Beside the Dying Fire

壊れゆく人格

 ダリルのバイクを先頭に、乗用車が、キャピングカーが、ピックアップトラックが、ヘッドライトをギラつかせて農場に繰り出した。バイクのマフラーが重低音を夜空の下に轟かせている。

 納屋の中から火の手が上がっている。藁や死体を丸呑みにした炎が、木造の内壁を舐めるように駆け上がり、ロフトの窓から今に飛び出しかねなかった。ダリルは一人車列を抜け、柵のすぐ内側にバイクをつけて停止した。炎に照らされて、ウォーカーの不気味な輪郭が暗闇に浮かび上がっている。ダリルは拳銃をまっすぐに構え、腐った頭を次々に吹き飛ばした。

 車列は柵の内側を回りながら、農場に押し寄せるウォーカーを銃弾で蹴散らしている。Tドッグの運転するトラックからはアンドレアが、マギーの運転する乗用車からはグレンが、それぞれ助手席の窓から身を乗り出して銃を撃った。しかし、銃の数に対して、ウォーカーがあまりにも圧倒していた。撃っても撃ってもきりがない。

 とうとう敷地に入り込んだ一体を轢き殺し、車列は急旋回した。来た道を引き返しながらもう一度銃弾を浴びせて行く。グレンは窓から這い出し、車体にしがみついてショットガンを撃った。ジミーは小回りの利かないキャンピングカーを完全に停車させ、運転席から上半身を乗り出して、近寄って来るウォーカーを手当たり次第に撃ち殺していた。

 ダリルは手近なウォーカーをさらに何体か倒したが、限界を感じ始めていた。すぐ近くの柵がなぎ倒され、そこからウォーカーがいよいよなだれ込んで来た。ダリルは拳銃をしまってバイクを進め、ジミーのキャンピングカーに向かって叫んだ。

「おい!──あの火、リックかシェーンのはずだ!戻って来ようとしてるのかも!周りを見て来てくれ!」
「分かった」
「行け!」

 炎に向かった発進したキャンピングカーを見送り、ダリルも急いでその場を離れた。ウォーカーの前線はどんどん上がって来ていた。

「おーい!ここだ!ここに来てくれ!」

 燃え盛る炎の前で、リックが叫んでいる。窓の縁に立ち、カールを傍に連れていた。

「ここに停めてくれ!頼む!」

 ジミーはひさしにピッタリ車をつけた。大量のウォーカーが納屋の外周に群がり、獲物に向かって両腕を伸ばして、ピョンピョン飛び跳ねている。まるでロックフェスだった。キャンピングカーの前にも分厚い人垣が出来上がり、とても進めそうにない。リックはカールに手を貸しながらひさしに飛び移り、キャンピングカーの屋根に飛び乗った。二人はそこから地面に降り立ち、なんとか逃げることに成功したものの、ジミーが逃げ遅れた。おんぼろのドアを外から開け放たれ、とても対処しきれない数が押し入って来たのだ。

「ヤバい──」

 ジミーはまさしくそのドアから脱出しようとしていて、ギクリと身を引いた時には既に食いつかれていた。腿の内側を噛みちぎられ、絶叫する喉を食い破られた。振りほどこうともがいても、ウォーカーは数でジミーを押さえ込み、猥雑な欲望のままに食い荒らした。リックは息子を援護して走り去りながら、揺れるキャンピングカーの中から悲痛な叫び声を聞き、フロントガラスに大量の血液が叩きつけられる瞬間を見た。

 銃声が続いている。誰も諦めてはいなかったが、同時に、誰もが途方に暮れていた。別の方法を考えるべきだ。そこら中ウォーカーで溢れ返り、まともに相手をしていたら途中で弾が尽きてしまう。

 ハーシェルがグリーン家を背にして立ちはだかり、ウォーカーを決して近寄らせまいとショットガンで防衛線を張っている。ローリはキャロルと共にカールを捜し回り、一向に息子を見つけられないことに焦燥を露わにしていた。

