怪我人が増えた上に、納屋の見張りにも人員を割かれるようになったお陰で、ソフィア捜しに出かける人数はさらに減ってしまった。り以子とリック、アンドレアの僅か三人ぽっちだ。
「この道を南に行った可能性もある。もしソフィアがこっちの方向に歩き続けていたら、森を出て農地に辿り着く。俺たちは74号線からアイビー通りへ上り、クリストファーに着くまで南下して森を抜け、その後、東へ数マイル行き引き返す」
三人で測量図を覗き込みながらリックの立てた捜査計画を聞いていると、グリーン家からハーシェルがやって来てリックを呼んだ。
「ソフィアを捜すために銃を取り出しただけだ」
リックは真っ先に武装のわけを弁解したが、ハーシェルの用事は別にあったらしい。
「その前に手を貸してくれ」
「私も」アンドレアが名乗り出た。
「ありがたいが、リック一人だ」
ハーシェルの厳かな瞳には意味深な表情が浮かんでいる。リックが難しい顔をしてアンドレアに目配せをすると、彼女は拳銃をベルトに差しながらやれやれと溜め息をついた。
「……準備出来るまで納屋を見張ってるわ」
ソフィア捜索チームはとうとう一人になってしまった。り以子一人ではどこへも行けないし、何も出来ない。り以子は自分に動かせない車を恨めしそうに睨んだ。
リックとアンドレアが戻って来るまで何をしていたらいいか分からなくて、り以子は一度野営地に戻った。キャンピングカーの上でショットガンを持ったグレンが見張りをしている。パラソルの陰で折りたたみ椅子に座り、チューリップ帽を被った姿は、逆光のせいもあって一見デールと見間違えかけたが、気だるそうにかけられた声で誰だか気づいた。
「帽子」り以子は自分の頭を指差して言った。
「ああ、デールに借りたんだ」グレンはちょっと照れくさそうに帽子を上げ下げした。「俺のはケランチムになっちまった」
「何ですか?」
「よく分かんない」
グレンはちょっと肩をすくめて誤魔化した。
「いい帽子ですね」
見え透いたお世辞にグレンが顔をしかめたのが分かった。デールにはよく似合うベージュのチューリップ帽も、グレンのようなあっさりした顔立ちの青年が被ると、霞んだ印象がしてちょっと年寄り臭く見えた。
「ソフィア捜しは?」
「リックさんがハーシェルさんとどこかへ行ってしまいました」
り以子がキャンピングカーの後ろについている梯子を上ると、グレンが手を貸してくれた。そういえば、キャンピングカーの屋根に上るのはこれが初めてだった。思ったよりも日差しが強くて顔をしかめるり以子を、グレンはパラソルの下に誘った。
「私は見えます」
り以子は手で目の上にひさしを作って遠くを見渡した。
「何が?」
「木々」
「オーケー。それが『異常なし』だ。木以外のものが見えたら大声を出してくれ」
グレンが折りたたみ椅子に戻って空を仰いでいる。見張りはり以子にバトンタッチというつもりらしい。これは重大任務だ、とり以子は張り切って背筋を伸ばした。
のんびりとした時間が流れ、しばらくしてから、り以子は木々の合間から大股で歩く木以外のものを見つけて大声を上げた。グレンは「うぉっ!」とびっくりして椅子から転げ落ちそうになり、ショットガンを抱きしめてり以子に何事か聞いてきた。
「シェーンさんです」
り以子があっけらかんと答えると、グレンは呆れたように目玉をグルッとさせた。
シェーンは荒々しい足取りでまっすぐキャンピングカーに向かってきた。グレンが「どうした?」と声を投げかけても答えることなく、車内に駆け込んで消えてしまった。何か探しているのか、天井越しに棚をこじ開けたりマットレスをひっくり返したりするような音が聞こえ、り以子はグレンと顔を見合わせて首を傾げた。
「どこへ行った?」
しばらくしてキャンピングカーを飛び出して来たシェーンが、藪から棒に訊いた。
「……誰?」
「考えりゃ分かるだろ」
シェーンはかなり苛ついていた。グレンが「何?」と困惑の表情を浮かべると、シェーンは焦れったそうに声を張り上げた。
「デールだ!グレン。デールはどこへ?」
「ああ……俺に水を取りに行かせたんだ。その間代わりに見張るって言って」
「で、戻ったらいなくなったのか?」
「ああ」
シェーンはこちらを見ていなかった。ギラギラした目で林の中を探り、デールを見つけたら殴り殺してやるというような危なげな空気を放っていた。
「……大丈夫かな?」グレンが心配そうに訊いた。
「平気さ」
「どうしていなくなったんだろ」
「コソコソしやがって」
「どういうこと?」
「分からないだろうな」
シェーンは冷たく言い残して、足早に離れて行った。デールを探しに行ったのかもしれない。り以子は背筋がスーッと冷えていくのを感じた。急いで屋根を降りて車内に飛び込むと、開け放たれたままの戸棚やひっくり返されたマットレスを見て、シェーンが何を探していたのかを直感的に理解した。銃のバッグがない──デールがどこかへ持ち出したんだろう。じゃあ、それを血相を変えて探していたシェーンは?一体何をしようとしていた……?
り以子は弾かれたように走り出した。びっくりしてり以子を呼び止めるグレンの声を背中に聞きながら、納屋まで全速力で急いだ。今すぐリックに話をしなくちゃいけない。り以子の第六感が警告音を鳴らしていた。
ダリルはキャロルを伴って池のほとりを訪れていた。水辺に生い茂る緑の中に紛れて、純朴な白い花をつけているナニワイバラを見つけていたのだ。キャロルはそこへ連れて来られるまで、ずっと不思議そうな顔をしていたが、ダリルが「ほらな」とナニワイバラを指差して見せると、彼の見間違いでなければ、僅かでも心がほぐされたようだった。
「娘は見つかる」
ダリルは元気付けるように言った。キャロルは自分たちに向かって咲くナニワイバラを不安げに見つめていた。
「なあ──」ダリルは間合いを読みながら慎重に切り出した。「今朝は悪かった」
「……あなたはあの子を捜したかったのね。どうして?──ずっと訊きたかったの。り以子がそうなのは分かる。彼女はあの子と同じ体験をしたから。だけど、あなたは?」
ダリルは考えることもなく、端的に答えた。
「どこかにいるから」
しかし、すぐに照れくさくなって、みっともなく言い足した。「本当は……他にすることがない」
キャロルは少しの間、ダリルを見つめて眉をひそめていたが、やがてナニワイバラの花弁にそっと手を伸ばして触れた。
「きっと見つかるわね。きっと。そうよね?」
晩夏の虫が穏やかに鳴いている。鏡のような水面を生暖かい風が滑り、森からグリーン農場へと抜けていった。