18 Miles Out

決闘

 ランダルの意識が回復して数日が経った。ランダルはまだ満足に歩けそうもなかったが、リックはすぐにシェーンと二人で彼を捨てに出発した。目隠しをして、耳には爆音のようにロック音楽が流れるイヤホンを挿して粘着テープで固定した上で、頭から麻袋を被せ、手足まで縛ってトランクに積んだ。農場の在り処や道を覚えられないようにするためだ。ここから少なくとも二十キロ以上は離れたところで解放して、二人だけで戻ってくるという。

 リックが同行者にシェーンを選んだと聞いた時、り以子は心臓がよじれ上がって口から飛び出すんじゃないかというほど驚いた。納屋の一件以来、二人の確執は、もはやシェーンからの一方的なものではなくなっていたからだ。車に乗り込むリックの表情は、単に少年を捨てに行くというだけではなく、何かを覚悟して腹を括っているように見えた。

 二人が出払っている間、他の皆は農場に残って、それぞれの仕事をこなして過ごした。り以子は女性陣の誰かしらを見かけてはついて回り、言われるがままに家事を手伝っていた。

「町でグレンに何かあったの?」

 キッチンで昼食の準備をしていると、マギーが唐突にそんな話を振ってきた。り以子はローリがチキンを切り分けるのを見ていたが、たちまち顔を強張らせた。

「……なんで?」
「危なかったんでしょう」

 ローリが事も無げに言った。町で起きた危険なあれこれについて、今更詳しく知りたくないという様子だった。

「彼、変わった」マギーが溜め息まじりに打ち明けた。「怖くて動けなくなったって。私を責めたの。私のせいで臆病になったって」

 り以子は撃たれかけたグレンがゴミ箱の裏で硬直していた時のことを思い出した。同時に、『愛は人を臆病にする』なんて陳腐な恋愛モノのコピーが脳裏をよぎった。

「……彼は、えーと、少しだけ危なかったです」

 り以子はなるべく二人に無用な心配を与えないよう、慎重に言葉を選んだ。

「だけど、問題ありませんでした。何故なら、ハーシェル先生がグレンさんを助けました。リックさんもまた彼を助けました。だけど、彼はそのことを気に病んでいます。グレンさんは仕事を頼まれていましたから」
「でも、戻って来られた──重要なのはそこよ」

 ローリが皿にチキンを盛りつけながら冷静に言った。

「男はそういうものよ。何もかも女のせいにする。とにかく、外は外。私たちは……私たち皆で彼らの留守を預かるだけよ」
「それは分かるけど、私は──」
「グレンはちゃんとした男よ。彼自身で選択できるし、あなたは何か謝るようなことをしたの?」

 マギーは首を横に振った。ローリはキッチンに寄りかかって野菜をつまみながら、肩をすくめて見せた。

「めそめそするな、しゃんとしろって教えるのよ……そっくりそのまま言っちゃダメよ、絶対こじれるから」

 マギーがちょっと笑った。

「──ベスに食事を」

 ベスはハーシェルの治療のお陰でショック状態からは回復したものの、精神的ダメージからは立ち直れていなかった。一日のほとんどをベッドの上で泣いて過ごし、食事を運んでも全く手をつけないというので、皆が心配していた。り以子ももちろんその一人だったが、見舞いに行く勇気はまだなかったし、ベスもり以子の顔なんて見たくないだろうと思った。ローリが気を遣ってり以子に食事を持って行かせようとしても、何かと理由をつけて断った。

 野営地では、アンドレアがキャンピングカーの上に立って見張りをしていた。銃を任されるようになった彼女は、ここのところ、水を得た魚のように生き生きとしていた。自分は最も偉大な仕事をしているという自信に満ち溢れた表情で、一日中ライフルを抱えて突っ立っていて、り以子たちが洗濯や掃除、料理をするのをちっとも手伝わなくなった。手を貸して欲しいと申し出ても、高いところから「ウォーカーを見張る方が大事」と言われてしまうと、それ以上は強く言えなかった。

