Judge, Jury, Executioner

生かすか殺すか

「俺たち皆、何をすべきか分かってる」
「いや、デールが正しい」

 頑なに主張を押し通すシェーンとは裏腹に、リックは思い惑っているようだった。

「ここで安易な手を打ってはダメだ。俺たちには責任がある──」
「じゃあ、他に解決策ってある?」アンドレアがイライラと言った。「有効な案は一つも出てない」
「だから考えるんだ!」デールが声を荒げた。
「考えてるだろ!」

「やめて。もうやめて!」

 秩序もなく感情をぶつけ合い出した皆を黙らせたのは、それまでずっと黙って傍観していたキャロルだった。けれど、キャロルはどうも現状を悲観して皆を諌めたようではなかった。どんよりと曇り、突き放すような目をしていた。

「もう言い争いにはうんざり!私には関係ないわ。意見を求めないで。どちらでもいいから、お願い、決めてちょうだい。だけど、私のことは無視して」

 り以子はキャロルがこんな風に冷たい声を出すとは思いもしなかった。

「口を閉ざすことは、」デールが軽蔑の目でキャロルを貫いた。「その手で彼を殺すことと同じだ」
「もういい。そこまでだ」

 リックが手を上げてデールを制した。

「最終決定前に発言したい人は?」

 たちまち皆がそそくさと目を背けた。立っていたマギーとパトリシアは腰を下ろし、ハーシェルはじっとフローリング材の木目を数えていた。デールは助太刀を求めてり以子を振り返った。

「り以子!皆に話して聞かせてくれ──彼に敵意を抱かせてるのは俺たち自身だと」
「え、えっと……」

 何の心構えもないまま大人たちの目に晒され、り以子は立ち尽くした。何か言わなくちゃという気持ちだけが逸り、肝心の英語が出てこない。「あ」だの「う」だの言葉にもならない声を発していると、リックが痛々しくて聞いていられないというように遮った。

「君には意見を求めてない」

 り以子は唖然として、決して自分を見ようとはしないリックの後ろ頭を凝視した。

「わ、私は……」
「君がこの場にいることを、俺は許可した覚えはないぞ」

 り以子は落胆の息をつき、リックから目を逸らして部屋の角を見た。どうせり以子が何を見ているかなんて、リックは分からないし、知ろうともしないだろう。どういうわけか、それまで立て込んでいた混乱の霧が一気に晴れ、り以子の頭の中は自分でも驚くほどクリアになっていた。

「デールさんは間違っていません」
「君の意見は聞かないと言ったはずだ」
「リックの言う通りだ」ダリルが口を挟んだ。「あんたの甘っちょろい意見なんて参考にならない。いいからあっちに行って魚でも揚げてな」

「私たちは全員、何が正しいか知っています!」

 り以子はたまらず声を張り上げた。

「それは当たり前のことです。いつだってそうです、たとえ問題が複雑になっても。だけどそれが出来ないのは、私たちが弱いからです!それは恥ずべきことで……それを……それを、正しいことのように言わないでください!」

 り以子の脳みその中には、言いたいことが順番待ちをしてグルグル旋回していたが、適切な英単語に当て嵌められたのはそれだけだった。言葉にし切れなかった残りの激情が、荒い息となってり以子の肩を上下に揺らした。

「『生きてる者は殺さない』──そうだ。君がそう言った!」

 り以子に続いて、デールが言質を突いて切り込んだ。リックは苦い顔をして言い返した。

「ああ。それは『生きてる者』に殺されかける前のことだ」

「分からないのか?こんなことをしたら、今までの俺たちも、俺たちの知ってる世界も終わってしまう!醜い世界になるぞ。それは……残酷な場所だ!そういう奴だけが生き残る。俺はそんな世界に生きたくない。君たちだって同じ気持ちのはずだ!俺は嫌だ!頼む……正しいことをしよう」

