Cherokee Rose

白いバラ

 グレンのファインプレーの後は、馬を使って全員でロープを引き上げにかかった。水で膨れた水死体はかなりの重量があったが、シェーンの腕力に馬の力も加わると、そう難しい仕事ではなかった。井戸のすぐ傍で、Tドッグが頭をかち割るスタンバイをしている。

 ウォーカーが上がってくると共に、辺りに吐き気のする悪臭が漂い出した。その臭いを我慢して、シェーンの掛け声に合わせて全力でロープを引っ張った。

 ところが、ウォーカーの上半身が地上に乗り上げたところで、最悪の事態が起きた。井戸の縁に腰が引っかかったまま皆が力任せに引っぱったので、お腹のところでばっくりとちぎれてしまったのだ。下半身と臓物の半分、それと大量の血が井戸の中へ降り注ぎ、呆然とする皆の足元に、弱々しく動く上半身だけが残された。皮膚はふやけてパンパンで、お腹から途切れた脊柱と巨大ミミズのような腸がはみ出している。ウォーカーが獲物欲しさに蠢くたびに、赤黒い汁がじわじわ地面に広がっていく。

「撃てばよかった」

 り以子はなるべく目の前の惨状を見ないようにして嘆いた。デールが同意した。

「この井戸を塞がねば」
「ああ。それがいい」

 シェーンが坊主頭を撫でながら頷いた。

 皆の心の準備が整わないうちに、切れたTドッグがウォーカーの顔面を叩き潰し始めた。マギーがとうとう退場した。

「弾を無駄にせずに済んだ」

 Tドッグは憤然と言い捨てて、血まみれの鈍器を放り投げた。それはいいとして、けちけち分けて食べたなけなしの朝食が無駄になりそうだった。

***

 昼を過ぎた頃、シェーンがアンドレアとキャロルを連れてハイウェイに向かい、グレンとマギーが馬に乗って薬や包帯を買いに出かけた。置いてけぼりをくらったり以子は、敷地の境界線に張り巡らされた柵の内側にあぐらを掻いて座り込み、恨めしそうに森を睨みながら、ベスにもらったメモ用紙でせっせと折り鶴を作っていた。出来上がりは小さなものになってしまったけれど、純白の鶴はなかなかに綺麗だった。

 ソフィアが帰って来たら、見せてあげようと思った。千羽鶴にして吊るしてもいいかもしれない。彼女には物珍しいものだから、きっと喜ぶだろう。無事戻って来ますように──願いを込めて、小さな鶴をひたすら折り続けた。あまりにも集中していたので、死角から現れた「ねえ」と肩を叩かれた時は、思わず悲鳴を上げて鶴をぶち撒けてしまうほど驚いた。

「ごっ、ごめん。驚かすつもりはなかったんだ」

 咄嗟に鞘を掴んで暴れ出したり以子を押さえて、ジミーが焦った声で言った。

「君に訊きたいことがあって……グライムズさんに、君は英語があまり話せないって聞いたんだけど、僕の言っていること、分かる?」

 ジミーは英語が聞き取りやすいように、ゆっくりはっきり話すことを心がけてくれているらしい。り以子はジミーの口の動きを一生懸命な目で見つめながら、こっくりと頷いた。ジミーはホッとした表情で胸を撫で下ろし、「よかった」と漏らして続けた。

「君はどこから来たの?」
「日本」
「へえ!日本の人と話すのは初めてだ。嬉しいな」

 ジミーは柵に寄りかかってニコニコと人のいい笑みを浮かべているが、時折その目が周囲を窺うようにちらちらと走り回るのが分かった。訊きたいのは出身地なんかじゃないだろうなとり以子は漠然と思った。

「君はずっとあの人たちと一緒?」
「数日前から」
「戦ったことがある?」
「ちょこっとだけ」
「へえ。すごい、女の子なのに」
「でも、一度に一体だけ。男性がほとんどを倒します」

 ジミーは「それでもすごい」と賞賛の言葉を押し切った。

「君も、えーと、その……銃を使うの?」

 ははあ、これが本題だな、とり以子は察した。この青年はきっと銃に興味があるのだ。この様子だと、それをハーシェル側の人たちには知られたくないみたいだ。だから、確実に口が堅いり以子に持ちかけてきたのだろう。

「私は使いません」

 期待を裏切って悪いが、正直に答えると、ジミーはその目に明らかに落胆の色を浮かべた。

「私は日本刀を使います。私はそれらを触ったことがありません」
「へえ。そうなんだ……」

 ジミーは急激にり以子から興味を失ったようだった。サムライには用がないらしい。

「あなたは──えーと、それを使いたいのですか?」

 り以子は敢えて単語は伏せた上で、それとなく強調して訊ねた。ジミーがぎくっと肩を震わせたのが分かった。

「そうじゃないよ。そうじゃないんだ。僕は、ただ……えーっと……」
「違うんですか?」
「違うよ!」

 あまりにも焦るので、「違くない」というのが見え透いていた。り以子が疑り深く目を細めると、ジミーは諦めたように溜め息をついた。

「……そうさ。僕はそれに興味がある。だって、すっごくかっこいいじゃないか」

 り以子は「そうかな?」と首をひねった。確かにリックやシェーンの銃さばきは見事だし、大人の男の人たちがショットガンでウォーカーを倒してくれる姿は頼もしいが、り以子も撃ってみたいとまではあまり思わなかった。り以子のノリがいまいちなので、ジミーは焦れったそうに「そうさ!」と力強く頷いた。

「だけど、それを言うとハーシェルは嫌な顔をするんだ。だから絶対に、今の話は秘密。ひみつだよ、分かる?」
「どうしてダメ?」
「色々事情があるのさ」

 ジミーはその話をしたくないと言うように口早に打ち切った。

「私たちのグループの銃は、全部しまいました。農場では銃を使いませんと、ハーシェル先生に約束しましたから」

 り以子はあからさまに落胆するジミーの様子を見ているうちに、一ついいことを思いついた。

「だけど、ソフィアを捜しに森へ行く時には、私たちは銃を持って行くでしょう。もしもあなたが手伝ってくれるのなら、彼らは銃を持たせてくれるかもしれません」
「マジで?」

 目をきらきらさせるジミーに向かって、り以子はこくこくと激しく頷いた。

「手伝うよ!幼い女の子が一人で森の中を彷徨ってるって、すっごく心細いことだと思うんだ。僕も助けてやりたいって心から思ってる」

 り以子はもし英語が堪能だったら「調子いい」と口走っているところだった。とはいえ、新たに人手を確保出来たことはとてもラッキーだ。り以子の腕を叩いて「任せてくれ!」と声を弾ませ、スキップで離れて行ったジミーの背中を見送って、り以子は小さくガッツポーズを握った。