Secrets

明かされる秘密

 測量図によれば、小川はダリルが最初に見つけた農家を過ぎて南へ流れている。ソフィアはその辺りで人形を落とし、人形だけが下流に流されたのだろう。それらをふまえて、リックはソフィアが付近の道を歩いて北上したと推測した。

「どんな道だ?」

 リックが訊ねると、ジミーは記憶を掘り起こしながら言った。

「住宅開発地だよ。確か十年前から」
「銃の訓練のあと向かえ」リックがシェーンに指示した。「俺は留守を預かる。だが、バックアップはする──ダリルの二の舞にならぬようペアで行動を」
「パートナーを選ぼう」
「練習の腕前で決めてくれ」

 この日から、シェーンやリックの監修の下、銃を扱う訓練が行われることになっていた。いくら武器が満足にあっても、まともに使えるのが男性陣だけでは万が一の時に意味がない。念願の銃を撃つことが出来るとあって、ジミーは明らかに嬉しそうだった。グリーン家からは、彼の他にも、ベスとパトリシアが志願した。リックはハーシェルが許可したのかどうか訝っていたが、彼は最悪の事態を考えて渋々首を縦に振ったらしい。

「オーティスが使えたけど……」パトリシアは表情を曇らせた。「彼はもういない。自衛のために必要なの。この子の父も同意よ」

 驚いたことに、カールも参加を志願した。銃の事故で生死を彷徨ったばかりだったので、り以子は複雑な心境だった。もちろん、ローリは猛反対したが、リックに安全な使い方を知っておくべきだと説得され、何よりカールの真剣の眼差しを前にしては、了承せざるを得なかった。

 り以子は出発直前まで迷っていた。今まで居合道一本で何とかしてきたし、非銃社会に生まれ育った身としては、あまり銃にいいイメージを抱いていなかった。犯罪とか戦争とかに直結しているもので、り以子には縁のないものだと信じてきたのだ。それを手に取ったら最後、二度と元の場所へは戻れないような気がして不安だった。

「君は行かないのか?」

 車に乗り込む皆を少し離れたところから見守っていると、デールが隣に並んだ。

「……私はまだ迷っています」
「迷うのはいいことだ。時間をかけて悩むことにこそ意味がある。しかし、もう車が出てしまう」

 り以子は溜め息をついた。

「私は銃についていい印象を持っていません。日本では銃を持つことは違法でしたので」
「なるほど」
「私はそれが意味のないことだと知っています……今は。それは最適な武器です。にも関わらず、私は……つまり……」
「君の道徳心に反すると?」

 り以子は上手に答えられずにいた。デールはり以子と向き合って、優しく腕に手を置いた。

「答えを出すのは今じゃなくていい。まずは彼らについて行って、正しい使い方を学んで来るんだ。それは予期せぬアクシデントから君の身を守るためでもあるぞ」
「でも……」
「り以子。リラックスだ。何も今すぐ銃で戦えというわけじゃない」

 デールは「いいか?」とり以子の目を覗き込み、り以子がおずおずと頷くと、満足げにポンポンと肩を叩いた。

***

 柵の上に瓶や缶を並べて、皆で横一列に立ち、正面の的を撃ち落とす練習をした。これが意外と難しい。的は細いし、銃口の向きを上手く固定させることが出来ないので、しっかり狙ったつもりでも全然違うところに当たってしまうのだ。リックとシェーン、Tドッグが苦戦する皆の後ろを見て回り、銃の持ち方や姿勢、的の狙い方をアドバイスしている。あの人たちには、動き回るウォーカーの頭をもっと遠くから撃ち抜くことが出来る。デールやダリル、グレンだってそうだ。保安官はさておき、他の皆は一体いつ銃なんて習ったんだろう?改めて彼らのすごさを実感した。