 デールは怒りを堪え、切実に訴えた。それでも、刺々しい沈黙は続いている。

「他に俺に賛成の者はいないのか?」

 全員が石像のように動かなかった。グレンもローリも、デールから目を逸らして俯いた。ところが、一番予想外の人物が──り以子が絶対に心を動かすことは出来ないだろうと思っていた人物が、重い沈黙の中で、勇気を持って口を開いた。

「彼は正しい」

 デールはハッとしてアンドレアを見つめ返した。あまりの衝撃に、白い髭に埋もれた口元が僅かに動いたのが分かった。

「別の道を考えましょう」
「他にはいるか?」

 しかし、後に続く者はいなかった。誰もが後ろめたさに足元を見つめていた。それが答えだった。リックがデールに向かって首を傾げて見せると、デールが嘆息し、鼻を啜る音が、静まり返ったリビングに寂しく響いた。

「みんな見届けるのか?違うよな、テントに隠れて人を虐殺したことなんて忘れようとするんだろ。ああ……」デールはゾッとしたように首を振った。「俺は加担しないぞ」

 失望に瞳を濡らしたデールは、逃げるようにリビングを後にした。その去り際、ダリルの肩に手を置いて、彼に言い残した一言が、皆の心に重くのしかかった。

「グループは崩壊だ」

***

 日が暮れて、ひんやりと冷えた夜の空気が農場に広がった。あれからデールはずっと戻って来ていない。リックは日暮れと共にダリルとシェーンを伴って野営地を離れていた。今何がどうなっているのか、想像することは憚られた。デールが言った通り、キャンプ場に隠れて、人殺しについてなるべく考えないようにするのが精一杯だった。

 しばらくして、暗闇の向こうからリックが帰って来た。そこにダリルとシェーンの姿はなく、代わりに何故かカールと一緒だった。リックの酷くこわばった表情を見て、皆の顔に緊張が走った。これから告げられる言葉を、覚悟して待っていた。

「しばらくは拘束を続ける」

 力んでいた体から、一気に力が抜けていくのを感じた。り以子とアンドレアは反射的に顔を見合わせ、その後で、お互いの気まずい関係を思い出してそれぞれに目を逸らした。

「デールを捜すわ」

 アンドレアは足取り軽くキャンプを飛び出していった。

 り以子はキャンピングカーのステップに腰掛け、アンドレアがデールを連れて帰ってくるのを待った。これからどうするのかは、時間をかけてたくさん悩めばいいことだ。このグループはまだ終わってはいない。まだまだ、皆の知っている世界は死んでいなかったのだ。きっとデールも安心するだろうと思った。そう思っていたのに。

 霧の混じった暗闇の向こうから、誰かの鋭い絶叫が聞こえた。り以子は全身の血が凍りついた──デールだ!

「カールを頼む」

 焚き火に当たって休んでいた夫婦が顔色を変えて立ち上がった。ローリはカールを連れて下がり、リックはTドッグにショットガンを持ってくるよう急いで言いつけた。り以子はテントに駆け戻って打刀を掴むと、声のした方に向かって走り出した。

 何があったとか、どうして今とか、何かを考えている余裕は一切なかった。柔らかい土の上は走り辛く、何度も足がもつれそうになったが、捥げてしまってもいいから全速力を出し続けた。リックが柵の扉を開けようとしている横で、り以子は柵を飛び越え、転がるように草むらを走り抜け、とうとう森のほとりに見つけた──地面に倒れたデールの上に、ウォーカーが覆い被さっている。

 必死の抵抗で噛みつき攻撃はしのいでいるようだったが、飢えたウォーカーは我慢できずに、デールの腹に両手の爪を突き立てた。

 り以子はこれまでに出したこともない速度でスパートをかけた。どうか間に合いますようにと強く念じながら、左手は鞘を、右手は柄を掴んでいた。しかし、り以子の願いが届くことはなく、デールの悲鳴は一層高まった。行儀を知らないウォーカーの両手が、まるで開かないドアを無理矢理こじ開けるように、彼の腹を真っ二つに引き裂いた……。