 仕方なく、彼女以外で全員分の洗濯物を取り込み、手分けして皆のテントへ配り歩いた。り以子はダリルの分を預かった。

 ソフィアたちの葬式以降、ダリルは野営地から遠く離れたところにテントを引っ越してしまった。食事も皆と同じ席には現れないし、キャロルかり以子が取りに来なければ、洗濯物も放ったらかしだ。いつ訪ねても留守が多く、ほとんどを森の中で過ごしているらしかった。テントの側には、リスの死骸を開いたものがズラリと並んで吊るしてあって、あまりの野蛮さに皆ほとんど近寄りたがらなかった。

 テントを開けてすぐのところに洗濯物を置くと、あまり中をよく見ないようにして素早く閉めた。あまりじろじろ見るのはよくないだろうという思いもあったし、何よりリスの死骸以上のものを見つけたら夜眠れないと思ったからだ。

 これが終わったら、あとは夕食の準備まで刀の手入れをするだけだ。「よし!」と手を叩いて立ち上がった時、木々の向こうから微かな音がした。枝を踏む音だ。

 ダリルが細枝を何本か手にして、森から帰って来たところだった。まともに顔を合わせるのは何日か振りで、り以子は何故か異常に緊張して、おずおずと会釈をしたが、ダリルは軽く顎を動かしただけで、あっさりとり以子の前を通り過ぎて行った。

「狩りですか?」

 勇気を持って問いかけてみても、返事はなかった。ダリルは石の塔にしゃがみ込み、腰のバックナイフを引き抜いて、細枝を削り出した。

「それ、何ですか?」

 なんとなく矢を作っているんだろうなとは分かっていたが、沈黙が気まずくて無理やり質問にしていた。案の定、ダリルは無視をして黙々と作業に没頭している。

 この細枝をどうやって矢にするんだろうと純粋に好奇心が湧いてきて、り以子は怒られるだろうなと覚悟しつつも、ダリルの脇に立ってじっと手元を覗き見た。余分な節やささくれを少しずつ削り落とし、まっすぐに整形していく。根気のいりそうな作業だ。不器用なり以子には到底出来ないだろうと思った。

「……気が散る」

 ダリルが何か言った。意味は何となく察しがついたが、り以子はわざと「え?」とすっとぼけた。ダリルは一度手を止めて、地面に向かって溜め息をついた。

「離れてろよ。あんたの鼻も一緒に削ぎ落とすぞ」

 撥ねつけるように睨まれて、り以子はすごすごと引っ込んだ。ちょうど焚き火の周りに座れそうなところがあったので、そこにちょこんと腰掛けて、細かく動くダリルの手先をじっと眺めた。

「削りが足りなかった」

 てっきり黙って作業を続けるものだと思っていたり以子は、不意に紡がれたダリルの言葉を危うく聞き逃しかけた。ダリルは器用に枝を削りながら、独り言を呟くように話していた。

「昨日作ったのを試し射ちしたが、クソだった。お陰で鳥を捕まえ損ねた」
「……そのナイフは難しいですか?」
「まあ、お前のよりはマシだ」

 ダリルは光に枝を透かしながら言った。

「お前のは手入れしてんのか?」
「え?」
「手入れ。世話。メンテナンス」
「ああ!えっと、はい」

 り以子はうちわみたいにパタパタ頷いた。ダリルはり以子のリスニングが詰まると決まって物凄く嫌な顔をするが、最近は簡単な言葉に崩して言い直してくれることが増えた。

「それでいい」ダリルはまた枝を削り直し始めた。「いつクソ野郎共が襲ってくるか分からない」
「ウォーカー?」
「……ならいいがな」

 ダリルはその先を語ろうとはしなかった。

 シャッ、シャッ……と、ナイフが枝を擦る小気味良い音が鳴っている。それを聞きながら、り以子はふと小さな疑問を抱いた。矢を削り終わったら、ダリルはどうするのだろう。皆とこれほどの距離を置いてもこのグループに居続けるのか、それとも……。

 もう一つの可能性のことを考えた時、り以子は底知れない心細さに襲われて、それを振り払うようにぶるぶると身震いした。