Pretty Much Dead Already

死の定義

「り以子、り以子、どうしたの?」

 あたふたと納屋に駆けつけたり以子を見て、アンドレアが驚いた顔をした。アンドレアが寄りかかっていたトラクターの側にはTドッグもいる。二人で雑談をしながら納屋を見張っていたらしい。

「リ──リックさんは?」

 り以子は胸を押さえ、息を整えながら絶え絶えに訊いた。

「まだよ。ハーシェルとどこかへ行ったっきり」
「何か問題でもあったのか?」

 り以子は口を開きかけて、果たしてこの人たちに相談していいのだろうかという不安がよぎった。アンドレアはシェーンを仰いでいるようだったし、Tドッグだって様子見するしかない現状に百パーセント満足しているわけではないだろう。

「……リックさんは?」

 迷った末、り以子は同じ質問を繰り返した。

 アンドレアとTドッグは、り以子が自分たちに話す気がないことを察したようで、ちらりと視線を交わし合った。

「分かったわ。ハーシェルの家に行ってみましょう。そろそろ戻っているかも」

 カールとパトリシアがテラスでオセロをやっていた。り以子たちがやってくるのに気づくと、傍で見ていたベスがあからさまに表情を強張らせてそっぽを向き、り以子は胸の奥が小さく痛んだ。玄関ポーチにグレンとマギーが座り込んで談笑している。マギーがグレンの頭から似合わないチューリップ帽を剥いだ時、り以子と目が合ったグレンが立ち上がった。

「リックを見てない?」

 り以子たちの聞きたかった質問を、グレンが逆に訊いてきた。

「ハーシェルとどこかへ。私たち、数時間前に出発することになってたのよ」
「そのはずだろ。何してやがんだ」

 ダリルが大股でやって来る。その背後にはキャロルもいて、「リックが捜索に出るって言ってたのに」とり以子たちを訝る目つきで見ていた。

「ふざけんな!誰も真面目に探してねえのかよ」ダリルが語気を荒げた。「せっかく手がかりがあったのに──」

 イライラと森を振り返ったダリルは、木陰の中を突っ切って近づいてくる人影を認めて「ああ、いた」と息をついた。シェーンが武器バッグを肩にかけ、ショットガンを手にしてこちらを睨んでいた。険しい顔つきだ。近くにデールの姿はない。

「そりゃ何だ?」

 ダリルが銃を指差した。

「分かってるよな?」
「……ああ」

 ダリルがシェーンの手からショットガンを取った。やる気満々でガチャつかせるダリルの姿を、り以子は信じられない気持ちで凝視した。どういうわけか、り以子は心のどこかで、ダリルはそっちの側にはつかないと勝手に思い信じ込んでいたのだ。

「決断の時だ。銃を持て!」

 シェーンが声を張り上げた。アンドレアが「デールは?」と訊いても、Tドッグが「所持禁止だ」と反論しても、シェーンは聞く耳を持たずに、バッグの中の銃を配り出した。

「は!?──ダメ、ダメ、ダメ、ダメ!」

 り以子は慌ててシェーンの前に飛び出した。

「あなたは何をしていますか?」
「お前も持て!」

 シェーンがり以子の拳銃を取り出したが、り以子は即座に「嫌!」と突っぱねた。ダリルがショットガンを担ぎ、何の疑念もない顔でシェーンの側についているのが、なぜか無性に腹立たしかった。

「これは間違った方法です!絶対、ダメ!」
「いいか──俺たちは安全だと思ってここにとどまった。だが、違った」
「はい、私たちはしなければなりません、いずれね!今じゃない!この方法じゃない!何故リックさんを待ちませんか?」

 シェーンは「話にならん」とり以子を押しのけ、後ろにぽかんと突っ立っていたグレンにショットガンを押し付けた。

「お前はどうだ?自分の身を自分で守るか?」

 グレンがショットガンを取ると、シェーンは「それでいい」と鼻を鳴らした。

「こんなことして、銃なんか配って、今夜にでも父に追い出される!」

 マギーが噛みついた。途端にカールが顔色を変えて、シェーンに「ダメだよ」と詰め寄った。騒ぎを聞きつけてローリまで駆けて来て、ここにいないのはリックとハーシェル、ジミーのみとなった。

「俺たちはどこへも行かない。いいな?ハーシェルは理解すべきなんだ。分かるか?奴は……そうだ、奴はそうしなくちゃならない。俺たちはソフィアを捜さなくちゃいけないんだ。そうだろ?」

 シェーンはカールの前に膝を突き、り以子が断った拳銃を差し出した。

「なら、これを持て。持つんだ、カール。お前の母ちゃんを守るんだ。どうしてもだ。使い方は知ってるだろ、さあ、銃を取って、やるんだ」
「リックの決定よ。あなたじゃない。勝手に決めないで!」

