Judge, Jury, Executioner

生かすか殺すか

 デールの抗議を受けて、ランダルの沙汰は改めて日没に皆で決めることになった。とは言うものの、答えなんてほとんど出ているようなものだった。誰もランダルの生に興味がないのだ。むしろ、何でもいいから早く厄介事を片付けてくれと思う人すらいたかもしれない。農場は、これまでと違う類の嫌な空気が満ちていた。

 そんな中で、デールだけが、皆に考え直してほしいと掛け合っていた。彼は勿論り以子のところへもやって来た。

「り以子、君は分かってくれるだろう?」

 デールはすがるような目でり以子に訴えかけた。

「こんなことは正当防衛じゃない。相手はたった一人だ。目に見えない敵に脅えて、まだ何の罪も犯していない相手を殺すなんて」
「あの人はリックさんとグレンさんを撃ちました。あの人は無罪ではありません」

 り以子が訂正を入れると、デールは傷ついた表情をした。

「そうだとしても、死に値することか?互いが自分の命を守るために撃つしかなかった!」
「ああ、……違います」り以子は慌てた。「そういう意味ではありません。つまり、えーっと……」

 り以子は言葉を整理しながら、待ってくれと手の平をかざし、作業中だった手を止めた。ちょっとくらい放置しても、茸は文句を言わないだろう。

「私はただ、『皆はそう思っている』と言いたかったです。あの人は私たちに敵意があり、あの人が逃げた時、私たちは三十人の報復に遭います。だけど、その敵意は……」
「俺たちが生み出させている。そうだ」

 デールは深く頷いた。

「拷問して情報を吐かせるなんて……あんなの、ダリルらしくもない」

 り以子はデールの口から飛び出した名前に心臓が僅かに揺れたのを感じた。拷問──それが倉庫でダリルがしていたことなのだろう。確かにダリルは一見武骨な人だが、温もりを持った人だとり以子は知っている。だからこそ、人を苦しめ、痛めつけたり、脅したり、そんなことをしている姿を想像したくなかった。

「私は……私の知っている人に手を汚して欲しくありません」

 頭の中に強くダリルの顔を思い浮かべるり以子に、デールは容赦なく言った。

「このまま彼を殺すことになれば、誰かがもっと手を汚す羽目になる」
「それは……」

 り以子は胃袋の中に重石が落ちてくるような感覚がした。たとえ仕方のないことだとしても、それがり以子や仲間たちのためなのだと言われても、駄々っ子のように「嫌!」と思う気持ちが抑えきれなかった。

「だけど……人々は私の意見に耳を傾けないでしょう」
「何故そんなことを!」

 デールはり以子の卑下を憤慨した。

「私は、厳密にはこのグループの一員ではないからです。リックさんは、私をおかしなことを言う奴だと思っています」
「そんなことはない!君のことを、リックがどれだけ大切にしているか……君自身がよく知っているはずだ!」
「リックさんたちにとって、私はただの子供です。私は英語が上手じゃないです。それに……私は、外国人です」
「り以子。り以子、よく聞くんだ」

 デールのかさついた大きな両手が、繊細なものをいたわるように優しくり以子の手を取って包み込んだ。

「君はよくやっているよ。ここに来てから君の言葉は大分上達したし、引け目を感じることはない。何より、君はもうただの子供じゃなくて、一人の若い女性だ。君の意見にはちゃんと価値がある、俺や他の皆と同じようにね」

 デールの口調は、ゆっくり、はっきりとしていた。

「お願いだから、自分をよそ者のように言わないでくれ。俺はとっくに君を仲間だと思ってる」

 勇気付けるように握られた手を恐る恐る握り返し、り以子は微かに笑った。

***

 大小を携えて倉庫に向かうと、ちょうど中から荒々しく出てきたシェーンに、出会い頭に怒鳴りつけられた。シェーンはカールを連れていて、後ろでアンドレアがランダルに銃を向けていた。どうやら、カールが人の目を盗んでランダルと接触しようとしたらしいのだ。

「一体何をしてた!子供から目を離すな!」

 まるでり以子がカールのベビーシッターみたいな言いようだ。り以子はムッと顔をしかめた。

「……それはどうもすみませんでした」
「親には言わないで!」

 カールが顔色を変えて懇願し、少し冷静になったシェーンはさっきより随分落ち着いた口調でカールを諭した。

「カール、危ないじゃないか。怪我してたかもしれない」
「自分でどうにかできる」
「いいか、二度と奴に近づくな。分かったか?──まったく」
「親には言わないでよ、ねえ」

 シェーンは呆れたように「カール」と呼びかけた。

「問題を起こすな、いいな?あいつみたいな奴は、何とでも言うんだよ。同情を誘って、お前の隙を狙ってるんだ。お前が隙を見せれば、皆が死ぬんだぞ。分かったら……頼むから、ママのところへ行ってくれ。ほら」

