Triggerfinger

繰り返されるウソ

 正当防衛だった──り以子は激しく脈打つ自分の鼓動を聞きながら、何度も心に言い聞かせた──仕方がなかった、そうしなければリックが殺されていた。何もおかしなことはないし、責めることもない。以前と変わらない。ギャングが発砲したら、この国の警察はそいつを射殺する。最初からそうだった。何も変わらない……。

「危なかった……」

 崩れ落ちたトニーの死体を見下ろして、グレンが震える声で言った。

「大丈夫か?」
「……ああ」

 嫌な空気だった。暗闇で相手の顔がほとんど見えない。

「帰ろう」

 ハーシェルの一声で、ようやく皆が動き出した。リックはトニーの死体からショットガンと、ポケットに隠し持っていた弾薬を、グレンも恐る恐るデイブの死体から拳銃を盗んだ。

 その時、バーの中をオレンジ色の明かりが舐めていった。「車……車だ!伏せろ!」──リックが声を殺して叫び、り以子はハーシェルと一緒に壁に張りついてしゃがんだ。グレンとリックはドアのすぐ近くに身を隠している。すぐに一台分の走行音が店の前を横切り、ここからでも分かる距離に停車した。ドアが開き、男たちの足音がわらわらと溢れ出して来る。

「デイブ?トニー?」

 皆の顔に緊張が走った。奴らの仲間が来た──銃声も聞かれた。声は男たちを捜している。リックが撃ち殺した死体の名前をしきりに呼んでいる……。

 窓のカーテンに通り過ぎる人影が映り、り以子は悲鳴を上げたい気持ちをぐっと堪えた。心臓は早鐘を打ち、誰かがこの音を聞きつけるかもしれないと思った。グレンが青白い顔でショットガンを抱きしめている。リックはドアの曇りガラスに集中し、いつでも引き金を引けるよう銃を握っていた。

 どれくらいそうしていたか分からない。男たちの足音は遠ざかって行ったが、車が出て行く気配は一向になかった。リックがカーテンの隙間から外の様子を窺い、近くに誰もいないのを確認すると、床を這ってこちらへ寄ってきた。

「なぜ去らない」

 グレンがイライラと囁いた。ハーシェルは酔いが嘘みたいに思われるほど落ち着いていた。

「仲間を残して?」
「長居は出来ない。裏口から出て車を目指そう」

 皆はリックの指示に頷いて立ち上がりかけたが、店のすぐ外で物音がして、慌てて元の体勢に逆戻りした。変な音だった。最初は何だか分からなかったが、何発か続けて聞くうちに銃声だと分かった。サプレッサーをつけているのだろう。

「どうした?」
「『連中』を倒した」

 声が三つ集まって、徐々に近づき始めた。

「あいつらが消えた。車はあるのに」
「この辺の建物は全部見たぞ」
「ここは捜したか?」

 り以子は凍りついた。男たちが来る──。

「まだだ」
「俺も見てない」
「デイブとトニーを捜してるのに、誰もバーを見てないとは」

 足音が扉の前で止まった。リックが銃を構えた。それを見たグレンが息を呑み、開きかけた扉の前に急に飛び出して、背中で押さえつけた。

「何だ?」
「閉め出された。誰かが中にいる」

 リックが悪態をつこうとして呑み込んだのが見えた。

「おい、誰だ?おい、誰かいるんだろ?危害は加えない。仲間を捜してる」

 誰もそれに答えることなんて出来なかった。彼らが捜している『仲間』なら、り以子たちの目の前で死んでいる。知られたら報復に遭うのが明白だ。

「どうする?」
「突入か?」
「ダメだ、何人いるか分からない。落ち着け」

「争いたくはない」大きな声が繰り返した。「仲間を捜してるだけだ。何かあったなら教えてくれ」

 どうする?──り以子の頭の中はかつてないほど忙しなく働いていた。ここには誰もいないふりをする?ダメだ、とっくにバレてしまっている。仲間はいないと言う?中を確認させてくれと言われたら?既にウォーカーになっていて襲われたから撃ったと言えば?でも、死体を見ればウォーカーじゃないと気付かれてしまう。それに、デイブとトニーの仲間だ、顔を見せればどのみち命のやり取りに発展する結末が見えている。

「ここは死骸がうろついてる。助けて欲しいんだ」

 全員が無言を貫いた。もういいから、諦めて早く去ってくれ──り以子は心から願ったが、大声の主はバーの中が無人じゃないことを確信している。ハーシェルとグレンがリックを見た。何とかしてくれという二人の視線を受けたリックは、迷いに迷った挙句、とうとう声を上げた。

「脅されたんだ!」

 嘆息したハーシェルが正気かと非難の目を向けた。足音が近づいてくる。

「デイブとトニーはそこにいるのか?生きてるか?」

 り以子はハーシェルの向こう側から顔を出し、リックに向かって必死に首を振って見せたが、リックは一瞬たりともり以子を認めなかった。

「いいや」

 男たちが口々にざわめくのが聞こえた。り以子は力なく床に崩れ落ちた。もう駄目だ。戦争になってしまう……。

「あんたらの仲間は俺たちを脅したんだ!仕方なかったんだ!お互い多くを失った。希望とは違うこともしてきたはずだ。今まさにそうだ。分かるだろ!今回のことは、間が悪かったことに──」