「ああああああっ!やめてえええええぇぇぇっ!」

 その時、納屋の方から全力疾走で現れたダリルが、ウォーカーにタックルをかけてデールの上から弾き飛ばした。持っていたナイフで脳天を貫き、死体をその辺に放り出すと、草むらに倒れたまま動けないデールの傍に駆け寄った。負傷の具合を確認して、すぐに立ち上がり、り以子たちに向かって大きく両手を振った。

「助けてくれ!ここだ!──早く来い!」

 ダリルがこんなに切羽詰まった声で叫ぶのを、り以子は初めて聞いた。

「頑張れ、相棒……ああ……、ああ……」
「デールさん!」

 真っ先に辿り着いたり以子は、その辺に打刀を投げ捨て、デールの傍に跪いた。酷い有り様だった。こんな深手を見たことがなかった。パックリ開いた腹部からは内臓が丸見えで、血がドクドクと脈打ちながら波のように溢れ出している。

「な、何これ?なに……どうしたらいいの……あ、あ、ヤバい……ああ……」

 傷口に触れていいのかすら分からず、成す術もなく頭を抱えるり以子の日本語など、誰も聞いていなかった。遅れて駆けつけたリックがデールの顔に手を添え、懸命に呼びかけている。

「いいか、しっかりしろ。俺の声を聞くんだ、な?しっかり……そうだ。頑張れ……ハーシェルを呼べ!──輸血が必要だ。すぐに手術しなくては」

 り以子のすぐ側でアンドレアが息を呑む声が聞こえた。取り落とした懐中電灯もそのままに、アンドレアはデールの手を拾い上げて握り、ショック状態の彼の顔を覗き込んだ。

「しっかりして、デール。しっかり」
「俺の声を聞いてろ」

 口々に励ます皆を目を見開いたまま順に見上げて、デールは呻きながらも、こくこくと頷いた。グレンやローリが駆けつけたが、肝心のハーシェルはまだ来ない。

「ハーシェル!早く来い、ハーシェル!」

 ハーシェルさえ来れば、きっとどうにかなると、皆が本気で信じていた。魔法のような素晴らしい手術のお陰で、まさに奇跡が起きて、デールは一命を取り留めるのだと、陳腐な医療ドラマみたいな展開を信じて疑わなかった。それなのに──ようやくかけつけたハーシェルは、デールの滅茶苦茶にされた腹部を一目見て、動きを止めた。り以子はその表情を見て、急激に現実へ引き戻された。

「彼を運ぼう」
「……とても保たない」

 ハーシェルが静かに言ったが、リックは半狂乱で立ち上がった。

「ここで手術をしてくれ。グレン!家に戻って──」
「──リック!」

 ハーシェルがリックの肩に手を置いて首を横に振った。そんな──り以子は絶望のどん底に突き落とされた。リックが吠え、アンドレアが泣き崩れた。デールは激痛に顔を歪め、しきりに喘いだり呻いたりしている。

「苦しんでる」

 アンドレアが茫然と呟いた。デールの胸が細かく動き、喉の奥からゴポゴポと音が鳴った。デールはもはや話すことも出来なくなっていた。

「どうにかして!」

 手立てなんて、一つしかなかった。リックの拳銃がデールに向けられる。り以子は泣きじゃくって何かを懇願したが、何を言ったのか自分でも分からなかった。

「神様……」

 アンドレアが顔を背けた。デールは咽びながら、目の前に現れた黒い銃口を見つめていた。しかし、リックはその先へ進めないでいた。苦しむ仲間の無惨な姿を前にして、銃の先が大きく揺らいでいる。すると、横に現れたダリルの手が、リックからそっと拳銃を抜き取った。

 ダリルはゆっくりと膝をつき、デールの額に銃口を向けた。デールは最期の力を振り絞って首を上げると、唇を強く引き結んで、すがるような目でダリルを見つめた。

「……悪い、兄弟」