Cherokee Rose

白いバラ

 翌朝、日の出と共に移動になった。廃車のボンネットに数日分のジュースとお菓子、非常食を置き、フロントガラスにメッセージを残した。

ソフィア、ここにいて。迎えに来る。

 全員分の荷物を乗せて移動するには車が一台足りなかったので、予めシェーンが修理していたヒュンダイの車をアンドレアが運転して行くことにした。みんな運転が出来て羨ましい。ハンドルを握るアンドレアの横顔を眺めて、り以子は助手席で小さく溜め息をついた。車なら長い距離をあっという間に移動出来る。誰かグループの大人に教えてもらったら、り以子でも運転出来るようになるだろうか。こんなご時世なのだから、免許なしで運転したって誰も捕まえに来ないだろう。

 そんなことを巡らせていると、パッとフロントガラスが明るくなった。木々の合間を抜け、だだっ広い丘の上に辿り着いたのだ。微かに馬糞の臭いがする。きっとここが『グリーン農場』だ。

 駐車場らしきスペースにダリルがバイクを停め、アンドレアの車とデールのキャンピングカーもその近くに停車した。正面に白い大きな家が建っている。バイクのエンジン音を聞きつけた人々がわらわらと玄関から現れた。Tドッグは適切な処置を施してもらったようで、腕に真っ白いガーゼとテープを貼り、すっきりした顔色だった。対してリックは酷く青白い顔をしている。心配そうに見つめるり以子と目が合うと、はっとしたように視線を逸らした。

「カールは?」

 デールが恐る恐る訊ねると、ローリが嬉し涙を溜めて「峠を越えたわ」と答えた。

「ハーシェルと彼の家族のおかげで」
「シェーンも。命の恩人だ」

 シェーンはなぜか最後に会った時と髪型が違っていた。頭を丸め、ぶかぶかのシャツにデニム生地のオーバーオールを着ている。どことなく決まり悪そうな顔だ。

 デールとリック、ローリとキャロルが抱き合って喜びを分かち合った。アンドレアもTドッグの無事を確認して、ホッとしたように彼とハグをしている。ついでにグレンがり以子に向かってきて、「嫌」とも言えず、ぎこちなく迎え入れた。欧米のハグ文化には永久に慣れそうもないと思った。

「何があった?」
「事故だよ。狩りの弾が当たってしまった」

 この農場にいたオーティスという男性が撃った弾が、鹿を貫通してカールの小さな体に当たったのだという。鹿を間に挟んだお陰で弾の速度は落ちていたが、小さく砕け散って、破片を取り除くのにここにはない医療道具が必要になった。シェーンとオーティスが武装して取りに行き、オーティスが帰らぬ人となった。シェーンが居た堪れない表情をしていたのは、その罪悪感からなのだろう。

 皆で石を積み上げ、オーティスの死を悼んだ。ハーシェルが祈りを捧げる声を聞きながら、り以子はぼうっと積み石を眺めた。カールの命と引き換えに、一つの命が失われた。カールが助かったことには心からホッとしたが、それを聞いてしまっては、とても手放しで喜べない。オーティスの妻のパトリシアは、抜け殻のような目をしていた。森で会った女性──マギーや、彼女の妹ベス、その恋人のジミーも、沈んだ顔色だ。

「シェーン、オーティスに別れの言葉を」

 祈りを終えたハーシェルが、シェーンに呼びかけた。シェーンは「苦手なんだ」と渋ったが、パトリシアは頬を濡らして懇願した。

「彼の最期の時を私たちにも教えて。お願いよ。聞かなきゃ……彼の死の意味を知りたい」

 パトリシアのまっすぐとした眼差しに、シェーンは負けた。怯えたように目を泳がせながら、ぽつぽつと語り出した。

「……物資を調達したが、弾切れして拳銃しか使えず、俺は足をくじいて、足首が腫れ上がった……『あの子を守る』……彼はそう言った。俺に荷物を渡すと、『走れ』と言ったんだ……『後ろは任せろ、援護する』って。振り返ると……」