「小屋も確認したけど、どこにもいない」
「地下と屋根裏にも」
「どうしようもない子ね……」

 ローリはテラスを突っ切り、ウォーカーだらけの農場を一望した。

「オーケー、オーケー……パパを追ったなら、あっちに行ったはず」
「ダメ!早くここから逃げるのよ!」

 キャロルがローリの両腕を掴んだ。

「私の息子なのよ!」
「無事を信じて!」キャロルが強く言い聞かせた。「あの子が見つかった時、母親がいなくちゃ──さあ、行きましょう!」

 ローリはキャロルと森を素早く見比べた後、断腸の思いで告げた。

「──皆を!」

 キャロルが女性陣を呼びに家へ駆け戻って行った。ローリは息子の名前を叫びながら、拳銃を手にして戦った。

「ローリ」

 ベスとパトリシアを連れたキャロルが家から出て来た。ローリは銃のバッグを肩にかけ、ハーシェルの背中に向かって呼び掛けた。

「ハーシェル!逃げるのよ!」

 しかし、ハーシェルは聞こえているのかいないのか、銃を撃ち続けている。

「来て!早く!」
「ハーシェル!ハーシェル!」

 ──駄目だ。ローリはテラスを飛び出し、逃げるキャロルたちを援護しながら車へ急いだ。

「後ろをついて来て!私の後ろを!」

 ところがその時、死角から飛び出してきた一体のウォーカーに、パトリシアが捕まった。つんざくような悲鳴が上がり、誰かが手出しする間もなく、首を噛みちぎられていた。夜の闇でも確かに赤いと分かる鮮血が、破れた皮膚から噴水のように噴き出している。ベスと手を繋いだまま、死の恐怖と耐えきれない激痛に絶叫しながら、成す術もなく食われていく……。

 ローリは泣き叫ぶベスに抱きついて、力任せに引き寄せた。だが、正気を失ったパトリシアは無意識にベスの手を強く握りしめて放さなかった。このままではベスまで犠牲になってしまう。泣き叫んで抵抗するベスの腕を掴み、ローリは強引にパトリシアから引き剥がした。

 どこからか弱々しい悲鳴が聞こえ、振り返ると、キャロルが壁に追い詰められていた。ローリのいる場所からは、ウォーカーの人垣に妨げられて、手も足も出ない。すると、二人の前にピックアップトラックが急停車し、ドアがバンと開いてアンドレアが飛び出して来た。

「乗って!」
「キャロルを!あっちに逃げたの!」

 ローリは、半狂乱で父親を呼ぶベスをトラックに押し込み、自分も助手席に乗り込んだ。アンドレアは見事な銃さばきで一瞬のうちに付近のウォーカーを倒し、ローリの示した方向へ走った。キャロルは塗炭の壁を背にして立ち、木片を拾って心許なく構えていた。二体のウォーカーが足を引きずりながら迫っている。アンドレアは落ち着いて、正確に、それらのウォーカーを撃ち抜いた。間に合った──ホッとするあまり、アンドレアは一瞬気を抜いてしまった。

「後ろ!」

 血の気の引いた顔で、キャロルが金切り声を上げた。アンドレアが振り返ると、眼前にウォーカーの顔があった。アンドレアはほとんど反射的に銃を上げ、その額を撃った。巨大な屍がアンドレアの上にのしかかり、もろとも地面に崩れ落ちるのを、ローリたちはトラックの中から成す術もなく見ていることしか出来なかった。

「捕まった!」

 しかし、アンドレアの心配ばかりをしてはいられなかった。トラックにも大量のウォーカーが群がり、窓ガラスがバンバン叩かれている。

「出して!」

 ローリが言った。Tドッグは未練を捨てきれずアンドレアを待っていたが、やがてウォーカーの力で車体が揺れ始めると、歯を食いしばって思いを振り切り、トラックを発進させた。

 その後ろ姿を、グレンとマギーが見ていた。彼らがどこへ行くのかも分からずに、とにかく後を追うためにハンドルを切った。けれども、農場はもうどこもかしこもウォーカーだらけだった。フロントガラスの向こうには常にウォーカーの群れが見えている。

