Cherokee Rose

白いバラ

 玄関ポーチに腰掛けて帽子を弄んでいたリックの視界に、敷地を大股で横切っていくダリルの姿が見えた。今からソフィア捜索に出るところなのだろう。クロスボウを背負っている。そこへリックが声をかけると、ダリルは足を止めて振り返った。

「一人で大丈夫か?」
「大丈夫さ」

 余計な世話だとばかりに、ダリルはリックの気遣いを撥ねつけた。

「日暮れ前に戻る」
「待て」

 再び歩いて行こうとするダリルを、リックが慌てて呼び止めた。

「地図があるから今は計画的に捜索できる」
「要点を言え。ただの雑談か?」ダリルがイライラと言った。
「……君一人で責任を背負う必要はない」
「あんたが俺に女子高生のおりを押しつけなきゃあな」

 リックの目が微かに揺れ動いた。

「お前らの痴話喧嘩のとばっちりを食らうのはご免だ」
「そうじゃない。今は──カールのことで頭がいっぱいなんだ。彼女は大事な友人だが、それどころじゃない時もある」
「俺に言い訳か?」

 リックがぐっと押し黙ったのを見て、ダリルは馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。

「とぼけるなよ。あんたがあの子を無視してるのは、息子が撃たれるより前の話だ」
「思違いだ」
「へえ。どうでもいい」

 ダリルは冷たく吐き捨てて、リックに背を向けて歩き出した。リックは「話を逸らすな」と元の話題に食い下がったが、ダリルは振り向きもせずに去って行った。

「考えがあるんだ」

***

 作業を終えて一息ついていると、木陰で双眼鏡を覗いているグレンが目についた。何を見ているのかと視線の先を辿った先に、馬に乗って草原を横切るマギーがいて、り以子は呆れた。

 そこへローリがやって来て、慌てるグレンに買い物リストを渡した。なんだか様子がおかしいような気がしたが、り以子のいるところからでは二人の会話は聞こえなかった。

 ちょっとして話がついたようで、ローリは足早に立ち去ろうとした。彼女がこちらを向いたので、り以子はバチッと目が合ってしまった。途端に表情を強張らせるローリを見て、物凄く逃げ出したくなったけれど、観念して彼女がこちらへ来るのを待った。

「話、聞いてた?」
「いいえ。私はここで聞こえません」

 ぶんぶん首を横に振ると、ローリはホッと安堵に胸を撫で下ろした。そんなに聞かれたくない内容だったのだろうか。

「あなたも欲しいものがあったらグレンに言って」

 去り際に肩を叩かれてそう言われた。何か欲しいもの──そうだ。刀の手入れをするのに、質のいいティッシュがいる。

 り以子は買い物リストを書くメモ紙とペンを借りに、グリーン家にお邪魔した。リビングにベスがいて、り以子が拙い英語で頼むと快く貸してくれた。

「あなたたちって、兄妹?」

 インクが詰まって上手く書けないので、紙の端にグルグルと試し書きをしていると、ベスが不意にそんな質問を投げかけてきた。

「誰?」
「アジア人の男の人よ。他にいないわ」
「違う。グレンさんは韓国人です。私は日本人です」
「ふうん、そうなの」

 ようやく満足にインクが出るようになったので、り以子はグルグルに目玉をつけて毛虫にしてから、丁寧に欲しいものを書き込んだ。

「あなたって、高校生よね?いくつ?」
「私は十五歳です」
「じゃあ私の方がお姉さんね。ちょっとだけど」

 ベスはよろしくと嬉しそうに微笑みかけた。そういえば、同じような年頃の女の子と喋るのは久しぶりだ。り以子もちょっとわくわくして、よろしくと微笑み返した。

「ねえ、それなあに?」

 ベスがメモ用紙の端に転がっている毛虫を指差して笑った。り以子はニヤッとして、頭にリボンを描き足した。

「かわいくない?」
「ちっともかわいくないわ」

 ふと、り以子はペン先が走るメモ用紙を見てちょっとしたことを思いついた。り以子の手の平より少し小さいくらいの、正方形の白い紙だ。罫線も模様もない、なんてことはない紙だったけれど、り以子になら作れるものがありそうだ。