 弾が瓶口を掠って通り過ぎて行った。り以子はだんだんイライラし出した。走って行って刀で叩き割った方が早い気がする。

「重心をもっと前に」

 Tドッグが苦戦するり以子の背中に手を添えて言った。

「右手が力みすぎてるな。右手だ。力を抜くんだ──肘はもっと軽く曲げて……」

 直してもらった姿勢を忘れないうちに、り以子は引き金を引いた。痺れるような衝撃が突き抜け、次の瞬間、り以子が憎んでいた赤いワインボトルが悲鳴を上げて倒れた。り以子は飛び上がって喜び、Tドッグを振り返った。

「上手だ」

 順番待ちをしていたパトリシアに銃を渡して下がると、ベスがニヤニヤしながらり以子の腕に絡みついた。

「すっごく楽しそうだった」
「それは私が褒められたからです。私はイライラしていました」
「というより、熱中してたわ。テレビゲームするみたいにね」

 テレビゲームというベスの言葉が、り以子の胸の中にすとんと落ちた。

「……あなたは正しいです」
「なあに?」
「これはただの射撃ゲームです」

 訓練に来る前とは違う懸念がり以子の胸の中に燻っていた。本当に命を懸けなければならない時、り以子はこの小さな鉛の弾を、自分の命を乗せて戦えるほど信頼出来ないと思った。アンドレアは遠くの看板の「O」の字の穴を撃ち抜いてリックたちを感心させているけれど、り以子にはじっとしているワインボトルをこかすのが精一杯だ。

「これは私の武器ではありません」

 ベスはよく分からないという顔をしていた。り以子は苦笑まじりに肩をすくめた。

***

 ダリルが森で逃がしてしまった『臆病なネリー』が、独りでに帰って来たらしい。厩舎の入り口でハーシェルが馬の健康をチェックし、毛並みの手入れをしていた。り以子はハーシェルという人が少し苦手だった。カールを助けてくれた恩人であり、穏やかでいい人であることに違いはないが、どこかり以子たちに閉鎖的な態度を取るのだ。まるでいつの日かり以子たちがハーシェルの家族や友人を手にかけるのを知っているとでも言うように、警戒心の滲み出た、冷たい目を向けていた。

「り以子」

 り以子が遠目に馬を眺めていると、ジミーが快活な笑みを浮かべて声をかけた。ジミーは今朝の射撃練習でリックたちに腕前を褒められ嬉しそうにしていて、まだその余韻に浸っていた。

「馬を見てたのか?」
「彼女が帰って来てよかったです。馬のことをごめんなさい」
「君が謝ることないよ。無事だったみたいだしね」

 ジミーは肩をすくめて何とでもないという風な顔をした。

「それより、銃のこと、ありがとう。貴重な体験が出来た」
「えっ、私はあなたのために何もしていません」
「いいや、君のおかげさ。君が僕に女の子を捜すのを手伝うよう勧めてくれたから、グライムズさんたちと縁が出来た──もちろん、女の子を見つけてやりたい気持ちは本物だよ!」

 り以子は厩舎からハーシェルの意識がこちらに向けられているのに気づいた。り以子の腰に一本だけぶら下がっている脇差を、厳しい目で見つめている。

「住宅地にいるといいね。そろそろ見つけてあげないとかわいそうだ」
「……ありがとうございます」

 り以子が心ここに在らずといった感じの返事をすると、ジミーは怪訝そうに眉をしかめ、り以子の視線をたどった。

「馬が気になるの?」
「えっ?」り以子は素っ頓狂な声を上げた。
「馬。ずっと見てるから」
「あー……えーっと、はい」

 適当に頷くと、ジミーの顔色がパッと明るんだ。

「よかったら乗馬教えてあげようか?銃のお礼に」
「本当ですか?」

 馬と言えば、こんな世界になってから、リックとアトランタの市内まで二人乗りをしたのを思い出した。マギーと買い出しに行ったグレンや、ソフィアを捜しに出たダリルも馬に乗っていた。り以子は車を運転できないから、せめて馬に乗れるようになれば便利かもしれない。

「もちろんさ。きっとハーシェルもオーケーしてくれると思うよ」

 そんなつもりがあったわけではないけれど、思いがけずいい収穫を得た。り以子はワクワクしながら、「よろしくお願いします!」と元気一杯頭を下げた。