 最後はカールの方を見ずに言った。カールは逃げるように走り出したが、シェーンはその背にもう一度だけ「カール」と呼びかけた。

「二度と自殺行為はするな」

 それから、シェーンも憤りを振り切るように倉庫を離れて行った。

「……彼、危ないわね」

 アンドレアが溜め息まじりに呟いた。遠ざかる二つの背中のどちらについてそう思ったのか、り以子には判別がつかなかった。まだ昨日のわだかまりが胸の辺りにつっかえていて、素直に彼女の方を見るには気まずかった。り以子はなるべくまともに目が合わないよう気を遣いながら、倉庫の扉の前に立った。

「ちょっと、何するの?」

 扉を開こうとすると、脇から伸びた手がバシッと扉を押さえた。アンドレアの刺すような視線を横面に感じたが、り以子は無言でその場に立ち続けた。

「何なのよ!」

 アンドレアが痺れを切らしたところで、り以子はしれっと答えた。「黙ーって突っ立ってるだけ」

 アンドレアは呆気に取られていたが、そのうち、溜め息をついて押さえていた扉から手を離した。

「……後で叱られても知らないわよ」
「ありがとうございます」

 倉庫の中は埃っぽく、血と汗の臭いが染みついていた。怪我人を寝かせるにはとても不衛生だったが、厄介な捕虜を閉じ込めるには充分なのかもしれない。ランダルは後ろ手に手錠をかけられ、壁に鎖で繋がれていた。顔中が痣と瘤だらけで目も当てられない有様で、り以子を見るなり重たそうな目を出来るだけ大きく見開いた。

「君は……」

 り以子は扉を閉め、軽く会釈をした。ランダルは目に見えて高揚し、鎖に繋がっているのも忘れて駆け寄って来ようとした。

「町で会った子だね。覚えてるよ、車で怪我の手当てをしてくれた!ずっとお礼が言いたかったんだ。それと、色々話もしてみたかった。けど、君、なかなか姿が見えないから、もしかしたらここにはいないのかもって思ってた」

 鎖に連れ戻されたランダルは、り以子に敵意がないとアピールするために、壁に背中をつけてニッコリした。その顔が痛みに引きつった瞬間を見逃すことが出来ず、り以子はポケットからハンカチを取り出した。り以子が近寄ると、ランダルはギョッとして肩が強張ったが、ハンカチがそっと血と汗を吸い上げ始めると、みるみる警戒を解いた。

「高校生だったんだね。落ち着いてたから、もっと大人かと思ってた」

 暗闇の中で、黒っぽい瞳がり以子の制服姿を上から下まで素早く確認したのが分かった。

「いい武器だね、俺そういうの好きだよ。かっこいい。サムライみたいだ。君も物資調達に出たり、ウォーカー退治をしたりするの?親は何も言わない?」

 ランダルは自分の言葉に対してり以子が無言で返すのを酷く焦れったそうにしていた。

「俺のいたグループでは、男の仕事だったんだ。女や子供は連れ出さない。危険だからね……だけど、ここは人手が足りないのかな?保安官の二人と、ブロンドの女の人と、マギーの家族の他には……あの乱暴な奴だけ?ああ、最初に会った時にいたアジア人の男は、君の兄貴?」
「乱暴な奴?」り以子はつい聞き返していた。
「あいつだよ……あの、ガタイのいい、レッドネック貧困白人労働者みたいな──」

 レッドネックが何か分からなかったが、り以子の顔色の変化を察知したランダルが黙り込んだので、あまりいい意味ではなかったはずだ。

「……私から情報を得ようと?」
「ち、ちち違うよ!」

 り以子が目で言葉の真偽を問いかけると、ランダルは重ねて「本当だって!」と訴えた。

「今更君たちの情報を集めたって何にもならないよ。俺の仲間は常に移動してるし、一度はぐれたら合流なんて無理だ。も、勿論、出来たとしたって、君たちのことを話したりなんかしないよ!」
「もしあなたが話すと、彼らはどうするのですか?」
「──何も」

 ランダルは反射的に答えていた。り以子はランダルが話せば話すほど落胆していた。彼は保身のための主張をしているつもりかもしれないが、これでは墓穴を掘っているとしか言いようがなかった。

「……ごめん。そうだよ、分からないよ。君たちに害を及ぼすかも。だけど、俺は君たちのことは言わないって言ったろ?俺はあいつらとは違う!この農場を乗っ取ろうなんて思ってない!あいつらのやり方に賛同して行動を共にしてたわけじゃないんだ。生き延びるための唯一の方法だった!他に生きてる人間なんていなかったんだ!」

 ランダルが繰り返し「頼む、分かってくれ」と懇願する声が、不気味な呪文のように響いていた。