 カールの小さな手がそれに触れる前に、ローリが息子を押しやってシェーンに食ってかかった。

「まだ銃を使う時ではありません、シェーンさん!」り以子もしぶとく食い下がった。「私たちはハーシェルさんを説得しなければなりません。それが唯一の方法です!何故あなたはこの農場の主のように振る舞いますか?あなたはこの農場を乗っ取るつもりですか?」
「乗っ取る?へえ、難しい言葉を知ってるな、女子高生!」

 シェーンは頑なにまともに取り合おうとしなかった。り以子は自分の腹の中で何かが煮えたぎるのを感じた。

「……マジかよ」

 不意に上がったTドッグの悪態で、皆の意識はそちらへ掻っ攫われた。

 誰もが自分の目を疑った。ここにいなかった男三人が、動物用の捕獲棒で二体のウォーカーを誘導し、農場へ入って来ようとしていたからだ。

「何してる……何してる!」

 シェーンが先頭切って走り出した。ダリルも、Tドッグも、アンドレアも、皆が彼に続いた。

「てめえら一体何してやがる!」
「シェーン、来るな」

 リックが捕獲棒を押し込んでウォーカーを歩かせながら言った。ハーシェルも同じようにしながら、皆が担いでいる武器を忌々しそうに睨んでいる。

「何故彼らは銃を持っている?」
「ふざけんな!お前は?お前はを連れてるか分かってんのか?」
「自分がを連れているかは分かっている!」
「いいや、あんたは分かってないね!」

 シェーンが激しく吠え立てた。

「シェーン、ひとまず放っておいてくれ。話は後に」
「何を話すって言うんだ、リック!こいつらは病気じゃない!人じゃないんだぞ!」

 シェーンはリックにも突っかかった。ダリルがいつでも引き金を引けるように、ウォーカーの頭に照準を合わせてリックたちを追いかけている。り以子は爆発寸前のシェーンも、いつ二人を振り切って暴れ出すか分からないウォーカーも、どちらも警戒して柄を握っていた。

「奴らは死人だ!人を殺すだけのな!何も感じない!それがここにいるんだ!こいつらはエイミーを殺した!オーティスを殺した!り以子の親友を殺した!俺たち全員を殺すんだ!」
「シェーン!黙れ──」

 カメラのフラッシュが閃いたように、り以子の脳裏に変わり果てた親友の顔がよぎった。確かに、そうだ。しかし、今は蓮水の顔を食った同族よりも、それを口実に持ち出したシェーンの方に怒りが湧いた。鯉口を切った手が小刻みに揺れているのを、隣に立つダリルがちらっと一瞥した。

「おいハーシェル、教えてくれよ」
 シェーンはズボンに差していた銃の安全装置を外し、ハーシェルが連れていた女のウォーカーの前に立った。
「生きてる人間はこれでも歩けるか?」

 けたたましい銃声が三発轟いて、皆が反射的に屈んだ。悲鳴を上げるり以子とグレンの前には、胸に赤黒い穴が三つ空いたウォーカーが、平然と立って嗄れ声を上げている。

「やめろ!」
「胸に三発だ。生きてる人間なら、何故歩ける!」

 シェーンの銃がさらに炸裂し、ウォーカーの胸に二発の銃弾が食い込んだ。

「心臓だ!肺だ!なぜまだ倒れない!」

 何度も何度も銃弾が放たれ、ウォーカーの体を貫いたけれど、ウォーカーはその衝撃で僅かにのけ反っただけで、なおシェーンに向かって行こうともがいている。ハーシェルは茫然とし、シェーンに答えることも、彼を止めさせることも出来ずにいた。

「シェーン!もうたくさんだ!」

 リックが叫んでいる。彼は別のウォーカーの捕獲棒を支えるので精一杯だった。

「ああ、そうだな。たくさんだ」

 シェーンはつかつかと女のウォーカーに歩み寄ると、その眉間に銃口を押し付け、何の躊躇もなく撃ち抜いた。崩れ落ちたウォーカーを前に、ハーシェルは膝を突き、パトリシアは胸を押さえ、キャロルは手で口を覆った。ダリルは表情一つ変えず、狙いが外れないようにウォーカーに合わせてじりじりと動いている。

「たくさんだ!消えた少女のために危険を冒すのも──」キャロルが息を呑んだ。「──俺たちを殺そうとしてるものがいる納屋の傍で暮らすのも!たくさんだ!リック、前とは違うんだ!生きたいなら、死にたくないなら、戦うしかない!今、ここで!戦えと言ってるんだ!」

