Secrets

明かされる秘密

 木陰でキャロルとTドッグが昼食の準備をしている。り以子が刀を揺らしながら近づくと、Tドッグが立ち上がって手招きをした。フライパンの上で、おいしそうなハンバーグがジュージューと香ばしい煙を上げている。

「いいにおい」
「だろ?」Tドッグが得意げに言った。「君には少し多めに食わせてやる──内緒だぞ」

 り以子は笑った。

「あなたも料理を覚えた方がいいでしょうね。女の子だもの」

 キャロルがお皿を数えながら言った。

「お肉を丸めて焼くのよ」
「難しそうだ」
「私はしばしば料理をします──もしも醤油とみりんと出汁があれば」

 Tドッグが困ったように笑ったのが分かった。

 すぐ近くのテーブルで、リックとローリがヒソヒソ声で何やら言い合っている。今度は夫婦間で揉め事だろうか?──り以子がつい気になって見ようとすると、Tドッグにさりげなく腕を引かれてたしなめられた。小さく首を横に振っている。

「ほら、肉だぞ──たらふく食って大きくなれ」

 ハンバーグを押し付けられて、り以子は体良く追い払われてしまった。大人は難しい。

 一人テーブルにつき、ちょっとだけ大きめのハンバーグを突っついていたり以子の向かいに、カールが皿を持って来て座った。リックのお下がりの大きな黒い帽子がよく似合っている。それを褒めると、カールは誇らしげに鍔を上げ下げした。

「でも、ほんとはまだ少し大きいんだ」
「帽子?」
「うん。だから当て布してる。内緒だよ」

 り以子はちょっと笑って「はい」と頷いた。

「り以子の肉の方が僕のより大きい」

 カールが物欲しそうな目でり以子の皿を見つめていた。り以子には二つの違いがほとんど分からなかったが、きっと成長期でお腹がすいているんだろうと思い、三分の一ほど切り分けたのをカールの皿に乗せてやった。

「いいの?」
「どうぞ」

 り以子がにっこりして頷くと、カールはパッと顔を綻ばせて、「ありがとう!」と言いながらハンバーグにがっついた。り以子はすっかり小さくなったハンバーグを口に運びながら、ちらりとグライムズ夫婦の様子を窺った。ローリはまだ不満を消化しきれていない表情だったが、ひとまずの折り合いはついたのか、拳銃をいじる夫を黙って見守っていた。

 昼食を終え、のんびりとした午後になった。ソフィア捜しは車なしには続行できなくなってしまったので、り以子にはやれることがほとんどなかった。ジミーに乗馬を教えてもらったあと、野営地に戻ると、ダリルがテントで寝息を立てていた。タフなイメージの彼が寝込んでいる姿には、調子を狂わされた。単独行動は慎まなければという意識になってくる。三時近くになって、グレンとマギーが馬で二度目の物資調達に出かけたのを見送り、り以子はテントで刀の手入れをして過ごした。

 真剣の手入れには細心の注意を払わなければならなかった。日本では練習用の模擬刀を扱っていたが、本物は勝手が違う。鋭く光を放つ白銀の刀身には、気を抜けば手首を切り落とされそうな威容があって、緊張感で背筋がピリッとなった。

 手入れを済ませるといよいよ何もすることがなくなり、り以子は脇差だけを腰に差して、ふらふらとテントを出た。カールがTドッグと談笑していて、デールはキャンピングカーの上で見張りを、ローリはテントに引きこもっている。シェーンたちはまだ帰って来ていない。

 することもないので、り以子は農場の敷地をあてもなくほっつき歩いた。爽やかないい風だった。広大な緑の絨毯は、り以子が踏むたびにさくさくと瑞々しい音を鳴らしている。遠くに牛の群れが草をつまんでいるのが見え、馬糞や牛糞の臭いにすっかり慣れてしまったことに気づいた。ここは世界が終焉を迎えているのが嘘みたいに平和で穏やかだ。ソフィアが迷子にならずにここにいて、あちこちに燻っている揉め事さえなければ、ファームステイみたいできっとさぞ楽しかっただろう。

