Pretty Much Dead Already

死の定義

 新しい朝がやってきて、ルビー色に輝く美しい朝日を目にしても、り以子の胸の内はどんより濁った分厚い雲に覆われていた。

 まだまだ残暑は厳しかったが、湿度が低いせいか、木陰に入ればいっそ涼しすぎるくらいだった。今朝はグリーンさんから卵をたくさんお裾分けしてもらったので、全員で寄り集まってスクランブルエッグを食べた。Tドッグとキャロルが交代で調理して、出来た分から配って回っていた。昨日までは寝たきりだったダリルも、今日は皆と一緒だった。折りたたみ式の椅子に深く腰掛け、両手で皿を突き出してキャロルに卵を催促している。

 リックとローリは昨日までのピリピリした雰囲気から脱したようだった。リックにはまだ胸につかえるものがありそうだったが、ローリに心配されて何でもないように振る舞っていた。

「卵だぞ」

 Tドッグがフライパンごと持って来て、り以子の皿にスクランブルエッグをドサドサと流し込んだ。このグループに来てから、Tドッグはやたらり以子に食べさせたがった。

「多い……」
「バカ言え。たくさん食うのがあんたの仕事だ」

 有無を言わさず離れて行くTドッグの大きな背中を見送っていると、焚き火の傍で口をもぐもぐさせていたダリルと目が合った。ダリルは何故か熱い卵を手掴みで食べていた。り以子は朝の挨拶のつもりで会釈をしたが、むず痒そうに顔をしかめて目を逸らされてしまった。

 ほの甘く香り立つ卵を突っつきながら、り以子の目は自然とシェーンを追っていた。シェーンは少し離れたところで立ったままベーコンを食べ、時折グライムズ一家をちらちら気にかけていた。嫌いな奴にとがめられた時、俺はそいつをどうすると思う?──昨日の毒蛇のような言葉が耳について離れない。アンドレアがナイフを研ぐ音と相俟って不気味に響き、今に爆発して何か恐ろしいことをしでかすんじゃないかと気が気でなかった。やがてり以子の視線を感じて、シェーンが訝るようにこっちを見た。り以子は息を呑んで顔を背けた。

 今のは失敗したと思った。あからさまに不審な態度だ。り以子は誤魔化すようにスクランブルエッグをかっ込み、皿を片付けようと立ち上がった。テーブルに向かう途中、ダリルが不意に手を伸ばして、り以子の皿からフォークをかすめ取った。びっくりして振り向くと、ダリルは何食わぬ顔でり以子のフォークを使っていた。信じられないと思った。

「あー……みんな」

 グレンが唐突に声を上げた。所在なさげに突っ立って、顎を撫でている。男の人は緊張した時や狼狽えた時によくああいう仕草をするとり以子は最近気づいたばかりだ。

「えーと……」

 グレンは青白い顔でもじもじしている。昨日、桃を配っていた時もあんな顔だったなとぼんやり考えていると、グレンは意を決したように息を吸い込んで、和やかな朝食の席に爆弾を投下した。

「……納屋にウォーカーが」

***

 納屋は農場の敷地のはずれにひっそりと佇んでいる。とはいえ、グリーンさんの家やり以子たちの野営地からそう遠くはない距離だ。荒っぽい作りの木造の小屋で、壁板の隙間から中を覗ける。近づいてみると、確かに、連中が低く唸り、足を引きずって徘徊する音が聞こえた。り以子たちはこの何日間、ずっとウォーカーと一緒にキャンプをしていたのだ。

「大丈夫なんて言えないよな」

 シェーンがイライラとリックに詰め寄った。

「まさか!だが俺たちは部外者だ。ここは他人の土地だぞ」
「俺たちの命が懸かってる!」
「声を落とせ!」

 声を荒げるシェーンに、グレンがヒヤヒヤしていた。

「知らないふりするなんて出来ないわ」アンドレアが言った。
「そうだ。対岸の火事じゃない」と、Tドッグ。
「始末するか、今すぐここを出て行くかだ。ずっとフォートベニングのことを話してた」
「行けない!」リックが即座に叫んだ。
「何故だ、リック。何故?」

「私の娘がいないからよ」

 噛みつくように答えたのはキャロルだった。シェーンは呆気に取られたような顔をして、手で顔を覆った。失笑を堪えようとして、大きく深呼吸をしていた。

「オーケー、そろそろ別の選択肢を考える時だ」
「シェーン!ソフィアを置いては行かない!」
「もう少しであの子を見つけられる!二日前には人形を見つけたんだぞ!」

 たまらずダリルが口を挟むと、シェーンは引きつったように笑った。

「そうだ、ダリル。それがお前の成果だ。お前が見つけたのは人形だ!」

 ダリルは一瞬何を言われたか分からないという顔で止まっていた。

「……てめえ自分が一体何を言ってるか分かってんのか!」
「俺は言うべきことを言ってるだけだ!最初の48時間でお前は大きく差をつけられたんだ!──」
「シェーン、やめろ!」
「──他にも言わせてくれよ、なあ!」黙って聞いているダリルに向かって、シェーンが煽るように声を荒げた。「もし彼女が生きてたとしても、バックナイフを持って化け物の耳を首からぶら下げたお前を見たら、逆方向に逃げるだろうよ!」

 ダリルが切れた。リックがすかさず間に入ったが、ダリルは激しく罵りながらリックを超えて掴みかかろうとして、シェーンも挑発的な言葉を浴びせて向かっていこうとするので、全員総出で止めにかかった。アンドレアに押し出されたダリルを、り以子は腕にがっちりしがみついて捕まえた。ダリルは突然現れた邪魔な拘束を振り払おうと一瞬大きく暴れたが、り以子が放すもんかと力を込めて抱きしめると、怒りの熱がスーッと引いていった。まるで柵の向こうで吠え立てる犬を見るように、冷めた目をシェーンに向けている。

「どうした、おい!来いよ!俺をやりたいんじゃないのか?お前の十八番だろ──」

「下がれ!」
「俺に触るな」

 グライムズ夫婦に弾き出されたシェーンが、ローリに憎悪が満ちた言葉を吐き捨てた。

「俺がハーシェルと話をつける」リックが言った。「俺に解決させてくれ」
「何を解決するんだ!?」シェーンが吠えた。
「ここに留まるにしても、納屋を片付けるにしても、彼を説得してからだ。彼の土地だぞ!」

「ハーシェルはこいつらを人間だと思ってる」

 仲裁に入ったデールの言葉を、誰もが一瞬聞き間違いかと疑った。

「病気にかかった、彼の妻や、義理の息子だと」
「知ってたのか!?」

 リックが信じられないという顔で詰め寄った。

「昨日ハーシェルと話した」
「それで一晩放置したのかよ」シェーンが食らいついた。
「一晩待っても遅くないと思った。今朝言うつもりだったんだ。グレンに先を越されたが」
「あの野郎はイカれてるんだ、リック、奴らを生きてると思ってるなんて!」

 り以子が悲鳴を上げた。シェーンの大きな叫び声に呼び醒まされたウォーカーたちが、一斉に扉の向こうを叩き始めたからだ。後退りするり以子たちの耳に唸り声が飛び込んでくる。それは十を超えるウォーカーたちの飢餓の叫びだった。