 シェーンのこわばった目がパトリシアを捉えた。そして、ためらうように言葉を切った。くじいてしまったという右足を引きずりながら、石を積みに行く。

「オーティスがいなかったら、生き延びられなかった。カールもそうだ。オーティスは二人の命を救った──彼は意味のある死を遂げた」

 その言葉と共に、シェーンが手にした石が石山に重ねられた。ダリルの突き刺すように鋭い視線が、その一連の動きを見張っている。その目を見た時、り以子の胸の中に小さなもやが立ち込めた。気づいてはいけない何かがすぐそこに転がっている気がする。それが何なのかを確かめるのが怖くて、逃げるように空を見上げた。鉛の色をした重い曇天だ。ぼやけた白い太陽が、恨めしそうにこちらを見下ろしていた。

***

 カールの容体が回復し、ソフィアが無事見つかるまでの間、農場の敷地内にテントを張って寝泊まりすることになった。そろそろ車中泊にも限界が来ていたので助かった。エコノミークラス症候群にならなくて済みそうだ。

 グレンやデールたちがテントを張ってくれている間、ハーシェルも交えてソフィアの捜索について改めて相談した。マギーが郡の測量図を持って来て、得意げにボンネットの上に広げた。

「完璧だ。これで当たりをつけて捜せる」リックが感心した。「グループに分かれて捜索しよう」
「君は今日はやめておけ。三回も輸血した。五分も歩いたら倒れてしまうぞ」

 ハーシェルはリックと、それからシェーンにもドクターストップをかけた。「一ヶ月は休まないと動けなくなる」

「じゃあ、俺が小川に引き返すとしよう」

 ダリルが唇を舐めて地図に身を乗り出した。すると、シェーンが車でハイウェイまで戻り、ソフィアが帰って来ていないか見に行くと言った。車での移動ならハーシェルも文句は言わない。しかし、

「ナイフだけじゃ危ない。銃の訓練も必要だ」

 というシェーンの提案には、あまり明るい顔をしなかった。

「農場に銃を持ち込まれたくない。武装キャンプにするのはご免だ」
「奴らがうろついてるんだぞ」
「いや、俺たちは部外者だ。あなたの領地のルールを尊重したい」

 リックが拳銃を取り出して、ボンネットの上に置いた。それを見たシェーンも渋々銃を出した。

「聞きたくないが、ソフィアが噛まれてたらどうする気だ?」

 リックは隈に縁取られた生気のない目をふらふらと泳がせ、暗い声で「しかるべき処置を」とだけ答えた。

 皆の銃は全部集めてデールが保管することになった。デールなら銃の扱いに慣れている。ハーシェルは不承不承といった様子だったが、とりあえずのところはそれでいいとしてくれた。

 り以子は改めて測量図を覗き込んだ。外から見たときは果てしなく広い樹海のように感じていたが、こうして見るとそう絶望的でもない。実際に二度も中を歩いたし、勝手は分かってきている。これくらいならり以子でも迷うことなく動けるだろう。

「私も森を捜しに行っていいですか?一人で」

 り以子が訊くと、リックが顔も見ずに「ダメだ」と却下した。

「行くならダリルと一緒に行け」
「嫌だね」ダリルが眉を吊り上げた。「ガキのおりをしながらじゃ満足に動けない」
「私は一人で大丈夫です。これまでずっと一人で森の中を歩いていました」
「君が蜘蛛か何かに驚いて大声を上げてみろ。森中のウォーカーが集まって来てしまう」

 り以子はリックを睨んだ。視線は噛み合わない。この人は喧嘩を売っているんだろうか?不貞腐れた顔をするり以子を見て、ダリルがだるそうに言いつける。

「テント係だ、女子高生」
「嫌!」
「嫌じゃない」と、今度はリック。「デールを手伝え。人手がいると言っていた」

 り以子は反論しかけたが、ダリルは「話は終わりだ」と言わんばかりにボンネットを叩き、クロスボウを担いで行ってしまった。続いてシェーンも準備をしに行ってしまう。なんてことだ。誰も相手にしてくれないなんて──り以子はむっと目を細めた。