「なんてこと」

 ボンネットによじ登ってフロントガラスを叩くウォーカーを前に、マギーが弱音を漏らした。

「振り切れない!」

 グレンは決断を迫られていた。農場を守り、マギーと共闘を続けるか、愛する人の命を守ることを優先させるか──その天秤が傾くのは早かった。

「──出ろ」グレンは掠れた声で言った。
「何て?」
「農場を出るんだ、今すぐ!」
「ダメよ!」
「マギー、もう無理だ!」

 グレンは声を荒げた。

「残ってる人たちが……」

 そう言って正面を向いたマギーは、フロントガラス越しに吠えるしわくちゃ顔のウォーカーと目が合い、絶叫しながら車をバックさせた。

「早く出るんだ!」

 グレンが急かした。マギーはほとんど何も考えずにアクセルを踏み込み、ウォーカーの群れを振り切って飛び出した。

 娘たちが去った後も、ハーシェルは一心不乱にショットガンを乱射していた。燃え盛る納屋の炎を頼りに、じりじりと後退しながら、一体、また一体……と確実に仕留めていった。弾が尽き、なるべく手早く新たな弾薬を込めていると、真後ろで銃声が鳴り響き、後頭部に冷たくてドロッとした液体が飛び散った。振り向くと、崩れ落ちるウォーカーの向こうに、カールを連れたリックが拳銃を構えていた。

「ローリはどこだ?ローリを見たか?」
「何が起きたか分からない、リック。奴らが押し寄せてくる。まるで大災厄だ。そこら中にいる」
「ローリは!見なかったか?」
「いいや!」
「……行くぞ。ママと他の皆を捜す」

 今やウォーカーは敷地全体に広がっていた。リックは苛立ちに任せて近くの一体を撃ち殺してから、ハーシェルの腕を引いて車へ退散した。ハーシェルは最後まで自分の農場を守ろうと抵抗した。大声で挑発し、迫り来る者は銃床で殴り倒した。だが、リックに「早く!」と急かされると、ついに腹を決めて車に乗った。

「出せ!」
「リック!リック、待って!」

 急発進した車の後ろを、アンドレアが両腕を振りながら追っていた。その姿は大量のウォーカーの中に埋もれ、リックの目には入らなかった。アンドレアは猛スピードで遠ざかっていく車をどうしようもなく見送るしかなかった。襲いかかるウォーカーを撃ちながら、銃のバッグを拾い上げ、走って農場を後にした。

 今や納屋は巨大な火達磨と化していた。屋根も壁も焼け落ち、申し訳程度の骨組みがオレンジ色の炎の中に揺らめいている。そこから黒煙が噴き上がり、夜空にまぎれ込んでいく。

 ダリルはバイクに跨って、遠巻きにそれを見届けていた。この土地はもう死んだ。誰が死に、誰が助かったのかも分からないが、その事実だけが辛辣に突きつけられた。あまりにも唐突で、何の準備も出来ていなかった。

 ──帰って来ない。り以子が戻って来ない。この手をすり抜け、どこかへ行ってしまったままだ。一体何をやってる。頼むから、姿を見せて欲しかった。まだ自分はここにいる。生きているなら、姿を見せてくれさえすれば、すぐに助けに向かってやるのに……。

 不意に、暗闇の方から悲痛な叫び声を聞いた。キャロルだ──ダリルはパッと背筋を伸ばし、急いでバイクを走らせた。キャロルはウォーカーに追われ、へとへとになって逃げ惑っていた。

「来い!急げ!」

 ダリルがバイクを停めると、キャロルがゼエゼエ喘ぎながら後ろに跨った。もうウォーカーはほとんどすぐそこまで追い上げていた。

「行って!」キャロルが叫んだ。

 ダリルは迷わずバイクを出した。ウォーカーの大群がぞろぞろと後を追って来る。農場に背を向け、一目散に逃げた。帰って来なかった。り以子は戻って来なかった。