「すみません、これ、何枚かいただいても構いませんか?」

 り以子はメモ帳を取り上げてベスに訊ねた。

「いいけど……そんなに書くものがあるの?」
「私はこれを折ります」

 ベスは最後まで怪訝そうな顔をしていた。

 メモ帳を手にグリーン家を出ると、り以子はデールに呼ばれて井戸に駆けつけた。大人たちが木の覆いを取り外し、難しい顔をして覗き込んでいる。どうやら井戸の中にウォーカーが落ちているらしいのだ。

「いつからここに?」
「かなり長いはず。放っとくと水が危ないわ」
「引き上げよう」

 石造りの円筒形の壁におぞましい嗄れ声が反響している。水でふやけてブヨブヨに膨れ上がった水死体が、突然空に現れた獲物に興奮して暴れているのが分かった。

「……簡単だ。頭を撃ち抜けばいい。ロープを」

 Tドッグがギラついた目でウォーカーを見下ろすと、マギーが慌てた。

「ちょっとちょっと、待って。ダメよ」
「なぜ?いい考えだ」グレンが不可解そうに目を細める。
「バカげた考えよ」アンドレアが言った。「頭を吹き飛ばしたら水が汚染される」

 生け捕りにしようということになって、前代未聞のウォーカー釣りが始まった。貴重なハムの塊にロープを括りつけてウォーカーの鼻先に垂らし、食いついたら首にロープをかけて引きずり上げるという作戦だ。ところが、これが上手くいかない。いくらハムを揺らしても、ウォーカーは見向きもせずにプカプカ浮いている。

「釣れないな」
「ハムは叫び声を上げないからな」

 Tドッグが抑揚のない声でぼやく。ローリは長年の謎が解けたような顔をした。「それで奴らは戸棚を荒らさないのね」

「生き餌が必要よ」

 笑みを湛えたアンドレアの言葉で、全員がグレンを見た。

 ハムに代わってグレンにロープを括りつける。間違っても井戸の中でロープがほどけないようにとシェーンがきつく結んでいると、グレンが不自然な笑顔でシェーンの頭の形を褒め出した。

「心配するな、相棒」シェーンが肩を叩いた。「無事に引き上げる」
「生きたまま助けてくれよ。絶対にだ」

 ロープを水汲み用のポンプに引っ掛けて、全員で持って支えた。マギーは最後までグレンを餌にすることに抵抗を見せていたが、グレンが自ら井戸に下りて行ったので、仕方なく力を貸してくれた。

「大丈夫?」
「ああ、平気だ──嬉しいね」

 皆でちょっとずつロープを送っていく。マギーが井戸の縁から身を乗り出して、ハラハラとグレンを見守っている。

「もう少し下げて……もう少し……」

 その時、ロープを引っ掛けていたポンプが嫌な音を上げて倒れた。皆が一瞬、訳も分からずポカンとしたが、手の中のロープが物凄い勢いで井戸の中へ吸い込まれ始めたのを見て、慌ててロープを引いた。その直後、かろうじて繋がっていた最後の留め具が弾け飛んでポンプが引っこ抜け、ロープが瞬時に短くなった。井戸の中からグレンが叫んでいる。Tドッグがロープの根元を掴み、無我夢中で手繰り寄せた。

「助けて!何してる!引き上げてくれ!」
「グレン!グレン!」

 Tドッグが井戸の縁に足をかけて踏ん張っている。皆で後ろから手を伸ばして、必死にロープを引いた。り以子の手のひらに出来たタコが焼けるような摩擦で酷く痛んだ。

 なんとか体勢を立て直し、綱引きの要領で力を合わせてロープを引き寄せていく。やがて井戸の口から手が生え、グレンが死に物狂いで這い出してきた。すぐにシェーンが腕を取って引き上げる。グレンは乾いた土埃を舞い上げて転がり、ローリに背中をさすってしきりに宥められていたが、しばらく恐怖と動揺で言葉も出なかった。

「やり直そう」

 デールががっかりした様子で言うと、グレンが息も絶え絶えに言った。「冗談じゃない」

 どういうわけか、グレンはちょっと得意げだった。手にしていたロープをデールに手渡し、颯爽と去って行く。デールはバッとロープを見た。小刻みに蠢いている。まさかと思って皆で井戸を覗き込んでみると、抜け目なくウォーカーの胴体にロープがかかっていた。