 シェーンが納屋に向かって駆け出した。り以子は自分の言葉で「ヤバい」と叫んでいた。リックがハーシェルに捕獲棒を持つよう呼びかけているが、ハーシェルはショックで放心状態だった。

「ハーシェル!聞いてくれ、頼む!これを持ってくれ!なあ!──ハーシェル!持て!」

 シェーンがつるはしで扉の鍵を叩き始めた。「ダメ!」──り以子は金切り声を上げてシェーンの腕に飛びついたが、煩わしそうに跳ねのけられ、無様に尻餅をついた。リックが身動きを取れないまま大声を上げて懇願している。

「ダメだ、シェーン!そんなことしないでくれ、相棒、待て!」

 鍵が一つ壊れて外れた。グレンが「やめろ!」と叫び、ローリが遠くからリックを急かしている。尻餅から立ち上がったり以子を、ダリルが後ろから呼びつける乱暴な声がした。

「バカ女子高生!下がれ!」
「嫌……」

 り以子はシェーンの腰にしがみついて引っ張った。しかし、シェーンはり以子の妨害なんて物ともせず、とうとう閂を取り払って放り投げてしまった。

「ああっ……!」
「来い!来い!俺たちはここにいるぞ!」

 息を呑むり以子を引き剥がして脇に投げ飛ばし、シェーンは一歩下がって銃を構えた。

 ざわめきが聞こえ、り以子の背中をゾッとする寒気が撫で上げていった。おんぼろの観音扉がゆっくりと動き出し、そして、腹を空かせてこの時を待っていた数多のウォーカーが、念願の新鮮な獲物を前に、嬉々として向かって来た──。

 アンドレアとTドッグが飛び出して来て、シェーンに並んで銃を構えた。そして、そこから公開処刑が始まった。彼らがまだ生きていると盲信しているハーシェルたちの見ている前で、一体一体、見せつけるように頭を割っていく。すぐにダリルも加わって、最前線でショットガンを撃ち出した。Tドッグも覚悟を決めて引き金を引き、グレンもマギーの涙ながらの了承を得て銃の列に飛び入った。

 納屋の外壁に手をついて立ち上がったり以子の目の前で、ダリルの銃弾を浴びたウォーカーの頭が弾けた。リックが捕まえていたウォーカーもシェーンの銃弾に倒れていた。「やめろ!」と叫ぶリックの声が聞こえたが、何もかもが手遅れだった。ベスの母親も、兄も、なんとか夫妻もない。まるで射撃訓練の的当てゲームみたいに、皆が横一列に並んで次々にウォーカーを倒していった。

 一番後ろの一体をダリルが撃ち抜いたのを最後に、納屋は虚しく静まり返った。ハーシェルは言葉も出なかった。ベスはジミーの胸でしゃくり上げていた。彼らが病気だと信じていた全員が、変わり果てた姿で、枯れ草の上に転がっている。遅れて駆け付けたデールが、そこに広がる惨状を愕然とした目で見つめていた。

 その時、納屋の一番近くにいたり以子は、もう一つの小さな唸り声を聞いて顔を上げた。真っ黒い隙間からよろよろと現れたそれは、とても小さなウォーカーだった。

 り以子が──そしてその場にいた誰もが、瞬時にはその正体を理解し得なかっただろう。煤けたスニーカー、それを履いているほっそりとした足、カーキ色のズボンに、泥で潰れた虹の絵のシャツ……汚れた金色の巻き髪が揺れて、小さな顔が露わになった時、り以子は心臓がえぐられるような衝撃を味わった。

 誰も銃を上げることが出来なかった。グレンも、息を漏らすアンドレアも、さっきまであんなに荒れていたシェーンや、Tドッグも、キャロルが悲痛な声を上げ、泣きながら飛び出していくのを止められずにいた。

「ああ……ああ、神様……ああ、ああ……ソフィア!ソフィア……」

 ダリルがショットガンを捨ててキャロルを抱き留め、二人は力なく崩れ落ちた。血と硝煙の臭いばかりがする農場に、弱々しく娘の名を呼ぶキャロルの声があまりにも悲しく響いていた。ソフィアは物言わぬ同居人の遺体を無感情に跨ぎ、ゆっくりとこちらへやって来る。咽び泣くキャロルを、ダリルは決して放さないと後ろから強く抱きしめていた。

 涙の膜が張る目で、り以子は視線をそらすことも出来ずに最期を見届けた。真っ先にソフィアを助けようとして、一番重い責任を背負ってしまったリックが、静かにシェーンの横を通り過ぎ、彼女を助けようとしたその手で、彼女に銃を向けた。

 重い銃声が一つだけ鳴り響き、ソフィアの体は音もなく崩れ落ちた。