 ふと、正面からリックが歩いて来るのに気づいた。り以子は自然と足が止まり、やや気持ちが張り詰めるのを感じながら、駄目元で小さく手を振った。リックはり以子の姿を視界に認めると、応えるように手を上げ、あからさまに視線を逃がした。それから、二人がすれ違って離れて行くまで、言葉は一つも生まれなかった。

 ──きっと君を皆のもとへ帰そう。り以子。

 何を考えるにも気怠くて、頭を空っぽにしてただひたすら足を動かし続けた。採石場のキャンプで聞いたリックの言葉が、空っぽの頭の中で無意味に回り続けていた。

 ──約束する。
 ──絶対に君を一人にしない。お巡りさんを信じてくれ。

「……なら、私に信じさせてよ」

***

 日暮れ近くになって、住宅開発地まで行っていたシェーンとアンドレアが帰って来た。車の音を聞いて駆け付けたり以子は、降りて来た中にソフィアの姿がないので落胆した。

「明日は範囲を広げる」
「向こうで何があった?」

 デールが訊ねると、アンドレアは何故か口ごもった。

「奴らがはびこってた」

 シェーンが代わりに答えた。二人が意味ありげに視線を交わしたのを、り以子は見逃さなかった。なんだか変な雰囲気だ。デールは疑り深い目でシェーンを睨んでいるし、アンドレアは珍しくしおらしい。シェーンと揃って後ろ暗いところがあるという顔をしている。皆、ソフィアの行方とは別のところに心があるような感じがした。

「……汚れを落としに行きましょう」

 キャロルがアンドレアを連れて離れて行った。シェーンもそそくさとテントに戻って行こうとしたが、デールが厳しい顔をして追いかけた。

「シェーン。シェーン!」

 あっちでもこっちでも揉め事だ。り以子は辟易して踵を返した。

「俺は考えてたんだ。いい車を手に入れて燃料も充分にある──これで君は遠くまで行けるな」

 デールの声色は柄にもなく強張っているようだった。り以子は思わず足を止め、すぐ傍の木の陰に素早く身を隠した。何故だか嫌な予感がしていた。

「なんだ、俺に出て行けと?」
「そのつもりなんだろ。今がちょうどいい」

 シェーンが失笑する声が聞こえた。「アンドレアのせいか?」

「……俺はグループを心配してる」
「そのグループに俺はいない方がいいって?デール?──それをリックとローリに言ってやったらどうだ。俺が危険を冒さなきゃ二人の息子は死んでたんだぞ」
「オーティスも」

 デールが即座に言った。シェーンが言葉に詰まった。

「お前はあの夜何があったかハッキリ言わないな」
「……オーティスは名誉の死を」
「本当か?」
「そのお陰で幼い子供が生き延びた。あんたも感謝すべきだと思うね」
「俺はそこにいなかった」
「ああ、そうだ。いなかった」
「だがお前がリックに銃を向けていた時はいたぞ。彼に狙いを定めて、撃とうとした!」

 怒りに駆られてシェーンを問い詰めるデールの言葉は、一語一語はっきり強調されていて、り以子でも容易に聞き取れた。それ故に、り以子の心臓は早鐘を打っていた。交わされる会話の内容がとても信じられず、どうかシェーンが「誤解だ」と言いますようにと全力で祈っていた。しかし、シェーンは何も言わず、うざったそうに溜め息をついただけだった。

「お前の正体を知ってるぞ」

 デールが呪いの言葉を吐くように言った。

「……俺がリックを撃つと?」

 シェーンの低い声が木々の合間を這い、り以子の背筋を冷たく駆け上がっていった。

「奴は親友だぞ。大切な奴だ。兄弟のように思ってる──あんたは俺がそんな奴だと思うのか?」
「その通りだ」
「そうか、じゃあ考えなくちゃな。俺が親友を撃ち殺すような男だったら、嫌いな奴にとがめられた時、俺はそいつをどうすると思う?──なあ」

 デールは絶句していた。

 これはもはや『揉め事』なんかではなかった。シェーンは彼を脅迫している。立ち去るシェーンの足音と、緊張が解けたデールの震える息を聞きながら、り以子は恐怖と衝撃でそこから動けないでいた。このグループには、憎悪や殺意がはびこっている。り以子の知らず知らずのうちに地中深くに根付いて、毒を撒き散らしていたのだ。