 ドアの窓ガラスが弾け飛び、グレンが頭を抱えて伏せた。撃ってきた!──り以子は弱々しく悲鳴を漏らして壁に張りついた。すかさず立ち上がったリックが窓の穴から迎撃している。

「逃げろ!」

 リックの援護を受けて、皆一斉に飛び出した。り以子は足がもつれそうになりながら、なんとかカウンターの裏に潜り込み、グレンとハーシェルが無傷で物陰に姿を隠すのを確認した。銃声が激しく飛び交い、店内にガラスの破片が次々と降り注いでいる。ハーシェルが隙をついてショットガンを床に滑らせ、グレンにパスした。

***

 一人で焚き火を起こすダリルのもとに、キャロルが息を切らして駆けてきた。

「ローリがいない。リックたちもまだ帰って来ないの」
「ああ、あのバカ女なら連中を捜しに行った」

 ダリルは木の枝で焚き火を掻きながら、平然と言い放った。

「そうなの?」
「ああ。俺に行けと言ってきたが、使いっ走りはやめたと断った」
「なぜ黙ってたの?」

 キャロルの声は信じられないと言わんばかりの調子だった。ダリルはまるでいじけた子供のように、無言で火をかき回し続けていた。キャロルが呆れ果てたと溜め息をつき、仲間のところへ戻ろうとして、ぽつんと孤立しているテントを見つけた。昨日までは皆と同じ場所に群がって設置されていたテントだ。

「こんなことやめて。お願い」

 キャロルはダリルの傍に戻って言った。ダリルは一度たりとも彼女を見なかった。

「……娘も失ったのに」

 途端にダリルは棒を叩きつけて立ち上がり、去り際に冷たく吐き捨てた。

「それも俺には関係ない」

***

 銃撃戦に巻き込まれる日が来るなんて──日本にいた頃、アメリカ修学旅行を前に、冗談で銃社会を冷やかし「そんなことになるかもしれないね」と笑ったことがあった。まさか冗談で済まなくなるとは、夢にも思っていなかった。

 床に伏せて耐え凌ぎ、やがて銃弾の雨が止んだ。お互いに弾が切れたのかもしれない。

「おい!」
 入り口の方からリックが叫ぶ声が聞こえた。
「これじゃ最悪の結果になる!お互いに不利益だ!だから撃たないでくれ。誰も傷つけたくない」

 り以子にはデイブやトニーの仲間がこんな説得に応じるとは思えなかった。それを裏付けるように、男たちからの返事はなかった。

 その時、皆が意識を向けていたのとは別の方向から、何かをひっくり返したような物音を聞いた。物陰でハーシェルが示す先に『非常口』と書かれたドアがあった。裏口から回り込まれたらまずい──グレンが指示を仰ぐと、リックは小さく首を動かした。グレンは青白い顔をしてショットガンを抱きしめたが、ついに意を決して非常口に滑り込んだ。

 嫌な沈黙だった。いつどこからまた銃弾が飛んでくるか分からない。り以子はなるべくカウンターに体を寄せながら、非常口の方向へじりじりと移動した。左手は脇差の鞘をガッシリ掴んでいた。この狭さでは打刀を抜けないのが分かりきっていた。

 非常口の向こうから銃声がした。すぐにリックが血相を変えて叫んだ。「グレン!グレン!」

「大丈──俺は大丈夫だ!大丈夫!」

 グレンの声が答えた。酷く動転してかすれた声だった。

 リックが物陰から物陰へ、すばしこい動きで移りながら、ハーシェルの近くに駆けて行った。り以子も鞘を掴み、腰を落とした体勢のまま忍び足で集合した。

「ここは任せろ。二人でグレンの援護へ……車を取りに行かせろ。裏口へ回させて、俺たちもここから出る」

 リックの息は弾んでいた。

「私がグレンの援護を?」
「銃の訓練を受けるべきだったろ。こういう時役に立った」

 すると、ハーシェルは慣れた手つきでスライドを引いた。

「銃は使える。嫌いなだけだ」

 非常口の扉の向こうには広い部屋があった。こんなことになるずっと前から使われていなかったらしく、椅子が積み重ねられ、テーブルや棚には雑多に物が置かれていた。正面に裏口の観音扉があり、片方の窓が砕け散っている。グレンはそこにショットガンを向けて足踏みしていた。り以子たちが段差を下りると、踏んだ先の床が軋んで僅かな音を立て、グレンがパッと振り向いてショットガンを突きつけた。

「ごめん……」

 ハーシェルが銃口を押しやると、グレンが呻くように謝った。

「リックが車を取りに行けと」
「俺が?」
「君なら必ず成功する。私たちが援護する」
「名案だよ」

 グレンはハーシェルとり以子を頼りなさそうに見比べて溜め息をついた。

 グレンが慎重に扉を開く。ハーシェルは物陰に潜み、銃を縦に構えて待機していた。グレンが忍び足で外に出ると、ハーシェルが戸口に立って左右を確認した。しかし、ここからでは木が邪魔で見通しが悪かった。そのせいで、気づくのが遅れてしまった──グレンの背中に拳銃を向けた男がいたことに。

「後ろを見て!」

 り以子が金切り声で叫んだ直後、二発の銃声が響き渡り、呻き声と共にグレンが弾き飛ばされた。すぐさまハーシェルが拳銃を向け、男に向かって発砲した。