをしているキャロルの肩にそっと手を触れた。

「あなたはちょっと寝る必要があります」
「寝たくないの」

 キャロルが静かに首を振った。自棄になっている。

「でも、それはキャロルさんの健康によくありません」
「娘がいなくなって二度目の夜なのよ。針のむしろに座っているようだわ。とても眠れない」
「あなたは眠るべきです。力をつけます、明日ソフィアを見つけるために」

 り以子も意地になっていた。きっと疲れていたのだ。何を言っても首を振るばかりのキャロルが強情に思えて、無理にでもベッドに寝かせようと手に力を込めてしまった。キャロルはり以子の手をパッと振り払い、涙の浮かんだ目を部屋の隅に投げた。

「あなたに母親の気持ちなんて分からないわ」

 り以子は払われた格好のまま動くことも出来ず、しばらく間抜けな面を晒してしまった。ちょっとしてから猛烈な後悔と自己嫌悪の波に襲われる。どうしようとダリルを振り返ると、ダリルは静かに首を振った。

「子供を産んだこともないあなたに、私の気持ちなんて……」

 キャロルの唇は言葉を紡ぎながらわなわなと震えている。り以子は薄汚れたローファーに目を落とし、小さく呟いた。

「私も、ずっと森に一人でした」

 り以子の言葉に、キャロルは訝しげに眉を寄せた。

「……私はお母さんに待っていてほしい」

 キャロルは無言のままり以子を見つめていたけれど、り以子は彼女の顔を見ようとはしなかった。

「おやすみなさい」

 探るような目つきでこちらを窺うダリルの横を通り過ぎ、り以子は脇差を手に取ってキャンピングカーを降りた。アンドレアとデールが車の上に立って見張りをしている。

 昨日寝床にした廃車に乗り込み、倒したままのシートにドサッと横たわる。低い布張りの天井を見つめながら、空っぽの溜め息をゆっくりと吐き出した。自分が嫌になる。さっきの自分はウザかった。最悪だ。夫も娘も失って憔悴している彼女にあんな態度を取るなんて。あんな風に言われるのも当然だ。

 だけど、ソフィアを助けてあげたいと思う気持ちに嘘偽りはない。彼女の心細さは身を持って知っていたから。

 知らない土地に、小さな体で一人きり。道も分からず、どうしたらいいかも分からない。友達と合流したい。両親に会って抱き合いたい。ウォーカーが怖い。知らない人も怖い。それ以外のよく分からないものも全部怖い。草の揺れる音にすら怯え、どこか安全な場所に隠れても常に不安がつきまとう。音を立てることも、声を出すことも出来ない。そのうち、自分という感覚が曖昧になってくる。生きているのか死んでいるのか、夢と現実の境目もなくなって、全ての気力が失われる──皆が皆、ダリル少年のように強くはいられないのだ。まして、こんな世界で。

 り以子は、さっき、お母さんにあんな風にいてほしくないと思ってしまった。寝室に篭り、枕を濡らして衰弱しているのではなくて、いつもの家で、いつものご飯を作って、いつものように帰りを待っていてほしい。ドアを開けて帰ってきたり以子の名前を呼んで、力強く抱きしめてほしい……。

 それをキャロルに押し付けてしまった。彼女は自分の母親でも何でもないのに。

「最悪……」

 気を紛らわせようと生徒手帳を開こうとして、ダイニングテーブルに置きっぱなしにしていたことを思い出した。だけど今更取りにも行けない。り以子は初めて手持ち無沙汰のまま夜を明かした。